第十六章 求めて

アダムはリサの手帳を持ち、小屋へと戻っていた。雨が激しく降りつける中、彼の足は泥で汚れ、冷たい風が彼の頬を切り裂いた。だが、その寒さも痛みも、今の彼には何の意味もなかった。彼の中で何かが壊れ、そしてもう一度、何かが生まれようとしている。それは彼が自分でも理解できない、得体の知れない恐怖だった。


「リサ…俺は真実を知りたい…」アダムは手帳を握りしめ、小屋のドアを押し開けた。中は薄暗く、長い間放置された匂いが鼻を突いた。古い木材が軋む音が彼の足音と共に響き、まるで小屋そのものが生きているように感じられた。


その時、不意に何かが背後を通り過ぎたような気配がした。アダムは振り向いたが、そこには何もない。ただ、雨の音と風が吹き抜けるだけの、冷たく空虚な空間だった。


「エリカ…どこにいる?」アダムは震える声で問いかけた。


すると、背後からかすかな足音が近づいてきた。振り返ると、そこにはエリカが立っていた。彼女の目は虚ろで、その手には血に染まったナイフが握られていた。


「アダム…あなたも、彼女のように…」エリカの声は囁くようだったが、その響きはアダムの胸に深く突き刺さった。「リサと同じように…あなたもここで…」


「どうしてだ、エリカ! なぜこんなことを!」アダムは絶叫した。だが、エリカは冷たい笑みを浮かべ、彼に近づいてくる。


「だって…あなたが、私を見てくれなかったから…」彼女の声は歪んでおり、その一言一言がアダムの心を凍らせた。


アダムは後ずさりした。恐怖が彼の体を硬直させ、逃げることさえ許さなかった。エリカはゆっくりと、まるで彼の絶望を楽しむかのように歩み寄ってきた。


「リサは…リサは私に言ったの…『アダムを渡さない』って。だから…だから私は…」


その言葉の途中で、エリカは突然止まった。彼女の目が何かに驚愕したように見開かれ、その口から血が溢れ出した。


「何…?」アダムは息を飲んだ。エリカの背後に、暗闇から浮かび上がるもう一つの影があった。それは…リサだった。


リサの身体はあの夜のまま、ずぶ濡れで、彼女の目は空洞のように暗く、その手にはエリカの背中に深く突き刺さった鋭い石が握られていた。


「アダム…助けて…」エリカの声は小さく、そして儚かった。彼女の体はゆっくりと崩れ落ち、動かなくなった。


「リサ…お前は…」アダムは声にならない言葉で彼女に問いかけた。


しかし、リサは何も答えず、ただ彼を見つめていた。彼女の目には何も映っておらず、その無機質な視線がアダムの魂を飲み込んでいくようだった。


「違う…これは…」アダムは震える声で言った。「俺はお前を…助けたかった…!」


リサはゆっくりと顔を近づけ、その冷たい唇がアダムの耳元に触れた。そして、彼女は囁いた。


「もう…遅いのよ、アダム。」


その瞬間、アダムは強い力で後ろから突き飛ばされた。彼は床に倒れ込み、顔を上げると、リサの姿は消えていた。しかし、足元にはエリカの血が広がっていた。その血はまるで生き物のように、彼の身体に這い上がってくる。


「なんだ…これは…!」アダムは悲鳴を上げた。しかし、その声はかすかなエコーとなり、静寂の中に溶け込んでいった。


気がつけば、外の雨音も風の音も消え、小屋の中には彼の荒い息遣いだけが響いていた。そして、ふと自分の手元を見たとき、そこにはリサの手帳が開かれていた。


だが、そのページは真っ赤に染まり、血のような液体で書かれた文字が浮かび上がってきた。


「あなたも同じ運命を…」


アダムはその言葉を読んだ瞬間、全身が凍りついた。そして、背後に感じる冷たい気配。彼はゆっくりと振り返った。


そこには、リサが立っていた。そして、その隣にはエリカ。二人の女性が彼を見つめていた。彼女たちの目は空虚で、口元には不気味な微笑が浮かんでいた。


「なぜ…なぜ俺を…?」アダムは後ずさりし、壁にぶつかった。出口はもうどこにもなかった。


リサとエリカが一歩ずつ近づいてくる。「真実は、いつだって目の前にあったのに…」リサの声が低く響いた。「あなたは見ようとしなかっただけ。」


「お願いだ…助けてくれ…!」アダムは叫んだ。


その時、彼のスマートフォンが震えた。必死にそれを手に取り、電源ボタンを5回連打した。警察にSOSが発信された。しかし、アダムはそこで気づいた。


画面には、自分の顔が映し出されていた。しかし、その顔はまるで自分のものではないかのように、ひどく歪んでいた。そして、スマートフォンの画面に映る自分の背後に、リサとエリカが立っている。


「お前たち…俺を…」その瞬間、アダムは全身を凍りつかせる冷たい感触を背中に感じた。


ゆっくりと振り返ると、二人の女性が彼を見つめ、微笑んでいた。そして、同時に口を開いた。


「あなたも、ここに来て。」


その瞬間、視界が真っ暗になった。彼は意識を失い、静寂の中へと落ちていった。


だが、彼の意識の奥底で、かすかに誰かの笑い声が響いていた。それは、決して終わらない悪夢の始まりだった。



そう。現実を見るときが来たようだ。

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