第6話 臨んだ絶望の淵

 綾乃は、懇願するような、半泣きしているような低い声を絞り出して空気を震わせる。やがてトーンは高くなっていき、鳥のさえずりのようなき声に変わる。


 一樹は呆然としていた。


 逆光が綾乃の体のアウトラインをくっきりとさせる。それはまるで後光が射しているかのようだった。



 ◆



 世に言うお嬢様育ちである綾乃。昼の生活と同様に夜もお淑やかに過ごしてきた。しかない。そもそも、知識がないのだ。


 「すごく……恥ずかしい……」


 綾乃は亮介がしてくれるような愛され方を知らなかった。


(亮介君に両腕を掴まれたの、キュンってした)

(動けなくするなんてひどい。ひどいのに、ドキドキしてしまう)

(一樹にこんな恥ずかしい姿を見られてる……)



 拘束感と羞恥心が、綾乃の閉ざされていた扉の一つを開けた瞬間だった。


 亮介は優しい。それとは裏腹に少し意地悪な面が綾乃には抗いがたい刺激となる。一樹に対する背徳感がそれを増幅する。


 「ちょっと……もうあたし……ダメ……」


 綾乃が前のめりに体を倒し、両手をつく。

 


 ◆



 その瞬間、襖を挟んだ一樹と綾乃夫婦は少しのズレもなく同時に息を呑む。


 数秒の静寂――。


 綾乃は瞳を閉じた。

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