第28話 卑怯者のプロポーズ

水曜日


唇の腫れは次の日にはほぼ目立たなくなっていた。

ナツは一緒に住んでいる関係上、いつも唇を確認していたが、昨日、明日キスしようと言われた。


なので、今日またキスするのが確定した……んだけど。


(前もって言われてると、なんか気にしちゃうな)


朝食を食べながら考える。

ナツは何も気にしていないようで、服を着替えて身支度をしていた。

それにしても、見た目がよくなった。

中の人で容姿は変わるもんなんだなと思ってしまう。


「えっ、なに見てんの? イケメンすぎて興奮する?」


こちらの視線に気づいたナツは、冗談めかして笑う。

このくらい平和なら同棲したって良いんだろうけどな……と心から思った。


「お母さんの具合どう?」

「それがさー。めちゃくちゃ元気になってきたらしい。謎だよね」

「良かったじゃん」


やっぱり神様は願いを叶えてくれたらしい。

ちゃんとした結果が出るのは後だと思うが、とりあえずはホッとした。





男に戻らないだろうとは思っていたが、神様?が言った言葉も頭に残っていた。

一年以内なら戻れる可能性があるような言い方だったが、それが本当かは分からない。


とりあえず、日曜日ユリちゃんの家に行くことは確定で、メッセージアプリの連絡先交換はした。

良かった。名前が「鶏ささみ」で。本名だったらバレるところだった。


状況は上々。交流関係が薄かったせいか、男から女になったところで、なにも関係ない。

仕事もナツの営業がよく成績も上がっている。

結局、これで良かったのだ。





エロいことに巻きこまれている以外は。





夜。

食事が終わって、風呂から出る。

ナツは先にすべてを終わらせたらしい。

一応歯ブラシもしとくかと思って、歯ブラシまで終わらせた。

深い意味はないけど、一応。



リビングに行くと、ナツが座ってた。


「風呂、上がったけど」


話しかけてみたが、何も言わない。


「どうかした?」

「お母さん、詳しいことは検査しないとわかんないけど、ガチで治ってきてるっぽい」


こちらを見るナツの目は涙で潤んでいた。


「良かったじゃん」

「ユーキと会ってから、全部が好転した……ありがとう」


神様に願ったのがばれたか?

でも、言ってないからバレるはずがないよな。


「僕は関係ないよ。お母さんが頑張ったのが今出てきたんじゃないかな」

「でも、土曜日、泣いてたじゃないか。それから神社に行ったのは知ってるよ」


素直に行動しすぎたな、と思う。

だけど素直に言うと、母親にもナツにも負担だろうから言うつもりはない。


「関係ないよ」


少し笑って隣に座る。


「男に戻るの」

「戻らないとは思う」


戻れない、とは言わなかった。

戻れる可能性もあるし、病気が治ったことに関係がありそうだから。



ナツが、そっと頬を撫でる。

顔が近づいてきたと思ったので、目を閉じた。


最初は、音もないキスだった。


「最初に一緒にいた時は打算的だったんだ」


顔を離して、ナツは少し笑う。


「イケメンと知り合いみたいだし、人が良さそうだし、一緒にいた方が得かなと思った」

「正直、ごめん。入れ替わって良かったと思った」


自嘲するように笑って、ナツは僕を抱き上げて膝に乗せようとする。

重いのになと思ったので、自分でナツの上に座った。


「悪い人間なら、別に一緒にいなくて良かったんだ。身分証も持ってるだろうから、適当なところで消えればいい」

「本当のところは卑怯なんだよ。俺は」

「そうかな。ナツが卑怯なんて思ったことないけど」


向かい合わせになっているナツを見る。

ナツは、フフと笑っておでこに口づけした。


「ユーキは特別なんだよ」


「付き合ってた男は自己中が多かったし、男女がどうとか、言われなくても分かってたけど、選択肢がなかったし」


「でも女だって自分と同じく大体は打算的だよ。そういう人間ばかり集まる場所にいるからだと言われたらそうだけど」


「だけど、ユーキは違った。嘘だとしても、俺の母親を安心させるために、自分に不利な嘘をついた」


そんなこと言ったっけな。

会話を思い出しても、大したことは言っていない。しいていえば結婚前提ってやつくらいだと思う。


「結婚前提ってやつ?」


「うん。他にも、いいところはたくさんあって」


「相手に合わせられるのに、相手がやりすぎな時は目上でも止められるとか、本当に好きになった」


褒められるのが恥ずかしくて、少し前に出て抱きつく。

肩に顔を埋めると、腰を抱いていたナツの腕が頭を撫でた。


「自分が本当に幸せになれる人がいるって、やっと思ったんだ。自分の身体に入ってたけどさ」


「でも、自分を幸せにできるのは自分だけっていうじゃん。だから自分で幸せにするのが一番だよ」


それは入れ替わりの話とは違うのではと思ったが、言いたいことはわかる。


僕は僕を幸せにしたいとはあまり思ったことがないが、互いに幸せになれたらいい。



「ねぇ、ユーキ」



声のトーンが、切実なものに変わったことに気付く。



「ユーキにとっては自分じゃなくてもいい気がするけど」



「持崎部長がいてもいいけど」



「だけど、ずっと……一緒にいて」



最後は、泣きそうな声だった。

顔を上げると、声と同じ感情だと分かる顔が、そこにある。



感情を、どう伝えたらいいんだろう。

胸の中にある感情とは裏腹に、言葉が出てこなかった。



「ずっと、一緒にいるよ」



膝立ちで立ち上がって、僕の方から口づける。

やり方がよく分からないので、とりあえず舌を入れると、ナツがフフと笑った。


「へたくそ」


泣きそうな顔で微笑む顔は、昔の自分の時とは違い、艶やかだった。




それからは形勢逆転。


「んっ、はぁ、逃げないで」


絡み合う唾液すら舐めとられるような丁寧さで。


「はぁっ、んぶ、はぁ、あ、」


コクコクと頷くが、返事もできない。

口づけの他も耳を舐めたりしてくるので、止めようとするけど、指を絡ませられて止められる。

トールの貪るようなものとは違って、ナツは優しくて代わりに要求があったり、執拗だった。







一時間半後。


息を整えつつ、床に転がっていた。


「なんかやりすぎたな」


こちらを見下ろしつつ、ナツが前髪をかき上げる。


「大丈夫? すごい目がトロンとしてるけど……よかった?」


なんか余裕があるのが腹が立つ。

こっちはキスだけで疲れてるというのに。


「どういう顔してんのかわかんないけど」

「もっかいしてもいい?」

「もー今日はやだ」


唾液まみれなので、早くシャワー浴びないとと思うけど、起き上がる気力もなかった。


「今日ってことは明日ならいいんだ」


何も答えず無視をした。


「なんかでも、持崎部長が腫れるまでやるのわかったわ」


「でも、まじこれ自分でも怖いから先に言っとくんだけど、やばいかも」


「やばい?」


「なんか、次は自分の番ではあるけど、止まらなくてルール違反しそう」


「持崎部長なんてもっとそうだと思うから、次進むとしたら二人同時で監視しあうくらいがいいかも」


「監視……」


「ユーキは、いつ先に進んでもいいの? こっから先はけっこう進むと思うけど」


え~怖~。

でも、キスずっとしてたら、口がずっと腫れるしな。

ずっと我慢させてるっていうのも良くない気がするし。

ユリちゃんの話によると、恋は短期決戦らしいし。

でも、絶対良くない。半年くらい待ったほうがいい。


うーんと考えこむ。


でも、正直キスしてて思ったけど、ちょっと……なんか、進めたい気持ちもあるし。

もう付き合うとかその先も覚悟してたら、もう最後以外はいつでもいい気がする。

最後は、ナツが引っ越した後じゃないと良くないと思うけど。


「いつでもいいかも」

「えっ、じゃあ今週の金曜とかでもいい?」

「そんな早く?」

「だって、来週はキャバ行くから日にち多めに空けとかないとだし」

「確かに」



えー、でも心の準備が。

またずっとになりそう。でも後にしても唇が毎回腫れそうな気がするからな。

それに、いつかは通らなければいけないし、恋は短期決戦らしいし。

混乱した頭でぐるぐる考える。


「わかった」


正しいことなんて分からないまま、頷く。

心も体も20歳超えてるんだ。なんなら心は25歳。覚悟を決めろ。


本心は、たぶん自分も欲でしかないなと思った。


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