第2話:「旅の同行者、聖女エイリス」

 ベルガルドを出発して数日が経過した。ガルド、エリシア、そして聖女エイリスの三人は、リューンカリエンの森を目指して静かに旅を続けていた。


「アルヴァリエンの声が……だんだんと強くなってきた」


 エリシアは先を見据えたまま、小さな声でつぶやいた。彼女の表情は険しく、世界樹からの警告が徐々に増していることを感じているのが明らかだった。


「何か変わったことでも感じるのか?」


 ガルドは少し歩調を緩め、エリシアに問いかけた。


「ええ。アルヴァリエン、世界樹が警告しているの。何か邪悪な力が森全体を覆い始めている……それが迫ってくる感覚がするの」


 エリシアは眉をひそめ、手に持つ杖を少し強く握りしめた。エルフ族である彼女は、世界樹アルヴァリエンと特別な繋がりを持ち、その声を聞き取ることができる。普段は静かな囁き程度の声が、今は強い警告を発している。それが意味するものは、一つだった。


「邪悪な力……邪蟲かもしれない」


 ガルドは静かにそう口にした。彼の表情は変わらず冷静だが、その言葉には明らかに警戒心が込められていた。


「邪蟲って……?」


 聖女エイリスが小首をかしげ、ガルドの言葉を待った。


 ガルドは一呼吸置き、答えた。「邪蟲は、森や自然そのものを侵食し、腐らせる邪悪な存在だ。魔族とは違う。奴らは世界を腐敗させ、根底から力を吸い取っていく。俺も直接見たことはないが、昔の記録には幾度もその名が出ている」


 エリシアは無言で頷いた。エルフ族の中では、邪蟲は伝承や古い書物の中に登場する恐怖の象徴だ。世界樹や森の生命を一瞬で腐敗させる力を持つと言われており、かつてはエルフたちによって封じられていたはずだった。しかし、その封印が解かれ、再びこの世に現れた可能性がある。


「もしもそれが邪蟲の影響なら、リューンカリエンの森はもう……」


 エリシアは息を飲んだ。


「焦るな。何があっても俺たちは無事に辿り着く」


 ガルドは確信を込めて言った。


「ありがとう、ガルド……あなたがいてくれるだけで、心強いわ」


 エリシアはかすかに微笑んだが、その笑顔にはまだ不安の影が残っていた。


「気にするな。俺の仕事だ」


 ガルドはそう答え、歩みを進めた。


 彼らが歩いている道は、ベルガルドからリューンカリエンの森へと続く、静かで平和そうな風景だった。しかし、その静寂の裏には異変が迫っていた。


「この道、以前来た時とは違う気がする」


 ガルドはふと立ち止まり、周囲を見回した。


「森そのものが何かに侵されているのかもしれない」


 エイリスが呟いた。


 ガルドが言った通り、この道は以前と何かが違っていた。空気が重く、気温がやけに低い。そして、不自然な静けさが漂っていた。まるで自然そのものが息をひそめているような……そんな感覚だった。


「何か、動いているわ」


 エリシアが突然、立ち止まり、木々の向こうをじっと見つめた。ガルドはすぐに剣の柄に手をかけ、警戒の姿勢を取った。


 すると、霧が一層濃くなり、足元から冷たい風が吹き始めた。森の奥から、何かが近づいてくる。


「準備しろ。来るぞ」


 ガルドは低く命じ、剣を抜いた。


 霧の中から現れたのは、ねじれた形をした魔物だった。腐敗した木のような外見を持ち、異様な黒い粘液を垂らしている。その目は赤く光り、無機質な殺意を放っていた。


「邪蟲の手下か……」


 ガルドは冷静に敵を分析した。かつて聞いた邪蟲の伝承と一致するその姿に、彼は油断せず、さらに警戒を強めた。


「エイリス、後方支援を頼む。エリシア、俺と前に出るぞ」


 ガルドは迅速に指示を出し、二人もそれに従った。エリシアは彼の隣に立ち、杖を構え、自然の力を呼び寄せる魔法を準備していた。


「行くぞ!」


 ガルドは魔物たちに向かって駆け出し、剣を振り下ろした。彼の剣はまるで光を纏ったかのように輝き、腐敗した魔物の体を斬り裂いた。その一撃はCランク冒険者としては異例の鋭さだったが、ガルドは常に過剰な自信を持たず、冷静に次の一手を考えていた。


 エリシアの魔法が発動し、風と木々の力が魔物を巻き込み、腐敗した体をさらに破壊していく。森の精霊たちが彼女の呼びかけに応じ、自然の力がガルドたちを守っていた。


「この腐敗……邪蟲の力がここまで及んでいるとは……」


 エリシアの声には驚きと絶望が混じっていた。邪蟲の力はすでにここまで侵食しており、リューンカリエンの森も同様の危機にあるかもしれない。それは、世界樹が囁いた警告が真実であることを示していた。


「俺たちが行けば何とかなる」


 ガルドはそう言い、再び前に進む。


 戦いが終わり、霧が少しずつ晴れていくと、ガルドは剣を鞘に戻した。エリシアとエイリスもそれぞれの魔法を収め、周囲を警戒しながら息を整えた。


「この霧……森の生命そのものを蝕んでいるようだわ」


 エリシアがそう言うと、エイリスも頷いた。


「邪蟲の影響はこの森全体に広がっているのかもしれません。私の神聖術で封じ込めることはできても、一時的なものです」


 ガルドはその言葉を聞き、再び前方を見つめた。まだ森の奥には進むべき道が残されている。そしてその先には、エリシアの故郷、リューンカリエンの森が待っている。


「ここを突破して、アルヴァリエンの元に辿り着くぞ」


 ガルドは力強く言い、二人に向けて歩みを進めた。彼は常に冷静で、確実な道を選ぶ。そして、エリシアを守るために何が必要かを知っていた。


 その背中を見つめ、エリシアは再び小さく微笑んだ。どんな危機が待っていようとも、ガルドが隣にいる限り、彼女はその道を進み続けることができる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る