第5話:「精霊たちの嘆き、迫りくる闇」

 リューンカリエンの森の奥深く、世界樹アルヴァリエンがその神聖な姿を現すまで、あとわずかの距離だった。しかし、森の異変はますます強まり、空気は濃密で重い。腐敗の気配が漂い、森の中のすべての生命がそれに怯えているかのようだった。


「もう少しで世界樹が見えるはず……でも、何かが近づいてきている……」


 エリシアは杖をしっかりと握りしめ、周囲を見渡した。彼女の瞳には、精霊たちの沈黙が映っている。いつもならば森全体が精霊の声で満ちているはずなのに、今はすべての声が消え去っていた。


「精霊たちが……苦しんでいる……」


 エリシアは目を閉じ、心の中で精霊たちの嘆きに耳を傾けた。


「奴らの力が及んでいる証拠だな」


 ガルドは周囲を警戒しながら、剣の柄に手をかけた。彼の鋭い感覚が、何か強大な存在が近づいていることを感じ取っていた。


「この森は、ただの自然の場所じゃありません。世界樹と精霊たちが、この森の生命力そのものを担っています。もし、それが完全に腐敗してしまったら……」


 エイリスの声は真剣だった。


「そんなこと……絶対に許さない!」


 エリシアは決意に満ちた声で言い放った。


 彼らが進む森の奥は、腐敗が進み、木々は黒く枯れ果て、土は乾ききっていた。まるで生命の痕跡が消え去ったかのような光景に、エリシアは胸の奥に強い痛みを感じた。


「これほどまでに森が侵されているなんて……」


 エリシアの目に涙が浮かんだ。リューンカリエンの森は、彼女にとって単なる故郷ではなく、精霊たちとの深い繋がりを持つ神聖な場所だった。だが、その神聖さは今、邪悪な力によって踏みにじられている。


「お前の森を救うためにも、俺たちはここで立ち止まるわけにはいかない」


 ガルドは静かに言ったが、その声には決意がこもっていた。


「……そうね。立ち止まってはいられない。私たちでこの森を、世界樹を守り抜かないと」


 エリシアは涙を拭い、もう一度前を見据えた。その目に宿るのは、精霊たちと共に歩んできた彼女の強さだった。


 森のさらに奥に進むと、突然、地面が大きく揺れ始めた。遠くから、地鳴りのような音が響いてくる。


「またか……」


 ガルドはすぐに身構えた。


 霧の中から姿を現したのは、腐敗しきった精霊の化身――邪蟲によって完全に堕落させられた存在だった。それは、人間の倍以上の大きさを持つ、木々と泥が混じり合った巨躯で、目は真っ黒に染まり、生命力を感じさせる気配は一切なかった。


「精霊が……こんな姿に……」


 エリシアは目の前の惨状に息を飲んだ。彼女が幼い頃に遊び、精霊たちと共に育ったこの森が、まるで悪夢のような光景に変わってしまったことが信じられなかった。


「もう精霊じゃない……これは、奴らの道具だ。心を奪われたただの殻だ」


 ガルドは静かに剣を抜いた。


 エイリスも杖を掲げ、神聖術を準備した。


「この邪悪な力を打ち破らないと、森も精霊も取り戻せません」


 戦いが始まった。ガルドは巨体の敵を前に冷静な判断力を発揮し、正確に剣を振るった。しかし、敵は腐敗の力に覆われ、ガルドの剣さえも受け止めるほどの力を持っていた。


「こいつは……強い……!」


 ガルドの腕に伝わる感触は重く、ただの魔物とは一線を画す力を持っていることがわかった。だが、彼は動じることなく次の攻撃を準備した。


「エリシア、援護を頼む!」


 ガルドは叫んだ。


「分かってる!」


 エリシアはすぐに風の魔法を発動し、精霊たちとの繋がりを強化した。彼女は、森の残されたわずかな生命力を使い、敵を押し返そうとした。


 しかし、精霊の堕落体は簡単には倒れなかった。腐敗した木々を振り回し、ガルドたちを圧倒しようとする。


「くっ……!」


 ガルドはその巨大な腕をギリギリでかわし、反撃に転じた。


「私も……!」


 エイリスは神聖術を発動し、光の力で敵を浄化しようと試みた。彼女の放った光は敵に命中し、一瞬その動きを鈍らせた。


「今だ!」


 ガルドはその隙を見逃さず、敵に深く剣を突き刺した。しかし、その一撃で完全に倒すことはできなかった。


「まだ……まだ足りない……」


 敵は再び立ち上がり、ガルドたちに向かって突進してきた。巨大な力が地面を揺らし、木々をなぎ倒していく。


「エリシア、後退しろ!」


 ガルドは急いでエリシアを庇いながら、再び敵に立ち向かう。


 エリシアは後ろに下がりながら、心の中で必死に精霊たちに呼びかけていた。だが、精霊たちの声はかすかにしか聞こえない。森全体が恐怖に包まれ、彼らもまた怯えているのだ。


「お願い……私に力を貸して……!」


 エリシアは強く祈った。


 その時、エリシアの体に温かな光が差し込んだ。精霊たちが最後の力を振り絞って、彼女に力を与えたのだ。エリシアはその光を受け取り、再び杖を掲げた。


「ガルド! 私に任せて!」


 エリシアは精霊たちの力を集め、巨大な風の魔法を発動させた。風の精霊たちがガルドを包み込み、彼の剣に宿った。その剣は、一瞬で光り輝き、邪蟲の力に対抗する力を得た。


「これで終わりだ……!」


 ガルドは剣を振り上げ、全力で精霊の堕落体に向かって振り下ろした。その一撃は、風の力と精霊たちの加護を受け、腐敗した精霊の体を貫いた。


 巨大な敵はその場に倒れ込み、やがて動きを止めた。


「……やった……」


 エリシアは息を切らしながら呟いた。


「よくやったな、エリシア」


 ガルドは彼女に向かって微笑んだ。


「お前がいなければ、今頃俺たちはやられていただろう」


「そんなこと……あなたがいたから、私も……」


 エリシアはほっとしたように微笑んだ。


 戦いを終えたガルドたちは、さらに森の奥へと進んでいった。森はまだ完全には救われていない。世界樹アルヴァリエンを目指し、彼らは次なる試練に立ち向かう準備を整えた。

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