第20話 幸も不幸も傍にいる相手で変わるもの。
雨の中、二人で帰る。
傘を持ってきていないから、二人で一本の傘を買ってさした。
「俺、土曜日は実家に泊まって、お見舞いに行くよ」
「うん。それがいいと思う」
今、上田の実家は人がいない。
防犯のためにも、整理のためにも大切なことだろう。
「でも、家探しにくくなる……ごめん」
「仕方ないよ」
足音が消えるほどの雨音。
無言で歩いていると、鼻をすする音が聞こえて、横を見上げる。
上田が無言で涙を流していた。
「え……と、大丈夫?」
突然のことに驚きながら問う。
ハンカチを持っていないようだったので、ハンカチを出して渡して傘を受け取る。
「さっきさ、スマホで弟とお母さんとやり取りしてたんだけど」
「弟、俺が貯めたお金要らないって」
「そうなんだ」と言おうと思って、違うかと思い口を閉じる。
上田は、二人のために必死に頑張ってきたのだ。
それを必要ないと言われたら、辛いだろう。
「お母さんも、あげたお金貯めてたよ」
「二人とも、自分のためにお金を使えっていう」
泣きながら、途切れ途切れに話す。
「お礼は言われたよ」
「でもさ、何のために、働いてきたんだろう」
「二人のためだと思ったから、媚び売って頑張ってきたんだよ」
「恋人に騙されたのはこの際どうでもいいよ」
「でも、こんなの、言いたくないけど、これだって騙された気分だ」
どうしたらいいだろうと思い、肩を抱くように引き寄せる。
次の瞬間、肩を抱く僕の手を外すと、正面から抱きしめられた。
(傘が差せないし、鞄、濡れるな)
少し悩んで、鞄は肩にかけなおして、傘は道の端に落とす。
なにも言えないまま、背中に手を回した。
「今まで、何人も付き合ってきたのに、今日まで親とまともに抱き合ったことなかったんだ」
「したかもしれないけど、衝動は理解と違うってこの前、思った」
「この前?」
「俺と抱き合った後、ユーキと持崎部長が抱き合ってた時、腕をまわすって言ってて、求めたことがなかったと思った」
確かに上田と抱き合った時は、どっちも上田が抱きしめてきたなと思う。
「じゃあ、分かってよかったよ。僕もよく知らなかったし」
なるべく気分が軽くなるように言う。
雨が服を濡らし、肌を湿らせて冷えてきていた。
帰ってから話そうと言いたかったが、言える空気でもない。
「ねぇ、ユーキ」
「ん?」
「お母さんと俊樹はなんで必要ないのに言ってくれなかったんだろう」
「仕事をやめろって言ったことはなかったの?」
「二人とも好きな仕事をしたほうがいいって何回か言ってたよ。新卒の就職も捨てたから」
それなら、止めるのは難しかったんじゃないかと思う。
止めるとなると、弟は自分の戸籍の話をしなければいけなくなるし、母親は病気の話をすることになる。
結局、上田は母親の病気を気にして生きていくことになっただろう。
「たぶん、全員、自分のことで精いっぱいだったんだよ」
「分かってるよ。わかってるけど、結局、隠されていたという事実は変わらないじゃないか」
どう説明したらいいのだろうかと思う。
母親に口止めをされた時、あの時の表情は切実さがあった。
上田が仕事を隠したかったように、弟だって隠したくて、母親も病気を隠したかっただけなのに。
(ああ、そうか。事実をそのまま言えばいいんだ)
自分だって母親の病気を知りながら言わなかったんだから同罪だ。
言わなかったのは、彼女の決意を無意味なものにしたくなかったからだ。
上田の身体を、ぎゅ、と抱きしめる。
「僕だって、上田に母親の病気を隠してたよ。言わないでくれって言われてたから」
「……なに?」
「紹介されてバレた日に、気付いて話して止められた」
誤解しないように、言葉を選ぶ。
「お母さんは上田に自分の介護なんてしないで幸せになってほしいって泣いてたよ」
言葉は違うかもしれないけど、たぶん、これが本心だと思う。
上を向くと、雨が顔に落ちて、涙のように流れていった。
「上田が必死に頑張ってたように、お母さんだって必死だったんだ」
浅い呼吸音が耳に届く。
軽く背中を撫でた。
「弟だってそうだよ。自分の口で傷つけたくなくて、言えなかっただけだ」
「……そうなのかな」
浅く呼吸する声は震えていた。
「本心では、一番わかってるだろ。家族なんだから」
横にある頭が、ちいさく頷く。
自分には家族の気持ちなんて全く分からないが、上田は違うようでよかった。
「今、知られたから本心を言えただけで、これは噓じゃない」
泣いている上田を撫でながら、目を閉じる。
一歩間違えれば優しさも裏切りになるのに、全員言葉足らずで不器用だ。
下着まで濡れた雨の中、泣き止むまで抱きしめていた。
一時間後
家に帰ると濡れたスーツを脱いで、洗濯機で洗う。
その隙に上田が風呂に入ったと思ったら、すぐに出てきた。
直前にモコモコの部屋着を着ていたので助かった。
「じゃあ、次はいる~」
着替えを持って、入れ違いに風呂に向かう。
「ユーキ。お願いがある」
すれ違いざまに後ろから抱きつかれた。
「ちょ、汚いよ」
抗議しようと振り向いたが、切なそうな顔に止まる。
「えーと、何?」
「土日は持崎部長に譲るから」
「うん」
「だから、今日だけは俺だけの恋人でいて」
抱きしめられたまま、耳元で囁かれる。
(やっぱり、寂しいんだろうな)
何をすればいいんだろうと思う。
断わる理由も薄情さもないけど、言葉にすることも野暮に思えた。
返事の代わりに頬にキスをする。
「え?」
上田がこちらを見て呆けている。
その顔を見てから、耐えられなくなりそのまま風呂に逃げた。
が
上田はたくましかった。
風呂の外で今日何をするか悩んでいた。
「キス……は無理だから、うーん」
扉の外から、そんな話が聞こえてくる。
聞きたくない気持ちと、もうキスくらい顔の一部と変わらんだろという気持ちで混乱していた。
もう先輩には顔にされたから、似たようなもんだろ、みたいな。
「キス、いいけど」
許可がないからかなと思い、言ってみる。
「キスすると、順番的に最後のほうのご褒美展開が減る」
「……なにそれ」
「知ったら嫌われるから言わないけど」
嫌われるようなことをしようとしてんのかよ。
とんでもないことな気がして怖いな。
「持崎部長、マジで仕事できるわ」
文句を言う声が遠ざかる。
よく分からないけど、先輩はいい仕事をしたらしい。
その隙に、手早く洗い終え、身体を拭いた。
コンコンと扉が叩かれた。
「ユーキ、ちょっと開けて、これ着て」
なんだよ、と思いながら少しだけ扉を開けて服らしきものを受け取る。
持ってきたのは、薄い男物のTシャツだった。
下に穿くものがない。
「下がないけど」
「男のロマンです」
うさんくさい返事を聞きながら、息を吐く。
彼女って言ったし、それなりに、やってあげないといけないよ。男として。
よく分からないことを考えながら、とりあえずTシャツを着てみる。
(……ッ!)
この前のモコモコ部屋着は足出ててもいい気がしたけど、なんかダメなような気がする。
下があまりに無防備すぎる!
でも今日は辛い日だったから、このくらいは我慢してあげたほうがいいか。
でも、ずっとこれで動き回るのは恥ずかしい気がする。
最初に着ようと思ってた寝巻のズボンを履いた。
風呂から出ると、上田はスーツを干していた。
「なんで下に穿いてんの!」
「あれで動きまわったらぱんつ見えるからやだよ」
「じゃあ、寝る時! 寝る時だけでいいから」
「そんなに……?」
まぁ、どうせ布団に隠れるしいいか。
さっきまで落ち込んでたのが治るなら、彼女として。
今日一日彼女って言われたけど、なにもしてないし。
「うーん……わかった」
納得いかない気持ちもある。
だが、今日のことを思えば元気付けたい気持ちが強かった。
本当は男なのにな、と思いながら寝る支度をしてベッドに向かった。
自分のシングルベッドに上田が横になっている。
そういえば二人で添い寝は初めてかと緊張してしまう。
電気を消して、ズボンを脱ぐと、サササッと隣に寝る。
上田がスマホを操作しているので、薄明るかった。
「撮ったら殺す」
「撮らないよ。流出したら嫌だし」
現代においてスマホで撮ったら最後、どういうミスで共有流出するか分からない。
これは上田の身体なので撮らないだろうなと思ってはいたが、安心した。
「彼女ってなにするの? 添い寝だけでいいの」
「じゃあ、抱き合ってもいい?」
「うん」
自分から近寄ると、ぎゅうと抱きしめられる。
さっきは雨の中寒かったけど、今は暖かくて安心感があった。
「これだけでいいんだ。もっとすごいことすると思った」
「いや、あんまり嫌の範囲が分かんないし」
この前の件もあって、上田も気を遣っているみたいだった。
「先輩は僕が嫌だって思ったら分かるって言ってた」
「他人なのに分かるわけないじゃん。いつか失敗するぞ。馬鹿だね~」
そういいながら、上田はぼくのおでこにキスをした。
「そんなことより、今日は俺の彼女なんだから、他の男の話しないでほしいんだけど」
「……ごめん」
気遣いが足りなすぎたと思い謝る。
「別にいいよ」
いつも明るい上田が静かなので、少し不安になった。
「上田、元気ないね。子守歌歌おうか」
背中をポンポンと叩きながら言う。
そんな僕を見つめながら、上田はゆるく笑った。
「気にしてくれるんだ。嬉しいな」
「気にするに決まってるだろ」
話しながら、ふふと笑う顔に、寂しさを感じる。
本当に大丈夫なのだろうか。
「じゃあさ、お願いがあるんだけど」
「うん。いいよ」
「名前、上田じゃない名前で呼んでほしい」
「名前?」
確かに、苗字呼びは他人って感じか。
それを言ったら、先輩はどうなんだって気もするけど。
でも上田の名前って、可愛かったよね。
「え……でも愛夏でいいの?」
「うーん。二人の時はいいけど、外じゃちょっとな」
アイナという呼び方は、外国の人なら合うかもしれないけど、モブ顔の元自分の顔には合わない。
上田が中に入ってからかなりマシになったとはいえ、日本人の遺伝子には逆らえないのだ。
アイが合わない気がする。それなら下か……。
「一文字だけ使うとか?夏とか」
「ナツ! いいじゃん。呼んでみて」
目線を合わせて言われて、照れてしまう。
「……ナツ」
「最高! これでいこう! 耳元でも言って」
「耳元?」
「男の夢!」
そんな夢、自分は持ってなかったけどな。
心の中でつっこみながら、腕からすり抜けて、耳元で名前を呼ぶ。
なんだか、すごく照れてしまった。
「やばい。元気になってきた」
「それなら良かったけど」
するすると布団に戻り、また同じ位置に元に戻った。
これは、たぶん友達じゃなくて彼女だから喜ばれたことなのかな。
まだ、正直、恋人の範囲が分からなかった。
だけど、今はそれでいいのかもしれない。
目の前の上田……ナツが喜んでくれたことが、自分にとても嬉しくて、満足だった。
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