第十三章 存在しない記憶

警察署を出た後、アダムは息を荒げながら街の通りを歩いていた。頭の中は混乱し、いくつもの思考がぐるぐると渦巻いている。自分が殺人犯としてマークされているという現実は、まるで悪夢のようだった。


「なぜ…どうして…」自分に問いかけるように、アダムは呟いた。だが答えは見つからない。まるで見えない手によって全てが仕組まれているような感覚に囚われていた。


家に戻ると、彼は疲れ切った体をソファに投げ出した。壁にかかった時計の針の音が、やけに大きく感じられる。静寂が耳をつんざくように響き渡る中で、アダムの心臓は鼓動を速めていた。


「何が真実なんだ…?」呟きながら、アダムはスマートフォンを手に取り、過去の出来事についての記憶をたどろうとした。彼は事件当日のことを思い返し、自分が何をしていたのかを一つずつ確認しようとした。


しかし、どうしても思い出せない部分があった。まるでその記憶だけが霧の中に溶けてしまったかのようにぼやけている。焦燥感がさらに増していく中、彼はふと、ポケットの中に違和感を覚えた。


ポケットから取り出したのは、古びた鍵だった。見覚えのない鍵。だが、その触り心地や重量感には、なぜか奇妙な既視感があった。


「これは…どこで…?」アダムは頭を振りながらも、その鍵が自分にとって重要な何かを開くものだという感覚を否応なく感じていた。


それを確かめるように、彼は再び立ち上がり、部屋の奥にある古い引き出しを開けた。そこには、彼の過去の記録や手紙、そして…一枚の写真があった。


写真の中には、アダムとリサ、そしてエリカの三人が笑顔で写っていた。しかし、その笑顔には何か違和感があった。アダムはその写真をじっと見つめた。そこには自分が思い描いていた記憶とは異なる何かが隠されているように感じた。


「これは…違う、何かが…」写真を握りしめた瞬間、アダムの頭に激しい痛みが走った。


突然、彼の脳裏にフラッシュバックのように過去の記憶がよみがえった。――リサが崖から落ちる瞬間、そしてエリカが何かを叫びながらその場を走り去っていく姿。だが、その記憶の中にいた「アダム」は、まるで他人のようにその場を見ていた。


「俺は…あの場にいたのか…?」アダムは立ち上がり、呼吸を荒げながら周囲を見渡した。しかし、その時、スマートフォンが突然鳴り響いた。震える手で画面を確認すると、「非通知」からの電話だった。躊躇しながらも、彼は通話ボタンを押す。


「…アダム?」電話の向こうから聞こえた声は、エリカのものだった。


「お前は…一体…」言葉にならない疑問が口からこぼれる。


「真実を知りたいなら、もう一度あの場所へ来て。」エリカの声は次第に小さくなり、やがて電話は切れた。


その瞬間、アダムの頭の中で何かが弾けるような感覚があった。手に持った写真、古びた鍵、そして彼の記憶の断片。全てが一本の糸で繋がっていくように感じられた。


「真実を…」アダムは震える手で鍵を握りしめた。自分の知らなかった真実が、今まさに姿を現そうとしている。それは、彼が決して逃れることのできない恐怖と向き合うための扉だった。


しかし、次の瞬間、背後に冷たい気配を感じた。


「…誰だ?」振り向く間もなく、鈍い痛みが彼の背中を襲った。体が硬直し、足元がぐらつく。アダムは信じられない思いで自分の腹部に手を当てた。その手が濡れていることに気づき、ゆっくりと視線を下げた。手には鮮血がべっとりとついていた。


「な…んで…」かすれる声で振り返ると、そこにはエリカが立っていた。彼女の手には、鋭いナイフが握られていた。その刃先から滴る血は、まさにアダム自身のものだった。


「どうして…」声が震え、息も乱れるアダムに対して、エリカは冷たく微笑んだ。その瞳には一片の感情もない。


「真実なんて、最初からなかったのよ。あなたが信じていたものは、ただの幻想。」エリカは囁くように言い、アダムの耳元に顔を寄せた。「これが、あなたが選んだ運命なの。」


アダムは口を開き何かを言おうとしたが、体から力が抜け、ゆっくりと床に崩れ落ちていった。視界がぼやけ、意識が遠のく中、彼の耳にはエリカの笑い声が静かに響いていた。それは、冷たく、まるで深い闇へと引きずり込むかのような、狂気に満ちた声だった。


最後に目に映ったのは、エリカが手にしているナイフの光。そして、その背後で影のように立っているもう一人の姿。誰か、もう一人がいた。リサ…なのか?


アダムの意識が途絶える瞬間、彼の脳裏に再び浮かんだのは、崖から落ちるリサの姿だった。自分は…何を見ていたのか?


そして、静寂が訪れた。


「これが、あなたが選んだ運命なの。」


最後に目に映ったのは、エリカが手にしているナイフの光。そして、その背後で影のように立っているもう一人の姿。誰か、もう一人がいた。リサ…なのか?



だめだ……。



「まだ…あきらめ…てない…」アダムの意識がかすれかける中、彼は必死に手を伸ばし、ポケットの中のスマートフォンに指を這わせた。震える手で電源ボタンを5回連打する。


――ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。


SOS信号が送信され、警察への緊急通報が発信された。


暗闇の中で、アダムはかすかな希望を胸に抱きながら意識を手放した。



「はは…」アダムは静かに微笑んだ。

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