第10話 君を守るためなら心も腕も要らない。
重さが気持ち悪い、肌に当たっている肌が嫌だ。なにもかも嫌だ。
ゾッとしすぎて、硬直しながらギュッと目を閉じた。
「仕事には戻ってくれよ。紹介したからこっちが店に責められてるんだ」
なにもかも知らねえよとしか言いようがない。
上田はすぐに仕事はやめられたと言っていたが、実は違うのか?
裏通りのこの道は、今の時間人通りがない。
なんで公道でこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
と、次の瞬間、背中に強い衝撃に揺れた。
「グ、なんだ、お前」
覆いかぶさっていた男の声と、抱えられていた身体が解放される感覚。
(……?)
瞑っていた目をあけて、後ろを見る。
ゾッとするような冷たい目をした上田が、男を掴んだまま無言で立っていた。
「上田」
上田は、こちらをちらりと見たが、何も言わなかった。
無言のまま鳩尾を殴り、男を道に転がす。
と、間髪入れずに足で腹に蹴りを入れた。
「っぁ、やめろ」
男の言葉に反応せず、無言のまま何度か蹴る。
いつもと違う上田はサイコパスのようで、固まってしまった。
呻く男に馬乗りになり、今度は顔を殴り始める。
人間を殴っても、明確な音は出ないのだと思った。
鈍い音が閑静な道に響く。
抵抗している男の手が、徐々に力をなくしていった。
目の前で上田が男を殴っているのを、呆然としながら見つめる。
男の顔の皮膚が殴った衝撃で割れた瞬間、ハッと我に返った。
「上田、やめろ。死んじゃう、やりすぎだって!」
「……やりすぎ?」
ぼんやりとした顔でこちらを見る。
元は自分の顔のはずなのに、赤の他人にしか見えない。
「大丈夫。こっちは大丈夫だから」
「でも、徹底的にやらないと、また近づいてくる」
だからといって、自分の身体が前科一犯になるのは嫌だ。
「いいから! もう行くぞ」
「ユーキがそう言うなら」
のそ、という感じで上田が立ち上がろうとする。
「お前……ぜったい、訴えてやるからな」
顔の様子が全く変わってしまった男が、上田の下で呻く。
また焚きつけるのは止めてほしい。死にたいのか。
上田は、無言で勢いよくまた鳩尾に腰を下ろす。
身体の下で、男が声にならない叫び声を上げた。
「訴えたら、お前がコイツにやったことを洗いざらい言ってやるよ」
上田は一度こちらに指を指さすと、そのまま親指を下に向ける。
「行きましょう」
僕の手を掴んで立ち上がると、駅に向かって歩きはじめる。
彼氏だった男は道に寝ころんだまま、動きもしなかった。
上田に掴まれている手は、彼氏に掴まれていた時より強かったが、なぜか怖く感じなかった。
「なにかされなかった? いや、あの状態の時点で問題だけど」
「……抱きつかれただけ」
言葉にしたら大した被害ではないなと思うけど、心情的にはかなりショックだった。
今も少し頭がしびれているような感覚があるし、手が震えている気もした。
だけど全てが現実じゃないような感覚で、ハッキリと考えることが難しかった。
「俺のせいで、本当にすみません」
自分より少し高い背は、こちらを見ずに声を震わせる。
表情は分からないが、涙声だと気付いて目をそらした。
「助けるのが遅くなったのも、本当にごめん」
「いや、なにもされてないから大丈夫だよ」
泣いている上田の手を離すこともできずに、黙々と道を歩く。
人には人の歴史があって、何かが降りかかることもある。
別にお前のせいじゃないと言っても、歴史がある以上、否定もしても意味がない。
(この身体は、本当に弱いな)
もう少し強いと無意識に過信していた。
鍛えたり知恵を働かせれば、多少はやりあえるだろうが、結局身体の作りが違うのだ。
筋肉で構成されている男の身体がなぜ硬くて重いのか、考えればわかるはずなのに。
その体を持っていた自分は、それが今も多少はあるのだと過信していた。
悔しいけど、これが現実なんだ。
歩いているうちに震えのようなしびれはとれていたが、悔しさだけは残っていた。
「あっ、足が傷ついてる!」
駅前で上田が僕の足を見ながら大声で叫ぶ。
急に手を解放されたので、そっちのほうに気がいってしまう。
「ああ、さっき道に座ったからかな」
足を見るとアスファルトに足をつけていた場所のストッキングが破れていて、擦り切れていた。
気付かなかったけど、この体は肌も弱いんだな。
「早く薬と絆創膏買わないと!」
「いやいや、おおげさな……」
と、掴まれていた手を見ると血がついていた。
慌てて上田の手を見ると、派手に血で汚れている。
なんだか腫れている気もした。
「上田、お前の方が手を怪我してない?!」
「手? ああ。ほとんど他人の血。きったねぇ」
元カレを他人と言い切って、顔を歪ませる。
「ごめん、ユーキにもつけちゃった。早く洗おう。薬も買おうね」
「うん、そうだね」
なんだか、さっきから上田が違う人間のように見えていた。
たぶん、女性の頃の上田なら体力と力が同等にあっても、あそこまで殴り倒さない気がする。
元の性格の凶暴性が、自分という男の肉体と繋がって顔を出した可能性があった。
早く元に戻らないと、上田が犯罪者になってしまうかもしれない。
「犯罪者にならないように、僕が助けてやるからな」
駅ビルに入りながら決意を言葉にする。
上田が不思議そうな顔をして僕を見つめていた。
夜6時半
朝から午後までずっと大変だった僕を気遣って、先輩が食事を奢ってくれた。
居酒屋の半個室。向かい合わせに座るが、今日は僕の隣に先輩がいた。
上田の殴った手が腫れあがったため病院に行ったら骨折していたので、場所を広く取ったのだ。
「上田さんの分は奢りません」
「なんならもう全員分俺が奢ってもいいくらいですよ」
「それはイヤです」
「はーい。そこまで。明日は休みだし、今日はお酒飲みましょう」
メニューを開いて、飲み物を頼む。
こっちだってヘトヘトなんだ。この小競り合いに付き合ってられない。
今日は本当に疲れた。マジで本当に疲れた。こんなに汗かくのをくりかえしたら、相当臭いと思う。
隣に人がいるのは嫌だなと思いながら、ファジーネーブルを飲む。
お酒は、先輩は日本酒。僕はファジーネーブル。上田が発泡酒を頼んだ。
酒が焼けるように喉に落ちる。
この前より単価が高めのせいか、料理のグレードも上がっていた。
本当に今日一日色々あったけど、料理が美味しいだけで救われた気持ちになる。
「そういえば、上田はなんでシャッチョに呼ばれたん?」
「ああ、一週間後のカードゲームの大会に一緒に行こうってチラシ貰いました」
「え、そんで」
「ちょうど上田も戦いたがってるので、一緒なら良いですよって言った」
「お前、そんな長時間いたらバレるだろ」
「でもユーキ、引き抜きも何回も断ってるみたいだから、気まずくて」
「ああ~……確かに」
仕方ないな、と思いながら酒を飲む。
と、先輩が困惑した顔をしながらこちらを見た。
「えっと、シャッチョってエクストラの社長さんです?」
「言ってなかったっけ。なんか気に入ってもらえてて、僕にそうやって呼んでもらいたいみたいです」
「気に入ってるなとは思ってましたけど……で、引き抜きって?」
「なんか知らないけど、何回か会社に来いって言われてるんですよ。多分ゲームの話がしたいんだと思います」
「そんな愛人を秘書に置くどっかの社長みたいな……」
「秘書ってそうなんすか」
「いや、一般的には違……どうだろう」
先輩は悩むように天井を見ながら考えていた。
相手がどういう意図があるかはわからないが、こちらに損失がなければ別にいいと思っている。
それにカードゲーム仲間は自分も欲しいし。
「まぁ接待みたいなものだし、行きますよ。シャッチョとは友達みたいな感じだし」
「気楽な……社長さんに変な気があるかもしれないんですよ」
「え、元の僕って男ですよ。友達が欲しいだけですよ」
「戦国武将には大体男の愛人がいるものですよ」
「今は戦国じゃないっすよ。それに今は上田が中に入ってるし」
「ユーキの穴は守りますよ。最悪、風俗やってたんでなんとかなるよ」
上田が笑いながら親指を軽く立てる。
そんな軽く言わないでほしい。
「そんなんじゃないですって。本当に」
「私まで行ったら流石に迷惑なので、お願いします」
なにをお願いしているんだと思いながら酒をあおる。
なんだか調子が狂うというか、狂いすぎて一周まわってどうでも良くなっていた。
料理がわりと食べ進めて腹が満たされた頃。
テーブルに置いていた上田のスマホが軽やかなメロディーを奏でる。
上田はスマホを見て顔をしかめると、両手でスマホを操っていた。
「なんか、元カレ引っ越すみたい。元カレが口説いてた俺の友達から連絡きた」
少しだけ、昼のことを思い出して胸がざわつく。
上田にスマホを渡されて、先輩と一緒にスマホを見ると、見苦しいメッセージが大量に表示されていた。
簡単に要約すると、彼氏がいきなり引っ越すことになった。アンタの彼氏が殴って脅したせいで同棲中の自分は迷惑している。自分の魅力が足りないから負けただけなのに最低。そんなメッセージが細切れに長々と書いてあった。
「なんですか。この底辺の女性って感じの文章は」
「SMSで送ってこられるとは思わなかった。俺、なんか脅したっけ」
「訴えたら、こっちもお前の罪をまとめて訴え返してやるみたいなこと言わなかったっけ」
「ああ~。言った気がする」
それにしても、相手に文句を言ったところでなんになるというのだろう。
魅力が足りないからというが、お前の彼氏は自分に絡んで犯罪まがいのことをしたが。
ムカムカと考えながら、スマホを上田に返す。
とはいえ、訴えられそうもなさそうなので、安心した。
「ところで上田。彼氏の罪って?」
「浮気とか、今回のわいせつ行為」
「じゃあ上田の暴力の方が罪は大きいかも? 歯が何本か折れてそうだったし」
「ユーキに手を出していた時点でそのくらいは帳消しでは?」
「それは本当にそうですね」
ウンウンと頷く二人を交互に見て、過保護~と思う。
「でも、引っ越すって言ってるくらいだから、もう何もしてこなそう」
「引っ越すほどのことかって感じだけどね」
「また殴られたくないんじゃないですか? 私も殴りたかったので残念ですが」
二人の話を聞きながら笑う。
(ああ、もう会わないんだ。よかった)
なんだか急に肩の力が抜けて、少し眠くなっていた。
今まで、無意識に気を張っていたみたいだ。
上田の元カレの体温があまりに気持ち悪くて、二度と会いたくないと思っていたから。
また会ってもこの身体では逃げきれないかもしれないと思っていたから。
二度と会わない。会ってもあちらから避けてくれると思ったら心から安心した。
なんでもないと思っていたけど、時間が経つにつれ、そうじゃない気もしてきていた。
だけど、そんなこと、かっこ悪くて言えるはずもなくて。
弱い自分を知られたら、誰かに付け入られる気もして。
弱い自分を否定されることも、また怖くて。
全ての思考が、グルグルと脳を巡っては酒に酔って忘れていく。
知りたくない感情だと思った。
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