第3話 携帯の通話料金がめっちゃ高い時代

 とにもかくにも、次の総会では絶対夏目に勝たなければいけない。奴らの女人禁制廃止案を阻止することこそが、この生徒会執行部の存在意義と言っても過言ではないのだから。


 ま、実務的なことはあの美少女トリオがやってくれるんだけどな!

 俺の役目は生徒や大人達からの矢面やおもてに立つことと、あいつらの仲を取り持つことくらいのもので……ってそれが大変なんだけどなぁ。三人それぞれ微妙にスタンスがズレてるし……。


 帰宅後の21時。自室の勉強机で頭を抱えていると、


「お兄ちゃん、電話ー! 愛人さんからー!」


「あぁん?」


 階下から妹の甲高い声が響いてきた。

 あ、愛人だと……? 童貞の俺に……?




『どうやらわたしは君の愛人だったようだ。わたしのだらしない体なんかで君を満足させられるかどうかは定かじゃないが……よろしくな、難波』


ふみか……」


 居間から漏れ聞こえてくるナイター中継の音声と親父の歓声。巨人のゴジラがまたホームラン打ったらしい。引き戸一枚隔てた廊下にある固定電話で、俺は必死に動揺を抑えつけていた。


 こんな冗談ですら、文は淡々としたトーンで口にしてしまう。あの作り物めいた綺麗な真顔が目に浮かぶようだ。

 こっちは顔真っ赤だっていうのによぉ。マジ電話越しでよかったわ。


「お兄ちゃん顔真っ赤」


 黙ってろこいつ。

 足にまとわりついていた女子小学生をしっしと手で払い、文との会話に戻る。


「悪ぃな。ちゃんと叱っておくから」


『構わないさ。可愛いじゃないか、妹さん。ぜひ今度会わせてくれ』


 ほんと余裕そうだ。俺のこと全く異性として見てないんだろうな。意外とデカい文の胸とか見ないようにいつも頑張ってる俺とは正反対だ。

 うん、こんなことバレたら生徒会メンバー全員&夏目に軽蔑されまくるだろうなぁ。気を付けよう。


「それで、どうしたんだ、文。わざわざ電話なんて」


『いや、すまないな。京子に聞かれると、君に迷惑がかかると思ってな。総会での議題についてなのだが』


「女人禁制の件か」


『ああ。それなんだが、やはり君が矢面に立つ必要はないと思うんだ。考え直してみないか?』


「……そういうわけにはな。言っただろ。俺は女人禁制、断固死守派なんだ」


『そっちの方が合理的、だからだろう? 最大多数の最大幸福を追求するために』


「……参ったな、ほんと文には……」


 何でもお見通し、どころか、俺自身よりも俺の考えを言語化できちまっている。


『言語化は大事だぞ。思考が整理されて、自分でも見えていなかった本心が浮かび上がってくるからな』


「ほんとに心読んでんじゃねーか。もはや怖ぇーよ」


『そうか。だがな、難波。君にどう思われようと、わたしは君一人を犠牲にするような状況を看過したくないんだよ。校長が懸念しているのは、OB会からの寄付金が減ることなのだろう? その責任を一生徒の君が負おうとしているなんて、優しい君が差別主義者呼ばわりされるなんて、おかしいじゃないか』


 文の言う通り、女人禁制の伝統を学校が守ろうとしている理由は、それだ。卒業生からの寄付金だ。

 葉月が考えているような尊い価値なんてものはどこにもない。いやまぁ、間接的には、それも寄付金に繋がっている捉え方と言えるのかもしれないが。


 ――110年続く伝統校であり、8年前まで男子校であった桜岡第一高校では、OBの発言力が非常に強い。生徒達の活動が多額の寄付金によって支えられている以上、仕方ないことではあるのだが。


 そんなOB達が「伝統」というものに固執していると知ったのは、十ヶ月前、高二の六月、生徒会長選挙への出馬を打診されたときだった。

 校長室に呼び出され、生徒会長の唯一にして最大にして心底くだらない仕事を、校長及び前生徒会長から課せられたのだ。


 すなわち、学園祭の後夜祭で行われるファイヤーストームの女人禁制を、断固死守すること。


 県立校である以上、共学化まではしぶしぶ受け入れざるを得なかったOB達も、校内の伝統にまで手を加えられることは強く拒んだ。

 果たしてその拒否反応が、本当に「バンカラな校風」を守るためのものなのか、三年間を男子に囲まれて過ごしたが故の嫉妬から発露しているだけのものなのか、俺には知るよしもないのだが。


 それでも俺は受け入れた。くだらないが、合理的ではあったからだ。


「いや、文。これはむしろ生徒がやらなきゃいけねーことなんだよ。学校側もOB会も、男女差別であることくらい当然認識してるんだ。だから上からの命令にはできない。民主主義で決めなきゃいけねーんだ」


『「生徒達の自主性を尊重した結果」、という建前が欲しいわけだな、大人達は』


「それだ。俺が言いたかったのそれ」


『で、そんな重責を君一人で引き受けることが、最も理にかなっていると?』


「ま、現実問題、それが生徒全体の利益を最大化する道だしな。夏目が叫んでるような理想論に従ってたら、学校もろとも共倒れになっちまう」


 その説明だけで、文には充分伝わるだろう。


 高校生が夜遅くまで火を使った行事を運営する以上、地域の協力を得られなければ、女人禁制どうこう以前に、ファイヤーストーム自体が実現不可能なのだ。そして、この町で力を持ってる連中なんて、例外なく、うちのOBなわけで。


 男子も女子も参加できないのか、男子だけは参加できるのか、どちらを採るか。一人でも多くの人間が得する方を選ぶのが合理的だ。

 ファイヤーストームなんかが消えるだけならまだいい。が、現実はそれで済むわけがない。寄付金も地域からの支持も失うという結果は避けられない。全ての生徒会活動、部活動――生徒の学校生活全面が制限されることになる。


『……女人禁制のファイヤーストームなどというものは目的ではなく、権力者達に忠誠を示すための手段だと捉えているわけなんだな、君は』


「言語化助かる。でも、その通りだろ。寄付でも何でもさせてやれば、気持ちいい思いができるんだよ、ああいう大人は。連中を批判にさらしたところで誰も得なんてしねぇだろ? 金を払う方にも金を貰う方にも有益な方法があるんだから、俺はそれを選ぶってだけの話だ」


『つまりその方法こそが、君が生徒会長になり、女人禁制を存置させることだと、そういうわけだな』


「要約助かる」


 生徒達の選挙で決まったことなら体裁は整う。体面が保てる。大義名分ができる。女人禁制という明確な男女差別にも周りは途端に文句を付けづらくなる。

 それが学校側の考えであり、共学化以降の生徒会長の役割なわけだ。


「ま、俺だけじゃなく、今までの生徒会長さん達もやってきたことなわけだしな。文が言うほど大げさな話じゃねーよ。余裕余裕」


『いや、昨年度までとは状況が違うだろう。今は夏目がいるんだ』


「まぁ、それは、まぁ、うん」


 実際、前任までの生徒会長にとっては大した重荷ではなかっただろう。なぜなら、女人禁制に疑問を持つ生徒達は多くとも、声高に廃止を訴えてくる生徒はいなかったからだ。総会に議案が提出されたこと自体、共学化一年目の一度きりであった。


 女人禁制廃止運動がこの数ヶ月でここまで校内を席巻しているのは、夏目というリーダーの存在が大きい。……というのが、生徒と学校側の見解だが、その捉え方は正しくもあり間違っているとも俺は思っている。まぁ今は関係のない話だから別に言わないが。


 理由はともあれ、女人禁制廃止の声は今までになく高まっている。それを文は心配してくれているのだ。


「ま、貧乏くじ引いちまったのは確かだな」


『だろう? 何で君だけがそんなことを、』


「でも、文っていう大当たりも同時に引いてるからな! お前がいっしょに戦ってくれてるんだから、こんなのは簡単な勝負だろ。言っておくが、せっかくつかんだお前という幸運を逃がすつもりはねーからな? 俺と心中してもらうぞ」


『心中してはダメじゃないか』


「確かに」


『だが、君がわたしをそんな風に思ってくれていたなんて知れて、嬉しいぞ。わたしは君のことが好きだからな』


「そうか。勘違いされるから葉月の前で言わないようにな、それ」


『分かった。京子の前以外でたくさん言う。好きだ、難波。好き』


「淡々としたトーンでからかわないでくれ。感情がバグる。とにかく、頼りにしてるぞ、文。絶対勝とうな」


『ああ。無理はしてくれるなよ』


 そうして俺たちは通話を切る。

 やっぱり頼もしいな、文は。いちいち説明しないでも俺の考えをわかってくれるから一緒にいてめちゃくちゃ楽だし。むしろ俺以上に俺の気持ちを的確に表現してくれるし。最高の親友ってやつだ。たぶん。


「ふーん、そーゆーことだったんだー。さっすが文ちゃんは、哲也の考えが何でもお見通しなんだねー」


「ひっ……!?」


 突如、背中に当てられる柔らかな感触。お腹に回される二本の細い腕。耳元に吹きかけられる、生温かい吐息とウィスパーボイス。


「麻衣……何だよ、お前。いつ入ってきたんだよ……」


 後ろから、元コギャルの幼なじみが抱きついてきていた。ヘソ出しのクロップドTシャツにデニムショートパンツというラフすぎる格好で、小麦色の肌を露出しまくっていた。

 アムラーかよ。ってこの前ツッコんだら「あはっ、アムラーってー! 今どき古いっしょー!」ってバカにされた。何でだよ、つい最近までみんなアムラーアムラー言ってただろ。流行の移り変わり早すぎるだろ、90年代。


 そんな、お隣に住む元アムラーは、やはりいつも通り、嗜虐的な笑みを浮かべて、


「あはっ♪ 香織に呼び出されちゃってさ。『お兄ちゃんが浮気してるー』って通報しに来たよ?」


「あのアホ妹……!」


「でもそっかー、知らなかったなー、あたし、哲也の彼女だったのかー、しかも浮気されちゃってたのかー、あはっ♪」


「からかうなっての……もういちいち香織の相手なんてしなくていいからよ」


「なんでー? いーじゃん、可愛いし。それより、さ。せっかくだし、ちょっとあんたの部屋で時間潰させてよ」


「はぁ? 何でこんな夜中に」


 居間から聞こえてくる野球中継によると、もう抑えの槙原がマウンドに上がる時間だ。


「いやぁ、何か急にお姉が彼氏つれてきてさ。お父さんピリピリしちゃってて、あの家いらんないよー。あとまた阪神負けてるし」


「……そりゃ、仕方ねーな……」


 おじさん、娘と阪神のことになると怖ぇもんなぁ……。そんでやっぱうちの有力OBだし。

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