第43話 予期せぬ来襲

数日経ったが、母親は帰る気配がなかった。


やっぱり父親と会ってどうにかしないなと会社を出ながら考える。


ふと、会社のビル一階から出た時に、知っている立ち姿を見つけた。



(もしかして、あの姿)



不安になって、スマートフォンを取り出す。



「ユーキ君」



声をかけられて、やっぱりと思う。


目の前に、真一さんがいた。


後ろには、顔合わせの時に乗った自動車がある。



(なんでいるんだ?)



(ああ、トールも同じ会社だから分かるか)



考えながら、嫌な予感がしていた。



「母親のこと、ありがとうございました。話したいことがあるんですが、お時間よろしいでしょうか」


「えっと……喫茶店とかなら」



車には乗りたくない。前回の件でどうなるか分かっている。


っていうか、あんまり話をしちゃいけない気がする。



「喫茶店だと、どうせユーキ君にGPSがついてるから、トールに聞かれたくない話とか聞かれる可能性がありますよ」



ああ、そうか。


自分にとって聞かれて欲しくない話はないが、トールを傷つける話は聞かれたくない。


どうしよう。


二人はさすがにマズイ。



「どうしましょうか」



言いながら、手に持ったスマホを鞄にしまうふりをしてナツに電話をかける。


ナツは会社にいたから、今ならギリギリ間に合う気がする。


かけたまま、鞄に上向きに置き放置した。


もう大人だからわかる。


現実は、助けてほしい時に偶然助けてくれるなんて稀だ。自分で動かないと。



「自動車じゃないと、嫌な感じですか?」



ジリジリと後ろに下がりながら言う。



「無理にとは言わないけどね」


「またトールにぶん殴られますよ」


「そんなこと分かってますよ」



苦笑する顔を見ながら、どれだけ時間を稼げるかを考える。


二、三歩近づくと、なぜか相手からも近寄ってきたので、慌てて後ろに下がった。



「あんまり近づくとトールが怒るんで」


「それも想定済みだけど」



カツカツと歩み寄ってこられて、距離が詰まる。




「ちょっと待った」



振り向くと、ナツが会社の玄関にいた。


安堵で気持ちが楽になる。


ナツは怒ってはいないが、焦った足取りで近くまで駆け寄った。



「婚約者がいる子に近づくのはNGでしょ~」



そう言うと、抱き寄せられる。


よく見ると、めちゃくちゃ汗をかいていた。



「話をしたいなら、俺も入れて話してくれないとね!」


「……仕方ないですね」



ナツが笑うと、苦々しく真一さんも笑った。











自動車にナツも一緒に乗る。


今日はナツが譲らず、私も後部座席に座っていた。


ナツの手がこちらの手を握って放さないのは、所有権の証明な気がして恥ずかしい。



「本当に、やましい気持ちじゃないんですよ。母を連れ出してくれたお礼を言おうと思って」



安心させようとしているのか、軽いノリで真一さんは言った。



「本心がどうとか、どうでもいいんですよ。どう見えてるかが問題じゃないですか?」


「長時間だと持崎部長にばれるんで、手短にお願いします」



警戒心を隠さないナツは、私の代わりに淡々と話す。



「分かった。ユーキ君は、母からなにか聞いてる?」



話を振られて、母親の本当のことを話してもいいなと思う。


別に真一さんが勘違いしたことだ。間違いを正すのもいいだろう。



「お母さんは旦那さんが浮気してることで喧嘩してるみたいです。あと、身体の関係は無理矢理じゃなさそうです」


「ムリヤリじゃない? ただ身持ちが悪い女だってこと?」


「そんな言い方はないと思いますけど、なにかを守るために提供するってこともあるのかなって感じです」



言い方が悪いと思うけど、本当に嫌なら何度も行ったりはできないから、そうなんじゃないかなと思う。


正直、夫の仕事の失敗は、仕事の成果で評価を取り戻すものだ。


妻の家事や身体の提供でなんとかできると思っているのなら、相手が情にほだされたか、母親の勘違いだとも思う。


でも、それが彼女の中で正しいなら、口出しは必要ない。



「でも不倫じゃないか。で、親父も不倫。どうなってるんだ」



不快そうに真一さんはハンドルをきる。


気持ちはわかるけど、どうしようもない問題もある。


もう子供も全員成人してるなら、ほっときゃいいとも思った。



「でもお母さんは離婚する意思はないみたいなので、適当に喧嘩を収めて帰ってもらおうかと」


「そりゃあ、今更別れたくはないだろうけど。で、僕はなにをすればいい?」


「特になにも必要ありません。必要ならトールに頼むので」



怖いなと思いながら断る。



「俺もいるしね」



今まで一切口を出してこなかったナツが、ぽつりと言った。


真一さんは、納得いかないというように運転をしている。


納得できない気持ちも分かるけど、親だって所詮は他人だ。


身体の提供も辞めてもらえるなら辞めてもらいたいけど、そんなことをする人はいくらでもいるだろう。



(どう転ぶとしても、他人がとやかく言う話でもない)



真一さんの力を借りる必要は、どこにもなかった。


自動車は、話してる間に会社の周辺を二周ほどまわり、会社から少し離れた位置で止まった。








「じゃ、殴られないうちに退散するね」


「もう来なくていいよ~」



二人で自動車から降りると、ナツは指をピロピロと揺らしながら言った。


今後の付き合いを考えるとなにも言えない自分は、ただ小さく頭を下げるしかなかった。


バン、と車のドアが閉められて、発車する。


突然、ナツが抱きついてきた。



「え?」



そのまま口付けられる。



(……????)



驚いて、そのまま受け止めてしまった。


しばらくして、音もなく口が離れる。



「え、なに……」


「ミラーで見てそうだから見せつけた」



悪びれもなく、ニコッと笑う。



「会社の近くでまずくない?」


「持崎部長とのホモ疑惑が晴れるな」



照れる自分とは対照的に、ナツは何も気にしていなさそうだった。


ばれたら、大丈夫なんだろうか。


別に悪いことなんて何もしていないけど、怖かった。



「じゃ、会社戻るね。途中で抜けてきちゃったから」


「あ、うん。来てくれてありがとう」


「またなんかあったら呼んでね」



手を振って帰っていくナツの後姿を見送る。


ナツが来てくれなかったら、どうなっていただろうと思うとゾクッとする。



(なんか、この姿は、男の頃より確実に舐められてる気がする。)



それはそれで、得なことも多いけど。


自分の意見が通らないんだろうなという漠然とした不安があった。



(でも、この道を選んだのは自分だから。)



駅への道を歩きながら、自分を奮い立たせるしかなかった。







この日、トールに真一さんと会った話がバレることは結局なかった。


最近の彼の忙しさは、GPSを逐一チェックできるようなものではなかったからだ。




だけど、それ以上に大変なことになったことを、次の日に知った。

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