第10話 姫

「夏目と何かあったのか」


「相変わらず鋭すぎるな、文……」


 こいつと結婚した男は大変なんだろうなぁ。いやまぁ、そもそも文のような最高の妻がいながら、やましいことするなって話ではあるが。


 放課後。

 クラスメイトでもある文と並んで校舎三階の生徒会室に向かいながら、昼休みの件について話す。


「俺と何かあったわけじゃねーよ。あいつは妙に葉月をライバル視してるからな。やる気に水を差されたって感じだったんだろ」


「そういうものなのか。まぁ、結果的に助けられたのはわたし達の方ではあるが……」


 決して嘘を言ったわけじゃないのだが、どこか納得はしていない様子の文。

 とはいえ、さすがに俺と夏目のことまで見抜くのは、文といえど無理だろう。高校で出会った文が、中学時代の俺たちの情報を知ってるわけがないのだから。


 と、そんなときだった。


「ん……? 何か今……」


「難波にも聞こえたか」


 文と顔を合わせ、そして、物音がした方向を見る。


 三階から屋上へと続く階段。基本的に生徒が足を踏み入れることはないその場所から、足音のようなものがしたのだ。

 距離を詰めてみれば、かすかに話し声も聞こえてくる。

 声の主達も、意識的に音量を絞っているようではあるが……うん。俺にはわかっちゃうなぁ、この声。夢にまで出てくるくらいだし。


「待て、難波」


 階段へと足を踏み出す俺を、文が静かに制してくる。


「放っておけばいい。階段までは、立ち入り禁止でも何でもないんだぞ? 屋上へ続く扉も今は施錠されているはずだ。問題行為は何も起きていないだろう。喘ぎ声でも発しているのであれば話は違うが、生徒会長といえど、生徒達の内緒話に割って入る権利はないぞ」


「生徒会長として行くわけじゃねーからな。一人の男として気になる。何かあるんだとしたら何とかしたい。文は先に行っててくれ」


「合理的な男はどこに行ったんだ」


「合理的なんだよ、これが」


「一つだけ確認させてほしいのだが……君は、そこにいるのがわたしだったとしても、同じように駆けつけてくれるんだよな?」


「当たり前だろ」


「そうか。なら、好きにすればいい」


 相変わらず真顔のまま、文は立ち去っていくのだった。

 カッコつける場面っぽかったから流したけどそのクールな顔で喘ぎ声とか言わないでほしい。本人は絶対そんな声出さないんだろうが、何かちょっと頭によぎってドキッとしちゃっただろ。




 屋上前の踊り場にて。上級生の男女二人に壁際まで詰め寄られ、小さな夏目はその体をさらに小さく縮こまらせていた。


「夏目さん、困るよ、あれじゃ」

「最近、府抜けてるよね。うちらのリーダーとして、もっと自覚を持ってほしいんだ。夏目さんの成長のためにもさ」


「……すみませんでした。気が抜けていたのは確かです。全て、あたしの責任です」


 らしくもなく俯く夏目を目にして、体中の血が煮えたぎっていく。


 やはり、こんなの放っておけねぇ。夏目のためなんかじゃなく、俺の体調のためにだ。

 これを処理せぬままでいるのは、あまりにも合理的じゃない。


「おう、廃止派のお三方。今日は建設的な議論ありがとな。さっそく反省会か?」


 自称、夏目の側近の男女、木戸と川下の背中に声をかける。

 できるだけ穏やかな声音を意識したのだが、二人は体をビクゥッと跳ねさせながら振り向いてきた。その勢いに俺まで驚き、「ひっ」と声を漏らしてしまった。カッコつかねぇ……。


 そんな情けない俺を見つめ、夏目は「哲也先輩……?」と目を丸くしている。やっぱりクリックリだ。クリックリだが、少し赤らんでもいる。それはそれで魅力的ではあるが、俺以外のよくわからん人間にその目を濡らされているのは我慢ならない。端的に言ってムカつく。胸がザワザワする。


「な、難波哲也か……差別主義の独裁者様が何の用だよ」


 ロン毛男子、木戸が震えた声で睨みつけてくる。

 茶髪ルーズソックス女子の方も、「そうだよ、こっちは女子の解放と恋愛自由化のために連帯して――」だとか何とか早口で呟いている。


 ……案の定というか何というか……。


 俺は大きく一つため息をついてから、二人の政敵――いや、政敵ですらない、ただの卑怯者を見つめ、


「お前らさ、そんなに言いたいことあんのに、何でみんなの前で言わねーんだ? 何で全部、夏目に言わせてんだよ。背負わせてんだよ。それがお前らの言う連帯って奴なのか?」


「は……?」「え……?」


 ギョッとしたように目を剥く二人。

 もしかして、自覚すらなかったのか? 余計厄介だな……。

 厄介で、そしてあまりにも害悪だ。

 夏目という人間の強さを、美しさを理解せず、あまつさえ使い潰そうとするなんて、許せない。


 だから、俺がちゃんと、教えてやらなきゃならねぇ。俺の最大の政敵のその魅力を。


「あのな、確かに夏目は常に公平で、弱い立場の人間を絶対に見捨てられねぇ奴だ。俺にはできないようことを、その小さな体で成し遂げちまう超人だ」


 だからこそ、全体の利益を最優先してしまう俺のような人間とは相容れなかった。初めから俺なんて夏目の隣に立つのに相応しい男じゃなかったのだ。


「本来の夏目なつめひめという人間の軸はそれ一本なんだよ。ピルがなくて困ってる日本人女性がいるなら力になるため大声上げるし、女人禁制で悲しんでる人がいるから、手を差しのべて、何としてでもルールをぶっ壊したかった、それだけなんだ。そこに、何か特定の思想なんてものはねーんだ。イデオロギーの象徴として祭り上げられるようなお人形さんじゃねーんだよ。今日の討論がクソだったのは、葉月不在でこいつの気が抜けていたからだとかいう以前の問題だ」


「は? いや、でも実際、今日の夏目さんは、」


「無理させてんだよ、そもそも初めから。余計な立場作り出して、余計なプレシャーで夏目を縛ってんじゃねーよ。お前ら廃止派の黒幕共が後ろにいるときだけ、夏目の言葉が作り物めいて聞こえてくんだよ。弱い者助けるために必死にもがいてるカッケー夏目じゃなくて、無駄な責任背負ってただただ溺れてく女の子にしか見えない」


 一人で女人禁制廃止の声を上げ始めたとき、夏目の目は怒りに燃えて活き活きしていた。支持者が増えていくときだって力がみなぎっていた。純粋に夏目を慕う友人達の先頭に立っていたときのこいつは立派なリーダーだった。

 それがいつしか、本人のあずかり知らないところで活動が組織化していって、リーダーと言うより、恣意的に作り上げ担ぎ上げられた「シンボル」になってしまったとき、夏目が誇っていた「自立」は死んでしまったのだと思う。


 それでも夏目が夏目であり続けようとしてくれていることが尊くて嬉しくはあるけど、そんなことで潰されていく夏目なんて、俺は見たくない。


「俺はこいつがこいつの言葉で俺を言い負かしてくるのが、葉月と言い争ってるのが好きなんだよ。お前らみてーな雑魚の盾なんかでこいつの心を摩耗させるな。ナンセンスだ」


「…………っ」


 ずっと瞠目したまま俺を見つめていた夏目が、その言葉でようやく息を漏らす。よかった。こいつこのまま呼吸止めてたら倒れるんじゃねーの? ってちょっと心配だったからな。勝手に口癖拝借させてもらったのは悪いが、結果的にお前の命助けたんだから、許してくれよ?


 一方のロン毛男子も、やっと固まっていた口を開く。


「何だよ、それ。よくわからないけど結局オレたち弱者を見下してるだけじゃないか。確かに実務的なことはオレたち幹部が担当してるけど、夏目さんはオレたち弱者が一つにまとまるためのカリスマ的存在であって、」


「あーあーあー、何だカリスマって。知らねーのよ、俺みたいな時代遅れな人間はそんな横文字。そういう中身のない流行語なんかで、中身がたっぷり詰まった夏目を矮小化されんのが腹立つって言ってんだよ」


 ほんと嫌いだわ、最近の若者の日本語の乱れ。葉月の気持ちがわかるわ。今の葉月ほど乱れてないか。べっちょってなに。


 まぁ、要するに。俺が最も言いたいのは、


「は……はぁ? だから、意味が、」


「俺の大好きな姫の真っ直ぐさを利用すんな!! 姫には! 俺の! 大好きな姫のまま! 俺を殺しにきてほしいんだよ!! 姫に近づくな俺以外の男!! 死ね!!」


 はい、校内で生徒相手に死ねと叫んじゃいました。これなら喘ぎ声の方がマシだったかもな。うん、でも俺がどうしても言いたかったは、死ねの前の一文だけだから。


 合理主義を謳っている生徒会長の極めて感情的な怒号を浴びせられ、自称幹部コンビさんも唖然とすることしかできない。

 よく見たらこいつらお揃いのミサンガしてんな。やっぱ付き合ってんだな。自分らがファイヤーストームでイチャイチャしたかっただけだろ、どうせ。安心しろ。当日はそこの扉開けといてやっから。


 そして、言葉を失っているのはアホカップルだけではない。夏目も口を押さえて、ただただ俺を見上げている。


 うーん、どうしよう。後々のこと全っ然考えてなかった。


「…………行くぞ、姫」


「え、え、え」


 合理的な俺は、とりあえずその細い手首を取って、元カノを引っ張っていく。


 ……アホカップルをさんざんののしっちゃったけど、実際は俺たちの方がよっぽどアホな元カップルなんだよなぁ……。

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ハレンチ嫌いな生徒会副会長が排卵期にめっちゃ光る。おほっ。 アーブ・ナイガン(訳 能見杉太) @naigan

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