第9話 絶望とは無力さを知ること

午後2時


午前は色んな感情で仕事の進みが遅かったが、

これから上田と一緒にエクストラさんに納品と、話しあいに行く。


駅で二人話しあいながら、入れ替わっていることがばれないよう打ち合わせをした。

上田は、朝の浮つきは消え去って、なぜかキリリとしている。


「なんか、すごい真面目になったな」

「午前中から持崎部長にめちゃくちゃ指導されました」

「ああ、そういえば今日は先輩と仕事一緒だったね」


上田は昨日から、先輩の呼び方を持崎部長で固定していた。


「まだ仕事を覚えてないのもだけど、ユーキのことでめちゃくちゃ怒られました」

「えっ、僕のことで?」


なんか怒られることしたっけ、と思ったが、したわと思う。

セクハラで怒られたのは仕方ない。ハグは10分もしないものだ。よくない。


「朝、あんなにエッチな感じのユーキを置いていったから」

「へ、え……エッチ?!」


斜め上の返答に思わず上田を見る。

上田はキリっとしている。


「確かに早く行けと怒られたからって、エッチなユーキを置いて行くべきじゃなかった」

「待ってほしい。エッチじゃない。汗だくだったのは認めるけど、エッチじゃないじゃん」


やめてほしい。そのイメージで言うと、駅でハァハァしている妖怪汗だく変態女みたいで嫌だ。


「いや、エッチでしたよ。変質者に連れていかれなくて本当に良かった……」

「連れていかれないよ! っていうか朝の通勤時間にないよ!」

「痴漢だって朝に起こってるんだから時間は関係ないでしょ」


そういえば、朝の遅刻原因は興奮した上田と先輩のせいだった。


(朝の通勤時でも興奮する奴はいるもんな。油断は禁物だ)


冷めた目で上田を見ると、だいぶ反省しているようだったので、もういいやと思う。

だけど、断固として妖怪汗だく変態女みたいなイメージは認めない。

シブい顔で打ち合わせをしながら、エクストラがある駅に到着した。




会社に到着した。

今回は、少し仲がいい取引先だから少し不安だ。

だけど納品するものは先に別の人間が納品したし、一昨日の段階でもう話すことはほとんど残ってない。

なので、気を引き締めれば中が違う人だとバレずにやり過ごせるはずだ。


「失礼します! シャッチョ! お世話になっています」

「あれ、竹下君、えらいイメチェンじゃないか」


社長室で出迎えてくれた人物は、中古車販売のエクストラを経営している谷山社長。

僕にシャッチョと自身を呼ばせている変な人物である。

見た目は30代前半。たぶん年齢は後半。マッチョで快活。

スッキリとした短髪はモテそうだが、中身はオタクでモテないらしい。

最近カードゲームにハマっていて、カードゲームの対戦会場が時々男臭すぎてつらいと嘆いている。


仕事の話も終わり、少しだけゲームの話もする。


「そういえばシャッチョ。おすすめの横からのインナースリーブ持ってきたのでプレゼントします」

「ああ! ほんとに?」

「袖の下です」

「はっはっ、賄賂にもならんぞ。そんなの」


上田はシャッチョの言葉に笑いながらカバンからカードのインナースリーブを取り出して渡す。

カードゲームをする人間は、カードの絵を守るためにカードの上にインナースリーブという透明な袋をかぶせて、その上からまた透明なスリーブをかぶせる人が多い。なので、一昨日この話になった時に、買い置きをプレゼントすると言っておいたのだ。


「嬉しいなぁ。やっぱり竹下君、うちで働かない? そっちの会社よりお金出すよ」

「ええ、と」


上田がこちらを見たので、小さく首を横に振る。

最近、社内にカードゲームの話をできる人間がいないせいか、シャッチョは引き抜きの話を持ってくる。

だけど、そんな私情でトップに雇われたらまた私情でダメになりかねないので、いつも断っていた。


「嬉しいですが、後輩もいる場で、そういう冗談は~……」

「冗談じゃないけど、相変わらず竹下君は固いな~」

「会社には入れませんが、また楽しい話させてください」


にっこりと笑いながら、上田は腕時計をみると、あ、そろそろと言って立ち上がる。

話の切り上げが上手いな。と思った。


「では、また近いうちに伺います」

「もう時間か~早いなぁ」


名残惜しそうに言うと、社長は会社の入口まで送ってくれた。

何もかもストレートに聞いてくる人だから、この人が六角形の紙を入れたとは思えない。

軽く挨拶をして、会社から出る。


「すごいマッチョでしたね」


建物の階段を降りながら上田がつぶやく。


「あれ、ゲームで鍛えてたらああなったらしい」

「えぇ、ゲームであんなに鍛えられるんだ」


今時はゲームで体を鍛える時代なのだ。

と、僕のスマホが鳴った。

スマホの画面を見ると、シャッチョからだった。


「ごめん、上田。シャッチョからだから出て」


上田にスマホを渡すと、すぐに出てシャッチョと短く話して通話を切った。


「シャッチョが話があるそうです。俺一人で来てほしいらしいので、行ってきますね」

「ああ、そうなんだ。じゃあ下で待ってる」


スマホを返されたあと、上田が階段をのぼり、僕は階段を降りる。

一人で来いというのはおかしいが、そもそも納品にも来いと言うタイプなのでありえる。


まぁ、上田なら上手くやってくれるだろう。

ビルの外で待とうと階段を降りた。









外は晴れやかな天気だが、人通りはない。

スマホを打ちながら、上田を待つ。


「おい、愛夏!」


突然、声をかけられて顔を上げる。

目の前に金髪の男がいた。


(誰だろう? 本名だからキャバ時代の客じゃないよな)


当然ながら、僕に上田の記憶はないので誰かは分からない。


(彼氏か?)


一昨日ぶつかった駅だし、上田は彼氏の家で浮気されたことに気付いたって言ってた。

それなら彼氏の確率が高い。

考えている間に、男は間合いを詰められてしまった。


「お前! 仕事もやめて、いきなり連絡しても無視して、なんなんだよ!」


腕を掴まれて、反射的に手を叩き落す。

上田ならどう返すか考えながら睨んだ。


「話しかけないで。あなたとは別れることに決めたの」


怒っている人間とは話さないのが一番面倒がない。

だけど、上田が来る前になんとかした方がいい気がした。

傷を掘り返すのもいけないし、第一もめたら面倒くさい。僕がなんとかしたほうがいい。


「え、あ、なんでだよ」

「あなた浮気してたでしょ。そんな奴とはもうやっていけない」


彼氏と上田が鉢合わせすることを恐れて、逃げるようにビルの前から移動する。

口調や撃退法を考えながら立ち回るので頭が混乱していた。


「あれは! 違うんだよ。こっちに来いよ。ちゃんと話しあおう」

「やめて。話す必要なんてない」


男が手を掴み、腰を掴む。

身体が危機感で鳥肌が立つ。


「ちょっと、やめてっ」


拒否して踏ん張ったが、スーツに合うパンプスは、履き口が大きく踏ん張っても足が中で滑って意味をなさない。

しかも体重が男より軽いため少し持ち上げられると無意味だった。

どうしよう。女の身体じゃ、こんなに簡単に連れていかれるのか。

話さないで逃げれば良かったのだが、自分の体が女になっても同じように対処できると過信していた。


「や、ぅッ」


いつの間にか引きずられて、隣のビルの入り口前まで移動していた。


ビルの入り口には扉はないが、二畳ほどのスペースに各階の郵便受けと階段があり、誰もいない。


(やばい。入り口とはいえ、敷地内じゃ口論してても誰も気にしないし見えない)


血の気が引く。

中に入ったら危ないと思い、慌てて全体重をかけて腰を下ろした。

踏ん張れないなら腰を下ろしてしまえば動かすのは難しい。

夜ではないから襲われることはないだろうから、それならば道で座ってた方が安心だ。


「おい、落ち着けよ」


肩を掴まれて、上半身を無理矢理上げられる。

触らないでほしい。気持ちが悪い。

腹が立ってギッと睨んだ。


「それはこっちのセリフ」

「違うんだよ。あいつは、味変っていうか」


ごまかすように、肩を掴んだ手をそのまま体にまわして、後ろから抱きついてくる。

背中と首筋に、知らない男の体温を感じてゾッとした。


「キモいって! さわんな!」


首筋に当たっている汗ばんだ手と息が、払おうと思っても力が足りなすぎた。

なんで、この身体は、筋肉に力を入れることが難しいんだ。

腕を外そうと掴んだ手が汗で滑って張り付くようにくっつくことが不快で。

自分の力では外せないと理解するには十分だった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る