第十四章 救急

アダムの意識は朦朧としていた。痛みと寒さが体中を支配し、周囲の音が遠のいていく。しかし、微かに聞こえるサイレンの音が次第に近づいてきていることに気付いた。


「間に合ってくれ…」彼の唇が動き、かすれた声で呟く。血で染まった床の上に横たわりながら、アダムは必死に目を開けて何かを確認しようとした。だが、視界はぼやけ、エリカの姿も、もう一人の影も、どこか遠くへ消え去ってしまったかのようだった。


突然、ドアが激しく開かれる音が響いた。


「警察だ!動くな!」怒号と共に部屋に突入してきた数人の警官が部屋を取り囲み、アダムの傍へ駆け寄る。「こちらに重傷者!すぐに救急を!」と警官が無線で叫ぶ声が、アダムの意識を呼び戻そうとするかのように響いた。


「…エリカ…」かすれる声で彼女の名前を呟いたアダム。しかし、警官たちは顔を見合わせ、不思議そうな表情を浮かべていた。


「エリカ?君は誰と話しているんだ?」若い警官が不審な顔でアダムを見下ろす。「この部屋には君しかいないぞ。彼女とは?」


「何を言っているんだ…さっきまで…そこに…」アダムは頭を振り、必死にエリカの姿を探した。だが、彼女はどこにもいなかった。まるで彼女の存在そのものが煙のように消えてしまったかのようだ。


「ちょっと待て!何かある!」別の警官が足元に落ちている血まみれのナイフを拾い上げた。「この傷は…彼自身がやったのか?」


「わからないが、今はこいつを救護するのが優先だ。」救急隊員がアダムに駆け寄り、止血処置を施す。「しっかりして!意識を保つんだ!」


「エリカが…刺したんだ…そこにいたんだ…見えなかったのか?」アダムはかすれた声で必死に訴えたが、警官たちはただ困惑するばかりだった。


「お前、何言ってるんだ?」若い警官が首をかしげながら答える。「他に誰もいなかった。君以外、ここには誰も…」


その言葉を聞いた瞬間、アダムは血の気が引くような恐怖に襲われた。「まさか…本当に…」


そして彼はふと、落ちているエリカの姿が映った古びた写真に目を向ける。それは、数年前に撮られたものであり、エリカとリサが仲良く笑っているものだった。しかし、その背後には見知らぬ男性の姿がぼんやりと写っていた。その男は、まるでアダム自身のように見える。


「エリカ…本当にお前は…」アダムは震える手で写真を握りしめた。


「おい、大丈夫か?」警官がアダムの肩に手を置いた瞬間、彼は背後から誰かのささやく声を聞いた。


「真実を…知る覚悟はできている?」


振り返ると、そこには誰もいなかった。警官たちも声を聞いた様子はなかった。


「これ…は…」アダムの意識は再び暗闇へと沈んでいく。しかし、その中で彼は気付いていた。エリカの存在が、単なる幻ではなく、彼自身の罪や過去と密接に繋がっている何かであることを。


そして、警官たちには見えないその「何か」が、彼をさらなる闇の奥深くへと誘っていくことを。




何か。


何だろう。


誰も答えを知らない「何か」

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