第8話 アメリカで殺害予告される夫婦
「同感だ」
文は相変わらずの無表情で淡々と続ける。
「わたしも父と母の分析を聞いた時には驚愕した。京子はガクガク震えていた。思い当たる節はあったのだろうということがひしひしと伝わってきて、従姉妹として居たたまれなかった」
「いやいやいや! 何だよ、思い当たる節って!? 俺の精子を求めて体がアピール!? 排卵期のシグナルって……何だ、マジで! え? 文の両親って、進化心理学? とかいうのが専門なんだろ!? そんな下ネタ扱うような分野なのか、それ!?」
「下ネタ扱いはさすがに酷いが……まぁ厳密には専門分野ではないな。ただ、うちの両親が今年出版したのが、人類の性行動の進化についての本でな。そんな研究を進めるためには、生物学・人類学・社会学方面にも手を出していかなければならなかったようだ。というか手を出したかったんだろうな。何にでも興味を持つ二人だから。二人が出した結論は、人類の性行動は、従来考えられていたよりもはるかに多様かつ開放的であったというものでな。現在の貞操観念は、恣意的に創作された歴史的にも新しい概念であって、我々の性行動の本質ではないと主張しているわけだ。今それがアメリカで賛否両論の話題になっているみたいで――まぁ、賛否両論というか九割方、否だな。特に保守派からの反発が激しくて殺害予告なんかも届いていることから、日本に逃亡してきたんだ」
「ええー……」
「そんな研究の中で両親が注目していたのは、動物のメスが排卵期――つまり妊娠できる期間に――オスにそれを知らせるために出すシグナルについてでな」
「シングル……」
「シグナルな。サインといった方が分かりやすいか。例えばチンパンジーやボノボは、排卵期に外陰部が腫れあがって赤くなったりするし、独特の鳴き声を発して繁殖期をアピールすることなんて類人猿に留まらず広く見られる習性だろう? 哺乳類以外にも目を向ければ、もっと特殊で興味深いシグナルを出す種はたくさんいるぞ?」
「なるほど。確かに聞いたことあるな、そういうの。ん? いや、それが何なんだよ。今話してたのは葉月の謎の発光についてだろ」
「ああ、だからな、メスが排卵を隠しているのなんて、人間くらいだということを言いたかったんだ。なぜそのように進化してきたのかということについて両親は書いてきたわけだが、突然変異として、排卵期のシグナルを出すメスのホモ・サピエンスが現れても何らおかしくはない」
「つ、つまりはそれが、葉月だって言うのか……? 葉月のあの光や、もしかして昨日からちょくちょくこぼれてる意味不明な言葉の数々も、オスへのアピールだと……? え、『おほっ』が排卵をアピールする独特の鳴き声ってこと……?」
「と、うちの両親が目を輝かせていたという話だ。ちなみに淫語と『おほっ』については、あの様子だと本人も気付いていないと思うぞ。報告も受けていないし、昨夜わたし達の前では全く口に出していなかった。両親に伝えれば、やはりそれもシグナルの一つだという仮定は真っ先に立てるだろうな」
「…………」
「さらに言えば、わたしの父は京子と血縁関係がないオスなわけだ。父が実験のために知り合いの男子大学生を呼んだりもしていた。が、彼らの前で京子が異変を見せることはなかった。普段通り、貞淑なお嬢様だったぞ?」
「つまり……?」
「シグナルを出す相手は、無意識のうちに選んでいると考えていい。いま分かっている範囲では君限定だ」
そうだ、そもそもの大前提として、
「何で葉月がいま排卵期だって、勝手に決めつけてんだよ……」
「わたしが本人から聞き出した。直近の生理が始まったのが12日前でおそらく明後日が排卵日になるらしい。性交をして妊娠できる日、つまり繁殖期=排卵期は昨日くらいから始まっていると考えられるし、やはり光り出したタイミングと合致しているな」
「なるほど。文ってめっちゃ口軽かったんだな」
葉月の月経周期を知ってしまった。さらに言えば、さっきまでの葉月の態度からして、文パパ・文ママの排卵シグナル論自体を俺に隠したがっていたはずだ。
そりゃそうだよな。自分が俺に危険日アピールするために下腹部光らせてたかもしれないなんて話を、バラされていいわけがない。
もちろん、仮にそのトンデモ理論が真実なのだとしても決して恥ずかしがるようなことではないのだが、そんな正論、葉月には通じない。性的なもの=ハレンチ扱いしてしまう古風な淑女、葉月京子なのだ。まるで自分が淫乱な女になってしまったかのように捉えているのだろう。
つまりは、うん。間違いなく文にも口止めしていたはずだ。
……一番信頼できる相談相手だったんだけどなぁ。秘密漏らされちゃ困るなぁ。これからの付き合い方を考え直すべきか。
「あ! 俺、仮性包茎で早漏なこと、文にバレてるじゃねーか! 広められる!」
「待て待て、難波。わたしの口は堅いぞ? これは君にだから話したことだ。そして早漏なことは今初めて知った。絶対に忘れない」
「くそぉ、墓穴掘った……違うんだ、文。確かに俺は早いが、その分、一瞬で回復して何度も射精できるから特別な問題はなくてだな、」
「さらに掘ってるぞ、墓穴。だが安心しろ。絶対に忘れないが、絶対わたしの脳内だけに留めておくからな。京子のことを話したのは、君が知りたがっているに違いないと思ったからだ」
「いや、そりゃ知りたかったけどよ。葉月からしたら困るだろ」
「ああ。だがわたしは、誰よりも君の利益を優先するから。何度も言っているだろう? わたしは難波哲也のことが好きなんだ。京子は大切な親戚で友人だが、君に喜んでもらえるのであれば迷いなく裏切れる。わたしはそういう女なんだ」
「そ、そうか。アハハ……」
「ドン引きしないでくれ」
だって、そんな真顔で都合の良い女宣言されてもなぁ。どこまでが冗談でどこまでが本気なのかわかんねぇんだよなぁ、こいつ。
「それにな、難波。口止めしてきたということは、逆に言えば、京子自身、この仮説に納得しているということでもあるんだ。無意識に光っているのと同時に、それが意中のオスに出しているシグナルだということも本能的に理解してしまっている。動物だってみんなそうだろう? チンパンジーやボノボのメスは誰に教えてもらったわけでもなく排卵期に外陰部を赤くさせるが、それで自分が病気になっただなんて焦り出すことはないんだ」
「……だから、この状況が続けば、光ることへの羞恥心すら自然となくなっていくって……?」
「ああ。実際今の段階でだいぶキていなかったか?」
「確かに……!」
うぅ……! どうなっちまうんだ、俺が好きだった貞淑な生徒会副会長!
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