第19話 誰もが後悔しながら生きている。
木曜日。
夕方5時
シャッチョの自動車に上田と共に乗り大通りを走る。
空は泣き出しそうな曇天だった。
「上田、大丈夫だから」
話しかけるが、上田の顔は暗い。
午後に弟から母親の入院の連絡が来てから、ずっと落ち込んでいた。
ただ、身体は僕なので、僕も行かなければ病院にはいけない。
同時に病院に行くには、仕事が終わらなければ行けなかった。
今日は、エクストラと新事務所に使う商品に関しての現場の確認をする予定だった。
だが、あまりに上田が落ち込んでいたためシャッチョにバレた。
結果、今、現場に行く車で病院に向かっている。
「現場に行ったことにして、直帰連絡したらええ」
「本当にありがとうございます」
運転するシャッチョに、後部座席にいる上田は頭を下げる。
助手席に座っていた自分は、その様子をただ見ていた。
「ユーキちゃんに事務所の図面送っとくから、ちゃんと搬入できるか確認しといてね」
「はい、必ず。ありがとうございます」
一言二言話せば会話が途切れる、重い空気。
シャッチョが気を遣って軽快な音楽をかけた。
「そういえば、この前の~独り言、役に立った?」
「あ、役に立ちました! ありがとうございます。彼氏と店が繋がってたっぽいです」
明るくなるように返事をして、色々説明をする。
簡単に上田の前の仕事などを話すと、シャッチョは考えるように唸った。
「ヘェ、上田さん波乱万丈だなぁ。店の名前とか聞いても?」
「……ララリラです」
「知らんなぁ。ま、店はたくさんあるからなぁ」
「ま、なにか良い情報があったらまた伝えるよ」
「すみません。送ってもらってるだけでもありがたいのに」
上田が頭を下げた。
少し小雨が降り始めている。
音楽がかかっているのに、走行音がやけに目立って聞こえた。
「上田さん、辛い時に気ぃ遣わんでいいぞ」
「…はい」
「オレのオトンもオカンも早く死んだからな~死に目に会えるだけでも奇跡みたいなモンだ」
「シャッチョは会えなかったんですか?」
上田が返事をするのも辛いだろうから、自分から聞いた。
「ウン。片方は病気、片方は自殺だった。どっちも会えなかったなぁ」
「それは……」
自殺、というワードに何も言えずに戸惑う。
シャッチョはごまかすように少しだけ笑った。
「どちらにしても後悔するだろうから、自分が悔いがないというように生きな~」
「どうやっても後悔するんですか」
上田が、鈍く反応するように聞く。
「する。だから母親に何かするなら、相手のためじゃなくて自分のためにやったほうがいい」
「自分のために」
「後悔しても過ぎた時間は戻らないからな」
「……はい。わかりました」
自動車は、流れるように目的地の病院に到着する。
入院病棟を多く構える病院の駐車場は広く、止まりやすかった。
「本当に今日はありがとうございました。今度お礼させて下さい」
「わはは、じゃあ今日無理だった分の対戦、今度しよー」
「いくらでも」
自動車を降りながら、お礼を言う。
上田はお礼を言うと、足早に入館の手続きをしに行った。
ふと、シャッチョが真顔になる。
「そういえば、ユーキちゃん」
「なんでしょう」
「あの六角形の紙な、七鎌神社ってとこのらしい」
「えっ」
「前に車に似た絵のお守り下げてるの見たんだわ。で、この前また見た。六角形じゃなかったけど」
「ありがとうございます!」
「まぁ関係ないかもしれんけど。場所は後でスマホに送っとくわ」
「助かります!」
「ウン。じゃ、オレ帰るな~!」
やっぱり仕事ができる人っていうのは、情報も早い。
走り去っていく自動車を見送りながら、本当に関心してしまった。
(あ、早く病室に行かないと)
ハッと我に返る。
足早に病院の入口に走った。
病院に入り、夕暮れ時の病院を歩く。
名前を見て、入った病室は6人部屋だった
一番左の窓際のベッドに、母親は眠らずに座っていた。
「お母さん」
上田が話しかけると、母親はこの前と同じ穏やかな笑みで迎えてくれた。
「愛夏。竹下さんも。お仕事してたわりに早かったのね。来てくれてありがとう」
「今ね、愛夏の叔母さんが来て、俊樹と一緒にお医者さんの話を聞いてるの」
俊樹というのは、上田の弟のことだろう。
(上田、男なのに気にしないで話してるから、隠したほうがいいな)
上田は気にしないだろうけど、叔母と弟が見たら驚いてしまいそうだ。
仕切りのカーテンを引いて見えないようにする。
誰が来てもいいように、見張りのように入り口から見える位置で立つことにした。
「俊樹ねぇ、叔母さんの家から高校に行ってたから、驚いてるの。だからフォローしてあげて」
「私だって驚いてるよ。先週だって病院に行ってって言ったのに何でもないって言い張ってたのに」
母親の言葉に、上田は文句を言う。
「嘘をついていてごめんね。でも、もう1年半前から分かってたことだから」
「そんなに前から」
「お母さんね、ちゃんと自分で生活できる間は、自分で、あの家で生きたかったの」
二人の話を聞きながら、母親の終の棲家を思い出す。
柔らかな日差し、小さなテーブル。庭には小さな植木鉢もあった。
質素ではあるが綺麗な病院より安心できる場所だったのだろう。
「大丈夫。愛夏が不安にならないように、お母さん準備してるからね」
「どういう意味」
「それは」
突然、病室の入り口が開いて、男性が入ってきた。
黒髪でメガネをしていて大人びてはいるが、幼さを感じる顔立ちは高校生くらいだろう。
(あれは、たぶん弟だ)
「あ。来た」
二人に話しかけながら、仕切りのカーテンを開く。
ここからは上田として演技しなければいけない。
「ちょうどいいところに来た。俊樹、お姉ちゃん来たわよ」
にこやかに対応する母親に合わせて、にこやかに笑う。
叔母はふくよかで年相応の元気そうな人だった。
「姉さん。愛夏と、結婚を前提にお付き合いをされている彼氏の竹下さんよ」
「愛夏さん、久しぶりね。立派になって」
叔母が近寄ってくると、元気づけるようにパンパンとこちらの腕を叩く。
上田は僕の横に立って、静かに頭を下げた。
「今日は母のために来ていただきましてありがとうございます」
「当たり前のことですよ」
ふわりと叔母が笑う。
「それで、愛夏ちゃんがうちの養子に来ていいって話ってお母さんから聞いてる?」
「……え?」
突然の発言に、思わず固まってしまった。
上田を見ると、上田も聞かされていないのか固まっている。
「ごめんなさい。まだ話していないの」
「そうなの。でも、愛夏ちゃんがいいなら、うちの子にならない?」
母親が焦っているのとは対照的に、叔母さんはなにも気にしていないようだった。
素直だが遠慮というものがないタイプなのかもしれない。
「ほら、まだ若いし、保証人とか色々大変でしょう? 俊樹もうちの子になったことだし」
「俊樹も?」
知らないあいだに養子縁組されていたということか?
上田を見ると、何も知らなかったようでポカーンとしている。
だから、何の反応もできなかった。
「まだ俊樹は子供だし、妹がこうなってしまったら、私たちが守りたいって思ったのよね」
母親は、下を向いていた。
戸惑いながら叔母さんの話を聞いていると、グイと腕を引かれた。
俊樹だった。
「ちょっと姉ちゃんと話していい?」
「ああ、そうね。分かったわ」
叔母に許可をとると、俊樹は自分の腕をひいて、上の階まで歩いていく。
慌てて後ろを見ると、上田もちゃんと付いてきていた。
人気のない通路の端まで連れていくと、やっと腕が解放される。
「姉ちゃん。ごめんな。オレもう上田じゃないんだ」
向かい合う身長はもう自分の背より高い。
こちらを見る弟の顔は、辛そうだった。
「いつから?」
「中学の頃から言われてた。でも決められなくて。高校に入ってから」
無理もないと思う。
母親や叔母夫婦が将来を見据えて提案したとしても、中学生に家庭を変えろというのは難しい。
「ごめんな。もっと早く決めてたら良かったんだ。でも、母さんが嫌いじゃないから」
「別に、俊樹がいきたいと思わなければ無理に叔母さんの世話にならなくてもいいんだよ」
上田のふりをしなければいけないのに、つい思ったことを言ってしまう。
俊樹は下を見ていた視線を一度だけこちらに向けると、諦めるように小さく横に首を振った。
「ううん。別に暮らしてみたけど、叔母さんは親切だし優しいよ」
「後悔はしてない?」
「名前が変わったことはいいんだ。でも……後悔はしてる」
俊樹は、目を伏せる。
真意を測りかねて何も言えなかった。
「ずっと姉ちゃん、好きじゃない仕事してたって分かってたのに、早く決められなくてごめんな」
「早く決めてたら姉ちゃんが無理にオレの学費で稼がなくて良かったのに」
吐き出すような声。
言葉を選んでいるのか、ひどく口調がゆっくりだった。
「オレ、おばさん家に行ったら1000万円、母さんがもらえるって話、聞いちゃったんだ」
「は……どういうこと?」
「子育てに使ったお金を払わせてほしいって」
子どもに聞こえない部屋で話をしろよと思ったが、声が出なかった。
あの壁の薄そうな家なら防音効果はない。
叔母さんも遠慮がないタイプだとさっき思ったから、仕方がなかったのかもしれない。
「オレ、それ聞いて売られるみたいじゃんって拗ねてたんだ」
俊樹は横を向く。
声が震えていることに気付いて、見てはいけないと思い下を向いた。
「でも、今はわかるよ。おばさん夫婦だってそんなに金持ちじゃない」
自分に言い聞かせている言葉だと思った。
「たぶん、金も……本当は母さんとかオレ達、家族のためだったんだ」
どうだろうかと思う。
真意なんて本人以外、誰にも分からない。
ただ、分かることは、弟は、自分の人生を自分以外の要因で決めたという事実だけだ。
「辛かったな」
目の前にある体を抱きしめる。
上田なら弟を抱きしめると思ったし、あまりに辛そうだったから。
弟の肩は震えていた。
「でも、中学の時はわかんなかった。だって、分かるわけないじゃないか」
誰も、未来なんて分からない。
どの選択肢を選べば幸せになるかなんて、学生時に分かる人間なんていない。
情報を手に入れる手段があれば別だが、それを理解できるのもごく一部だろう。
「俊樹はなにも悪くないよ」
「ごめん。早く決められなくてごめんな、姉ちゃん」
頭を下げて泣く俊樹の頭を抱える。
今まで、抱えて生きてきたのだろうと分かる。
謝る必要なんてないはずなのに。
大きな腕が、弟を抱きしめる自分ごと抱きしめる。
「謝る必要なんてないよ」
抱きしめたのは、泣いている上田だった。
「もう苦しまなくてもいい。十分苦しんだんだから」
弟から見れば、赤の他人の僕の身体で号泣しながら慰める。
ボロボロと涙を落とす俊樹は、少し困ったような顔をした後に、腕の中で嗚咽を漏らしていた。
誰もが最善を目指したはずだった。
1000万だって普通に渡せば良かったんだろうけど、事情があったんだと思う。
理由もなくもらえないとか、わからないけど、そんな言葉があったのかもしれない。
それが悪く作用してしまっただけだ。
誰もが完璧じゃない。全員が相手を思って、なぜか歯車がおかしくなってしまった。
ぼやける視界の中、二人を見ながら想う。
(ああ、本当に、時は元には戻らない。戻れば全員が楽になれるのに)
どうにもならない現実が、どうしようもなく辛かった。
「お話はありがたいですが、母が存命のうちは、母の子供でいさせてください」
養子の申し出を、そんな言葉で延期した。
成人して家を出ている以上、そんなに世話は必要ないので、問題ないと思った。
叔母さんは「分かったわ。家を借りる保証人が必要なら相談に乗るから」と答えた。
たぶん、本当に良い人なのだろう。
叔母さんを送った後、トイレに一人行き。
日が暮れた窓の外を見ながら廊下を歩く。
全員、相手のことを思いやってたのに、どうしてこうなったんだろう。
病室に入ってカーテンをあけると、母親と上田がハグをしていた。
二人とも、お互いの身体を抱きしめている。
傍からみれば、男女ではあるので、一瞬驚いてしまう自分が嫌だった。
「あ、おかえり」
上田は母親から体を離すと、母親と一緒に照れくさそうに笑った。
(ああ、もう二度と抱き合うなんてできないのかもしれないもんな)
瞬間的に考えて、頭を殴られたような衝撃を受ける。
そうか。亡くなったらもう抱き合えないのか。
身体が入れ替わらなければ、実の娘として抱き合えたはずなのに。
母親だって、実の娘の身体の方がいいはずなのに。
昔、神様が見ているから、良いことをすれば幸せになれると聞いた。
この家族は不器用だが、全員相手のために我慢してるじゃないか。
なんで、こんなことになるのだろう。
元に戻れないのだろうか。
そう思わずにはいられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます