第22話 もしも願いが叶うなら
土曜日。
上田はお見舞いに出かけたので、先輩と二人で会う日だ。
泊まる予定ではあるけど、進むとしてもキスだけだと思うと気が楽だ。
今日は、行きたい場所があって、レンタカーを借りた。
「運転ありがとうございます。すみません。免許がなくて」
「いや、いいですけど。ユーキ君に免許があっても体が違いますからね」
そう。地味に嫌なのが免許が使えなくなったことだ。
もう一度とるのは正直面倒くさいしお金がかかると思っていた。
「今日は七鎌神社に行きたいんですけど、トール知ってる?」
「いや、知らないですね。なんですか?」
先輩は少し考えたあと、こちらを見て聞いてきた。
バッグに入れた六角形のお守りみたいなものを取り出して、先輩に見せる。
「これ、そこで作られてるみたいで」
「そうなんですか。なるほど」
軽い言い方だった。
先輩はスマホに七鎌と打ち、出てきた候補から選んでいく。
「七鎌神社の場所、トールは知ってるんだね」
スムーズに軽く操作する先輩を見ながら思ったことを言う。
先輩はこちらを見て、しまったという顔をした。
七鎌神社に行きたいと言った時、先輩は情報の確認をしなかった。
反応も薄い。だけど場所はスムーズに探せた。
検索するなら、場所や漢字を特定した方が楽なので、知らないなら聞くだろう。
少なくとも、先輩はそういう性質だった。
「最初の飲み会の日に写真を撮ったので……」
つまり、先輩はさっさと画像検索をして、独自に調べて結論に辿り着いたのだ。
結論に辿り着いても言わなかった理由は、言いたくなかったからだろう。
「やっぱり、僕とナツが元に戻るのは嫌でした?」
「……嫌というか、今の方がより良かったと言いますか」
それはそうだろう。
先輩は僕が男の頃からメスにしたいと思って見ていたっぽいし。
それが女になったら子が孕める。法的にも繋がれる。
中身が気に入っていて、外見も気に入るなら、今の方がいいだろう。
(気持ちはわかるけど)
苦しむ人には、喉から手が出るほどほしい環境だろうとは分かっている。
でも、望んでもいなかった今の自分にとっては、なぜかそれが苦しい。
「僕は元に戻りたいんですけど、そう思っているのは僕だけですかね」
僕の質問に、先輩は何も答えなかった。
それが答えなんだろうなと思う。
この体になってから、正直、心が付いていけていない。
まわりは欲を持ってることや、ぶつけられることも、その欲に適応することも。
適応したら戻れない気がするし、なくなったらその欲を今度は自分が持て余すことになりそうで。
人間はそうじゃない。もっと理性的であるべきだと思っている。
恋や肉欲に溺れたら、人間はダメになる。昔の自分はそう思っていた。
でも、欲に流されてる時は、正直揺らいでいる自分にも気付いている。
これ以上進んだら、芯までダメになりそうで、それが怖かった。
車を走らせて三時間。七鎌神社に到着した。
途中で食事をした時は、先輩のおごりだった。
「男でもよかったけど」という話を何度かされて、気を遣わせてるなと思った。
別にそう思ってしまうのは仕方ない。男同士は大変そうだし。
なので、抱きついてごまかした。
こういう処世術を覚えてしまった自分にもなんだかなぁと思った。
七鎌神社は、古くて寂れて見える割りに、大きめの神社だった。
座るベンチまで設置された境内は、木々に囲まれて厳かだった。
立て看板の説明を読むと、この神社に祭られているのは女性の神様らしい。
七鎌で悪縁を切ってくれて、女性に優しいらしい。
売店を見ると、六角形の紙についていた模様と同じ模様のお守りが売っていた。
御朱印も売っていたので、ユリちゃんのお土産に買った。
「六角形のお守りは売ってないみたいですね」
先輩のほうを見ながら言うと、先輩は頭を押さえていた。
「え、頭痛いんです?」
「なんだろう。ちょっと疲れたみたいです」
午前中に気を遣わせ過ぎたみたいだ。
今になって疲れてしまったらしい。
「そこのベンチに座ってて! ハンカチ濡らしてくる」
慌てて手水舎に行く。
手を洗う場所で、水が湧き出る場所のまわりにいくつかの柄杓がおいてあった。
そこに巫女のような恰好の女性が柄杓を持って立っていた。
「どうかしましたか?」
姫カットの女性は、白の着物を揺らして穏やかに笑う。
「あの、一緒に来た人が具合が悪くなってしまって」
「男性ですか?」
「はい」
「ではこれを」
女性は柄杓で水をすくい、こちらに水をすくった器の部分を差し出す。
意図を理解してハンカチを差し出すと、水をこぼして湿らせてくれた。
「男性はここに来ると、そうなりやすいんですよ」
「初耳です。そんなことあるんですね」
「七鎌様は影響を起こしやすい神様なので。一緒に行きますね」
神社の関係者なら部屋の中に入れてくれるのかなと思い、ベンチまで連れていく。
先輩はベンチの上でぐったりとしていた。
「え! 大丈夫? なんでこんな」
「頭を冷やしておけば大丈夫ですよ」
女性は僕が持っていた濡れたハンカチをひょいと取り上げると、先輩のおでこにのせる。
先輩は薄く目をあけると、安堵したように再び目を閉じて眠った。
(顔が穏やかになった。大丈夫そうだな)
「で、あなた、魂が男性じゃない?」
こちらを振り返って女性が言う。
「ぇっ?!」
やっぱり巫女だから、不思議な力があるのかもしれない。
ここの神社の人っぽいし、事情を話したほうが良さそうだな。
バッグから六角形の紙を取り出して、女性の前に差し出す。
「あの。これ、知ってますか?」
「これは、お祭りで売る縁結びのお守りね。特別なものだから1万円するのよ」
「えっ、そんなに高いんですか?」
「効果があるから高くても売れるのよ。で、これがどうしたの?」
「これが僕のズボンのポケットに入ってて、その日に女性と魂が入れ替わったんです」
「入れ替わった? 女性の願いをきくとかそういう効果はあるけど、魂が変わるなんて……」
「でもそうね。相手の女性がもう女性でいることが嫌だったとか、そういうことでなったのかも」
あの時は浮気されて泣いてたから、その可能性はありそうだ。
「どうにか元に戻らないですかね」
「これはふたつでひとつなんだけど、もうひとつは?」
「えっ、これもう一個あるんですか?」
「ああ、知らないのね。でも一個じゃ確率は50%ね」
「もう一個あれば絶対戻れるんですか」
「そうね。こちらのミスだから一個はなんでもお願いはきけるけど、魂の入れ替えは難しいから必要ね」
確定で言えるんだ。
しかも、一個お願い聞いてもらえるってけっこうすごい気がする。
一億円ほしいって言ったら叶えてくれるのかな。
欲深いことを少し考えて、あることを思い出す。
「お願いって、一億円ほしいとか、病気を治してほしいとかでもいいんですか?」
「一個だけならね。迷惑賃って感じ。病気が重い場合はちょっとめんどくさいから、二万円くらいお賽銭に入れておいて」
二万円でいいの? 神様ってわりと無欲なんだな。
「後でもいいですか? もう一個のお守りが見つかるかもしれないし」
「いいわよ。私がいなくても、お賽銭とか入れて祈れば分かるようにしとくから。鈴は鳴らすのよ」
「わかりました。鈴鳴らします」
「ただ、タイミングが遅すぎても叶わないから、なるべく早くね。魂が定着し始めてるから」
女性はそういうと、こちらに一歩近づき、僕の目に手を近づける。
手に隠されて何も見えなくなると同時に、木々が風に揺らされ一斉に葉擦れの音を立てた。
「え?」
目の前の女性が消えていた。
代わりに、まわりがやけに賑やかに感じる。
周囲を見回すと、観光客のような人々が何人か歩いていた。
(さっきまで、いなかった……よな)
「ユーキ君、用事は終わりました?」
声をかけられてベンチを見ると、先輩が元気そうな顔でこちらを見ていた。
「先輩、元気になったんだ!」
「ああ、確かに。そうですね。具合悪かったんでしたっけ?」
先輩は頭にくっついている濡れたハンカチを剥がして不思議そうな顔をした。
「あとトールって呼んでください」
「あ、すみません」
元気そうだからいいけど、不思議な感覚だ。
(もしかしたらあの巫女みたいな人って、神様の仲間?)
こんなことできるのは、人間ではないし、幽霊ではないだろう。
本当に男に戻れる可能性が高いんだ。
だけど
病気も治せるなら、上田のお母さんも治せるんだよな。
思い出して聞いちゃったけど、聞かなきゃよかった。
治せると分かっていて叶えなかったら、自分が悪い人間に思えてしまう。
「トール。おうち帰ろう」
重い気持ちを隠して、ベンチに座る先輩に手を差し出す。
何もしらない先輩は、笑顔でその手を掴んだ。
「帰り道、展望台行きません?」
そんな先輩の提案で展望台にのぼる。
時刻は日暮れ時。
展望台に着いた頃には日が暮れていた。
「展望台、はじめてきた。キレイだな」
360度ぐるりと回った窓ガラスの向こうに、夜景が広がっている。
まぶしい夜景の裏側は、田舎なのか絶景とは言えないレベルに薄暗くなっていた。
夜景なんて見にいく人の気が知れないと思っていたが、来てみると印象が違う。
星より多い光の一つ一つの下に、人が生きていると思うと不思議な気持ちになった。
「トールの家ってあのあたり?」
「ですね。ユーキ君の家はあのあたりですよ」
「うちの方が土地価が低いから暗いな」
そんなことを話しながら、少し盛り上がる。
指をさした手の上に手を重ねられて、少しだけ止まってしまった。
なんか、またこういう雰囲気に。
慣れないなと思うし、掴まれた手が熱くて、無性に照れてしまった。
「ここ、混んでるから、ちょっと歩こうか」
ご家族連れに見せてはいけないなと、先輩と手をつないだまま展望台内を歩く。
薄暗い施設内を歩いていると、恋人だらけだなと思った。
「虫は明かりに引き寄せられるけど、カップルは暗がりにいるんだ」
「ここにきてロマンがないことをよく言いますね」
先輩は軽く笑う。
その顔がなにか言いたげに見えて、じっと顔を見つめた。
「ユーキ君に説明したいことがあって」
「男でもいいっていうのは理解したので、もう大丈夫ですよ」
言いにくそうな先輩を見て、先にサポートしてみる。
先輩は、苦笑しながら首を横に振った。
「たぶん、嫌だったのは、無意識に強制されてることですよね」
胸の中に隠していたことを言い当てられた気がして、固まる。
「私はユーキ君の肉体的な負担を減らしたいだけで、別に精神に負担をかけたいんじゃありません」
「好きに生きてください。私は、そんな君が好きで傍にいたし、どんな形であれ一緒にいますから」
先輩が、ゆっくりと誤解しないように話してくれる。
ギュッと胸が苦しくなった。
「うん」
だけど、違う。
自分の中にある感情はもっとドロドロしていて欲深いもので。
自分の中の「どんな形であれ」がもうたぶん変質してきている。
「ありがとう」
愛か欲か分からない。
こんな気持ち、あまり知りたくなかった。
口で笑みを作り笑う。
少し困惑している先輩の顔に、きちんと笑えているだろうかと思った。
「僕は、トールのことを好きだよ。たぶん、トールが思ってる以上に」
「困らせてごめん。でも、決めたらちゃんと言うから」
「はい。待っています」
先輩が、頬を撫でる。
色素の薄い瞳に、夜景の光が少し入って輝いた。
「だからそんな顔しないでください」
ああ、これは、この感情は、恋でいいのだろうか。
わからないまま、頬に当たった手に頬を擦り寄せる。
手の体温くらいしか、確かなものがなかった。
その晩、先輩の部屋で抱き合って横になる。
なぜか先輩のシャツを着せられていた。
先輩は大きめなので、シャツも大きく、下がなかった。
やはり男の夢らしい。
平等にするべきかと思って着たけど、大きいので安心感があった。
なんか、抱き合うのも慣れてきたかもしれない。
「一回しかいわないので聞いて」
「なんです?」
「朝、起きてない時なら、下着見ていいよ」
「……は」
「起きてない時だけだよ。ナツには見られたから」
「えっ、ど、どの程度? 聞いてないんですけど」
「なんか朝起きたら胸の上まで服がめくれあがってた」
「上まで?! 全部じゃないですか」
「トールの服は大きいからそこまで事故らないと思うけど、一応言っとく」
先輩は報告義務が機能していないと嘆いた。
でも、今報告したからいいじゃないか。
「もう寝よう? 疲れたよ」
「眠れないですよ! ああでもユーキ君より早く起きないといけないんだ!」
「ねますよー」
騒ぐ先輩を置いて目を閉じる。
心音が耳に届きそうな位置にある胸は、温かくて安心感があった。
本当になぜかすごく疲れていたので、すぐ眠りに落ちた。
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