第2話 名前とは何であったろうか
そこ、美しい花の咲き誇る、穏やかな丘陵には、奇妙な葬列が一つあった。
黒い厳かな棺桶を、歓談しながら運んでいる。
それに、神の使徒を騙る青年が同行しているのだから、より奇妙と言えるだろう。
さて、その奇妙なマルコ青年は、棺桶を横目に見ながら、直ぐ側で歩く老齢の男に問いかける。
「聞いていなかったが、君の名前は何という?」
「名前で御座いますか」と男は、頭を傾げながら言う。
マルコは、その反応に疑問を抱いた。彼自身は、棄児であるのだから自身によって、名前を定めている。
しかし、この集団がそうであるとは考えがたい。きっと名前があるはずである。
マルコの様子に気付いたのか、老齢の男は言う。
「嗚呼、いえ。名前がない訳では御座いませぬ。単に、我々が名前で互いを呼称しないのです。ですから、少々驚いたのです」
「それではどう意思疎通をするのだ?」と、マルコは疑問を呈する。
「それは簡単で御座います。我々は朋と話すのでありますから、単に”君”だったりの言葉を使えば良いのです」
「しかし、それではその場に居ない第三者について話せないだろう」
「第三者で御座いますか?」
そう言うと老齢の男は、再度首を傾げ、そして言う。
「どうして第三者の話をする必要があるでしょうか?」
「必要はあるだろう、アイツは良い奴だ、とかの話題のために」と、マルコは答える。
「その話をするのならば、本人を交えれば宜しいでしょう」
「確かにそうであるが、内密な話だってあるだろう」
「どうして内密にする必要がありましょうか? 直すべき点があるのならば、本人に言うべきでありますし、不満があるならば本人言うべきです。だのに何を内密に話すのでしょうか?」
「いや、まあ言えないような文句があるだろう」
「そうかも知れません。いえ、その通りでしょう」
老齢の男は、頭を振りながら言う。
「ええ、その通りですとも、人間は誰であっても不満を抱きます。そして、それを人との間に成長させることでしょう。しかし、ですからこそ名前は必要などないのです。名前があるからこそ、その不満を共有、成長させることが出来るのですから」
あまりに奇妙な回答に、マルコは押し黙った。
その様子にはっとしたのか、老齢の男は言う。
「嗚呼、うっかりしておりました。私の名前は、カルロと申します」
「分かった。改めて宜しく頼む」と、マルコはカルロから視線を外した。
彼は、この話の内一度も人当たりの良い、その笑顔を崩すことはなかった。それが大変恐ろしかったのだ。
カルロの奇妙といおうか、それとも狂気的と言おうか……。その発言の真意を確かめるために、私は最後尾近くに居る娘に近づき、声を掛ける。
「やあ、ご機嫌ようお嬢さん」
その娘は、至って普通の町娘……。町ではないのだから、正しくはないのだが。
しかし、何ら特徴のない娘というのは本当で、麗しい訳でもなければ、特に醜悪でもなかった。
「ご機嫌よう。……貴方は、初めましてですよね」
「その通りだ。初めましてお嬢さん。私はマルコ、旅の宣教師をしている」
「そうなのですか、神様の使徒なのですね。宜しくお願い致します」
「それで君は?」
私の問いかけに対し、彼女は怪訝な表情をした。
その顔に、これは撤回すべきだと考え、焦りながら言う。
「あっ、すまない。今のは忘れてくれ。私自身、この葬列の名前に関するルールを先程知ったばかりなのだ」
彼女は多少納得した様子で言う。
「嗚呼そうなのですね。こちらこそ配慮できず申し訳ございません」
「いや、君は謝る必要ない。完全にこちらに罪過があった」と、配慮をするふりをしながらもマルコは考える。
この集団は一体何だ? 争い、小さなちょっとした悪意、それと出来心による小さな罪の発露、それの嫌煙のために名前を捨てたのか、と。
名前を捨てる、その行為は彼にとってたいした意義もないことだろう。事実彼は今”マルコ”と名乗っているが、これも古い顔見知りの名前を拝借したに過ぎない。
それに、今までも幾度も自身の名前を作り、そして捨てている。
しかし、その理由は言うなれば適応のためだろう。
だのに、この集団は諍いをなくすため、というだけに行っている。
それがマルコには理解することが叶わなかった。
名前というのは、いわばその個人を定義するものだ。それを捨ててまでどうして争いを嫌悪するのか。複数人が集まれば必ず起こりうるものを、過剰に嫌悪するのかと。
けれど、マルコの心の内には疑惑とともに、もう一つのものがあったことも認める。
これは面白い集団に出会うことが出来た、という心情はまさに子供のような興味関心だ。
だが、彼にはその激情に抗うことは出来ないだろう。
以前にも言ったが、彼は大変な飽き性なのである。彼を動かすものは、勿論損得勘定もあるのだが、一重に好奇心と言えるだろう。
さて、マルコであるが彼は件の好奇心に押されるまま、目前の娘に問いかける。
「そう言えば、この葬列は何処に向かっているんだ」
すると、娘は些か考える素振りを見せて、回答をする。
「あの棺、そこに眠る尊い御方に相応しい場所です」
その回答としては、不相応極まりないものに、マルコは内心笑いが堪えきれなかった。
嗚呼コレは面白い。集団で目的地が定まらぬ旅をするとは、何と狂気的なことであろうか。
しかし、その内に彼は納得をした。どうしてこの集団が、名前を捨てるほどに争いを恐れるのか、と。
「ああそれは何とも難しい旅だ。見つかることを祈ろう」
「お願い致します。牧師様にお祈りが貰えるとは、何ともありがたく思います」
「どうも」だのと、返答をしながらもマルコは心の内に願う。
この旅が幸先のよい物になること、それを多少願いはした。けれども、主だった願いはこの旅の波乱を願う物であったろう。
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