愛の形

ふりったぁ

愛の形

 文則は手に取った短冊を見つめ、眉間にシワを寄せた。


 短冊とは呼ばれているが、黄色い画用紙を長方形に切っただけの紙である。

 狭い賃貸アパートには笹もなければ竹もない。

 どこに飾る気なのだろうと考えながら、文則は咥えた煙草を吹かし、もう一度短冊の文言に目を通す。


『フミ君が煙草で死にますように』


 見慣れた可愛らしい丸い字は、何度眺めても形を変えることはない。


「あっ。ちょっと、フミ君。勝手に見ないでよ」


 台所から酒とツマミを持ってきた結月は、文則の手にある短冊を見つけると慌てた声をあげた。

 文則の三白眼がジロリと結月を睨みつける。

 しかし彼の視線は、怒りというよりも呆れを含んだ色を帯びていた。


「今カノが俺の死を願ってんだけど」

「だってフミ君、死ぬなら煙草が原因で死にたいって言っていたじゃん」


 文則はタールの重い煙草を口から離し、白い煙を吐く。


「まぁ、言ったわな」

「チェーンスモーカーだもんね。そのくらい煙草が好きなんだもんね」


 結月は酒とツマミを小さなちゃぶ台の上に置きながら、ふとなにかを思いついたように目を輝かせた。


「煙草とアタシ、どっちが大事なのよ?」

「煙草」

「即答するんかーい!」


 きゃはは、と笑って結月は文則に飛びかかる。

 彼女の急な行動にも文則は動じない。彼は手に持った煙草をすこし遠くに退かしつつ、真正面から彼女を受け止めた。


「危ねぇだろうが。服に引火したらどうすんだ」

「フミ君が助けてくれるから大丈夫」

「うわ……愛が重いわ、この女」

「ウザい?」

「クソウザい」

「んふふ。正直なフミ君が大好き」


 不機嫌そうな表情を浮かべる文則に結月は顔を近づけ、文則の唇を喰む。

 彼女の舌は彼の舌と絡まり、しばらく愛を確かめ合った。

 そして満足げに文則から離れた結月は、目を細めて口元に手を当てた。


「煙草の味がする」


 二十二歳ながら童顔の結月が文則にだけ見せる笑み。

 煙草の味を噛み締めて、不味そうに顔を歪めながらも、口角を上げて文則を見下ろす様はまさしく妖艶。


――それを見るのが好きだと言えば、この女はまた付け上がるんだろうな。


 文則は吸いかけの煙草を自身の口元に運びながら、ぼんやりと自戒する。


「ユヅキは俺に早く死ねと?」

「ちょっと違う。アタシが希死念慮強めなのはフミ君も知っているでしょ?」


 結月は上体を倒し、改めて文則に抱きついて言う。


「副流煙とか、煙草の強要とか、なんでも良いから連れていってほしいの。愛する人の好む死に方で、愛する人と一緒に死にたい。これって幸せな終活だと思わない?」

「お前、達観してんのかお子様思考なのか、どっちかにしてくれよ」

「フミ君はアタシと死ぬのはイヤ?」


 ふ、と結月の耳元を煙が掠めた。


「むしろ地獄まで付き合ってもらうから、覚悟しとけよ」

「ヤダァ。フミ君ってば、なんで地獄行き確定なのよぉ」

「そりゃあ、素行が悪いからだろうな」

「この間ケンカしていた不良グループとは和解したの?」

「服従させた」

「きゃはは! フミ君は本当に極悪人だね!」


 言ってろ、と面倒くさげに呟く文則の低い声が結月の脳内で反響する。

 甘く濃厚な音が結月の思考を蕩けさせ、自身の中にあるべきであろう、人としての倫理観を失わせていく。


「フミ君」

「ンだよ」

「本当に置いていかないでね」

「置いていく訳ねーだろ。死ぬ時は一緒だ」

「うん。織姫と彦星にも、お願いするから」

「はた迷惑にも程がある」

「あっ。ちなみにフミ君は願いごと、なんて書いたの?」


 文則は結月の赤茶色の髪を優しく梳きながら、


「俺が死んだ時にユヅキが心臓発作を起こしますように」


 愛おしげに、穏やかな声でそのように告げた。



 口元から溢れる紫煙を眺めて、物思いにふける。



「結月」


 付き合っている男性に名前を呼ばれ、結月はそちらに振り返った。

 三年前まで長かった赤茶色の髪はショートボブに切り揃えられ、派手だった化粧もナチュラルメイクに変わっている。

 服装もオフィスカジュアルで小綺麗にまとめているためか、全体的に大人びた雰囲気があり、コンプレックスだった結月の童顔はあまり目立たなくなっていた。


「煙草なんて珍しいね。喫煙者だったんだ?」

「んーん。元カレの命日だから、吸ってみた」


 結月がそのように言うと、男性は目を丸くしてから、穏やかな眼差しを彼女に向けた。


「やっぱり結月は優しい人だね」

「そんな風に言うのは孝典だけだよ」


 ベランダで煙草を吹かしながら結月は苦笑する。

 孝典と呼ばれた男性は、やおら結月の隣に立った。


「元カレさんは、どのような人だったの?」

「他の男の話をすると、口の中に溜め込んだ煙草の煙を口移ししてくる人」

「……」

「チェーンスモーカーでさ、煙草を吸っていない時がないほどだったの。ある種のジャンキーだよね」


 結月はその時の文則の不機嫌な顔を思い出し、くふふ、と含み笑いをする。

 対する孝典は困った様子で眉を下げた。


「ええと……DV?」

「違うよ。いや、違わないか。でもイヤじゃなかったから……むしろSM?」

「結月ってハードな大学生活を送っていたんだね」

「ハードだったのは不良グループと喧嘩三昧していた元カレの方! 私はただの腰巾着だったの。お飾り? 元カレを際立たせるアクセサリーみたいなもの」


 そのように言ってから、


「若かったなぁと思うよ」


 結月はしみじみと呟いた。


「元カレは煙草が原因で早死すると思っていたのに、就活中の交通事故で即死。当時の私は相手の両親に疎まれていたから、ご遺体に手を合わせられなかったっけ」


 結月にとってあの頃のことは、ぼやけていて曖昧で上手く思い出せない。

 文則と共通の友人が何度か様子を見に来てくれたことは覚えている。

 死なないで、と言われた気がした。

 死なないで、結月は生きていて、と。

 そのようなことを結月が考えていると、孝典に肩を抱き寄せられた。

 相手の温もりが肩越しに伝わってきて、結月はすこし擽ったそうに笑う。


「なに? どうしたの?」

「結月が寂しそうな顔をしていたから」


 孝典はちいさな目を結月に向け、心配そうに理由を述べた。

 彼は優しい男だ。相手の心の機微にも敏感である。

 幼い頃から今に至るまでの二十数年間、傷だらけの生活を続けてきた結月にとって、孝典のような優しさは未知であり、消毒液のように身に痛く染みた。

 だから、このようにして月夜の晩に結月は包み隠さず傷を晒せるのだ。

 孝典は今の結月にとってかけがえのない、大切な存在であった。


「ありがとう、孝典」


 孝典の肩に寄りかかりながら結月は穏やかに笑う。


「孝典は私より先に死なないでね」

「もちろんだよ。僕は結月をきちんと看取るから。だから結月も……僕より長生きをしないでね」


 絞り出すような孝典の声には、苦渋と、優しさと、温もりがあった。

 結月は今世の幸せに寄り添い、そっと、諦めたような溜息を零す。


――あなたは『一緒に死のう』とは言ってくれないんだね。



 一軒家のベランダで静かに抱き合う二人の頭上には、美しく壮大な天の川が流れていた。

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