第2話 衛乃の入学

 石川衛乃は、緊張していた。父の転勤に伴って東京の高校に進学することになってしまった衛乃には、当然新しく過ごすこの高校に、知り合いが一人もいない。よい友人ができるだろうか? 都会の雰囲気に馴染めるだろうか? 不安を挙げたら切りがない。そんな自身の心の乱れを感じながら、これから始まる入学式の開式を待っている。

 ふと、ザワザワと、体育館内がざわめきの声で満ちてきた。何事だろうと、衛乃がざわつく集団が視線を送る方へ目を遣ると、紫の風呂敷であろう布に包まれた、大きめのモノを胸に抱いた女生徒に皆の視線が注がれている。だが、その女生徒は、平然とした顔で入学式の新入生の列に加わっており、周りから受ける興味本位の視線の数々にも全く動じていない。

 衛乃は、その娘が胸に抱えた布に包まれたモノを、形からおそらく、一升瓶だと推測した。何故彼女は、そんなものを抱えて入学式に臨んでいるのだろうか? 周囲がざわめくのも当然だろうと思った。

 その時、予想通りというか、あまりにも場違いな荷物を抱えたその女生徒に、学園の職員が声を掛けにやってきた。遠巻きに見ていると、それを手渡すよう職員が求めたようだが、女性はそれを断り、依然、胸にその布に包まれたものを斜めに抱き続けている。女生徒は、まるで何事もなかったかのように、真っ直ぐ壇上を見つめている。開会が迫っているのを感じたのか、彼女の周囲のざわめきも少なくなってきた。

 隣のとなりの列に並んでいた石川は、彼女の凛とした振る舞い、それから綺麗な瞳が気になって、ややもして始まった入学式の学園長挨拶やら、お偉い人の祝辞やらは、全く耳に入ってこなかった…。


 入学式を終えると、明日からの始業のことについて、いくつか連絡があった後、解散となった。今日は入学式のみが行われており、上級生の姿はなく、新入生たちは皆、帰路につくようだ。会場の体育館から出ても、依然ぼんやりと風呂敷を胸に抱いた女生徒の後ろを歩いていた衛乃は、前方を歩く女生徒の元に数名の男子がやってきて声を掛け始めたのが目に入った。ふざけた調子の声から、興味本位にからかってやろうという悪意をその男子たちから衛乃は感じた。女生徒が、足を止めたので、自然と衛乃は、その娘に追い付いて近づいていく形となる。


「ねーねー教えてよ! 君、何でさあ、そんなもの抱えてんの?」

衛乃の予感は当たった。女生徒をからかう気満々の男子から、声が掛けられている。男子たちは三人組で、残りの二人も、彼女の名前を聞いたり、出身の中学校を聞いたりしている。その現場に近づいていく衛乃には、彼女が返事を全くしないため、話し掛けた男子たちが苛立ち始めているのが感じられた。

 さて、このまま通りすぎるべきであろうか? 判断に迷う衛乃は歩調を緩め、もう少し前方の様子を伺おうとしたのだが、急に彼女が振り向いたので驚いた。彼女と目が合う。そして、あり得ないことが起こった。しばし石川の顔を見ていた彼女が、

「石川くん。私のバッグから緑の紙の束を出して。輪ゴムで綴じてあるから、それを一枚ずつこの人たちに渡して。」

「えっ!?」

衛乃は、何故彼女が自分の名を知っているのだろうという疑問で固まってしまう。そんな様子を見た彼女は、

「あなた石川くんでしょ。聞こえなかった? 私の肘に掛かっているバッグから、紙を出して、この人たちに渡して。」

名前を呼ばれた衝撃で、ポカンとしてはいたが、衛乃は、言われるままに彼女のバッグから緑の紙の束を出して、男子たちの人数分の紙を束から抜き取ると、同様にやや呆気にとられている男子たちに手渡す。石川もその紙の文面を目で追ってみる。


柑美有希絵と申します。私の抱えているモノに興味をもち、話し掛けたくなるお気持ちはよく分かりますが、私は、その質問に答える気は、全くありません。どうぞ、私に構わずにお立ち去りください。


 紙が配られたことを確認したその女生徒は、手渡された紙を眺めて呆然としている連中をほっといて、とっととその場を立ち去ろうと歩き始める。石川くん!と呼んだにも関わらず、衛乃も置き去りにされている。自分の名前を何故知っているのか? どうしても確かめたくなった衛乃は、駆け寄って彼女に追い付くと、

「柑美さん!どうして、僕の名前を?」

柑美は、足を止め、衛乃の方を向くと、少しだけ微笑み、

「フフ、貴方は有名人ですもの…。でも、その様子だと、まだ目覚めてはいないようですね。では…。」

そう言い残すと、再び柑美は歩きだし、校門から外へ出ていってしまった。言われた言葉が、イマイチ理解できなかった衛乃は、もう一度彼女に駆け寄ろうと思ったが、後ろから声を掛けられ、立ち止まらない訳にはいかなかった。

「オイ、お前! アイツと知り合いか? 何だこのふざけたメッセージは!」

声を掛けてきたのは、さっき柑美に絡もうとしていた連中で、イライラしているのが伝わってくる。それは、そうだろう。言葉遣いこそ丁寧なものの、要は「あなたたちなんか、相手にしません。」そういう内容の文面だったからだ。衛乃は火の粉が自分に及ばないように、

「いえ、知り合いでもないし、何で僕の名前を知っていたのか、それすら分からないよ。」

そう答えた。だが、八つ当たりしたい欲求を堪えるようなタイプではない、その連中は、追及を止めてくれなかった。

「嘘をつくな! 知り合いでもない奴に、自分のバッグをあさらせたりするか!」

ごもっともな意見だ。衛乃も全く同意見。だが、事実は事実だ。

「そう言われても…。僕は、この春初めて東京に来たし、彼女が長野出身だったとしても、会ったことなんかないよ。」

衛乃が、淀みなく事実を告げてくるので、さすがに嘘と決めつけるのは止めたのだろう。その時、後続の女生徒の集団がやって来て、こちらをジロジロ見出したので、ようやく三人組も立ち去ることにしたようだ。衛乃は、その集団に感謝しつつ、自分も立ち去ろうと思ったのだが、その女生徒の集団の中の一人が、じっと自分を見つめているのに気が付いた。西欧の血が混じっているのかもしれない。プラチナ色のロングヘアーを所々青いリボンで結んだ髪型のその娘は、暫く衛乃に視線を送った後、チッと舌打ちをして、視線を衛乃から外した。

(え?!? 今の舌打ち、僕に対して???)

確信は持てなかったが、何だか、そう感じて立ち尽くす衛乃の横を彼女達が通りすぎていく。自意識過剰かもしれないが、プラチナヘアーの娘は、通りすぎる瞬間、こちらをチラッと見た気がする。彼女たちが校門をくぐって見えなくなると衛乃は、一人呟く。

「何だかすごい入学式になったな…。僕が有名人? 何の話って感じだよ…。」

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