第7話 初出社とメンブレ

初出社の朝。

僕は髪をひとくくりにして簡単な化粧をしてもらっただけだったのだが、なぜか上田がキメに決めていた。

服も体も同じはずなのに、確実に自分が体の中にいた時よりかっこいい。


「人がいいと思う外見なんて、大体作ってるんで」


そういいながら僕を化粧をしている上田の眉毛は、キリっと切り揃えられていた。


「僕は地味でいいの?」

「面倒なことにならないように真面目に見えた方がいいよ~」


そんなものかなぁと思いつつ出社する。

満員電車でも、上田が潰さないように頑張ってくれたので、いつもより朝が楽だった。



初出社は、思いのほか問題なく終わった。

同僚の反応は様々だったが、かねがね好評だった。

真面目そうだが年若い新入女子社員はもちろん好意的だったし、明るくなった竹下祐樹にはイメチェン大成功という評価が下された。


「明るくなっていいね~竹下君! どうした」

「ちょっとモテたいなって! やだな~前も良かったでしょ!」


同僚に明るく言って背中を軽くたたくと、笑顔で離れていく。相手は嬉しそうに笑っていた。

砕けた態度も好意的に見られるほどの明るさ。

結局、陰が陽になったところで誰も心配したりはしないのだ。


(これ、元に戻ったらどう対応したらいいんだ)


陽が陰になったら絶対心配しそうだなと思いながら考える。

と、上田と一緒に会議室に面談として呼ばれた。





会議室に入ると、先輩を含め違う部署の上司が二人と社長が待っていた。


「本当に、君たち、俺たち入れ替わってる~?! ってやつになったの?」


興味深く社長がこちらを見ている。

なんだその言い方は。わが会社の社長、こんなオモロおじさんだったのか?


「この会社の自分が担当していることなら、大体すぐに答えられます。いくらでも質問してください」


自分の言葉に、いくつか質問を出されたので軽く答えていく。

今日入社した女の子がスラスラと内情を話すので、全員が感心するように笑った。

どうやら試験には合格したらしい。

上田は大学の名前などを聞かれ、履歴書を一週間以内に提出することを約束させられた。

僕たちのことは、会社内ではここにいる人物だけの秘密にすることになり、特に問題なく面談は終わった。





(ジュース、飲もう)


簡単な面談とはいえ、ストレスが凄かった。

飲み物でも買おうと自販機が設置してある休憩室に入る。


コーラを買って休憩室を見渡すと、事務員が一人で食事をしていた。

事務員は交互に食事をとるのだが、一番早く入ると、誰の休憩とも合わないらしい。


(あれは、三宅百合子さんだな)


歳は知らないが、人気のある女子社員だった。

ユリちゃんの愛称で呼ばれている彼女は、セミロングの髪をポニーテールにまとめている。

男女隔てなく優しく、明るく、アイドル的な存在だった。


見ていることに気付いたのか、ユリちゃんが顔をあげてこちらを見る。


「あ、上田さん」


箸を置いてこちらにタタっと小走りで走ってくる。


「上田さんって、竹下さんと仲がいいんですか?」

「……は? ぇ」


突然、意味不明なことを言われて固まってしまう。

竹下は元の自分、現上田のことだ。

コミュニケーションが数段ぬかしって人に言われない? と思ってしまった。


「さっき、竹下さんと一緒に会議室に呼ばれてましたよね」

「ああ……竹下さんが教育係になってくださったので」


本当のことなど言えるはずもなく、適当にごまかす。


「親しそうな雰囲気だったけど、知り合いとか?」

「明るいので、誰とでも親しくなれるんじゃないですか? よく知らないけど」

「一昨日までは、あんな感じじゃなかったんですよ。もっと陰キャというか、あ、悪い意味じゃなくて」


(い、陰キャ……?! そんなこと思ってたのか?)


突然、本人の口から陰キャと言われて、ガーンと思う。

別にユリちゃんのことが好きだったわけではないけど、それとこれとは話が別だ。


「陰キャは悪口では」

「違う! 分類。あの、今日みたいな感じなら営業先の女の子にモテちゃうだろうなって」


慌てて否定して、少しむっとしているユリちゃん。


(本当に陰キャを悪いことだと思っていなさそうだ)


よく分からないけど、じゃあ何が言いたいんだろうと思う。

大体こういう場合、相手に探りを入れたいとか、そういう……あ、そういうことなのか?


「もしかして、百合子さんって竹下さんのことを好きなんですか?」

「え! ……違う、違うの! わかんないっ」


平常心を装って聞いてみると、ユリちゃんは慌てて顔を赤くする。

会社には既婚者が多いとはいえ、未婚にはイケメンの先輩もいるのに、なんでなんだ。

こっちも照れてくるが、なんとなく信じきれなくて、物好き~と思ってしまう。


「わかんないって。持崎部長とかの方がイケメンなのに、なんでなんです?」


「えっ! 上田さんは持崎部長がタイプなんですか?!」


今までコソコソと話していたのに、いきなり大きな声でユリちゃんは叫ぶ。

待ってほしい。考えていた方向と斜め上の状態になった。


「えっ! ちょっとやめてください! なんでいきなりおっきい声出すんですか!」


慌てて抗議すると、ユリちゃんはアッと口に手をあてた。


「就職初日にやりにくくなったら困りますよ! 会社には仕事をしにきているんです」

「ごめんなさい……でも、それなら、上田さんは敵じゃないなって」

「えぇ?」

「なんでもないです! ごめんなさい」


タタタ……と背を向けてユリちゃんはお弁当があるテーブルに走っていく。

なんなんだ。変な子だ。

まぁでも、悪い気はしないけど。


(先輩の話は……誰にも聞かれてないといいな)


手の中の缶ジュースについた水滴がポタポタと床に落ちていることに気付いて慌てて部屋を出る。


聞かれたとしても、誰が誰を好んでいるなんてどうでもいい話ではあるが。

それにしても、ユリちゃんが自分を好きかもしれないなんて、変わってるな。

考えながら職場に戻った。









うちの会社は、会社関係のリース業をしている。

中古販売の大手と提携していて、安く仕入れた比較的新しい製品をレンタルとして貸し出しているのだ。

まだ引き継ぎもしていないので、デスク仕事は引き続き今までと同じように進めていくことにした。


(あ、明日はエクストラさんへの納品がある)


一昨日、入れ替わる前に商談していたのは、エクストラさんだった。

社長がカードゲームが好きで、同じカードゲーム仲間として懇意にしてくれている。

とても良い金払いもいい取引先だが、カードゲームの話をしたいので僕が納品に来ないと拗ねるという問題があった。


(今日、上田に基礎知識を仕込んで、自分も行けばなんとかなるかな)


入れ替わったあの日、商談に行ったのはエクストラだけ。

それなら、ポケットに入っていた六角形の紙はそこで入れられたのだろうか。

だけどそんなことできる隙があったとも思えないし、満員電車のほうがまだ確立が高い気もする。

悩みながら仕事を進める。

考えることは山ほどあったが、悩むことに終始して処理していかないと、タスクに潰されてしまう。

それが怖くて、淡々と処理していくしかなかった。















夜8時。

自宅で先輩も招いて食事をした後、上田にカードゲームの勉強を教えていた。

上田は素直でバカなところもあるが、学習能力があるらしく呑み込みが恐ろしく早い。


「明日の取引先との話は大丈夫みたいだな」

「とりあえず覚えたってだけだから、怖いな~」


話ながら、先輩と対戦している。

僕はそれを見ていた。


「そういえば、ユーキ君って私のことがタイプらしいですね」

「は」


バトルの途中、突然先輩がこちらを見てニヤリと笑う。

上田は固まると、先輩を見たあと、僕を見た。

……あれ、聞いてたのか。


「ユーキ、ほ、本当に?」

「いや、違う。ええと、どこから話せば。っていうか上田はプレイマットに触るなよ。ずれてる」


慌てながら、休憩室であったことを順を追って話す。

自意識過剰な感じで恥ずかしかったが、話さなければ伝わらない話だった。


「というわけで、先輩の方がイケメンモテ要素十分なのに、なんで自分に? って意味で」


話し終わる頃には、呆れたのか二人の目が座っていた。

なんだ。頑張って説明したのに。


「人の好みなんて様々では? 私は三宅さんはお勧めしませんけど」

「付き合わなくてもヤラせてくれそうな子ではあるよね。三宅さんは」


想像とは斜め上に、二人は三宅さんに対して辛辣だった。


「二人とも三宅さんに偏見ない?」


少なくとも自分から見たユリちゃんは、男女どちらにも優しい。

仮にそういう子だったとしても、馬鹿にしていいことじゃない。


「一定の経験値を積むと、分かるようになるんですよ」

「もしそうだとして、何が悪いっていうんだよ」


陰キャの自分を好きだと思ってくれていたユリちゃんをつい擁護してしまう。


「ユーキがそう言っても、俺は三宅さんと付き合う気はないよ。遊ぶのはともかくさ」


(……なんだよ、それ)


上田の「遊ぶ」という言葉に、ズシンと胸に何かが落ちた感覚になる。

自分の体をどうこうされることが嫌という感覚より、生理的な嫌悪感だった。


「冗談でも、遊ぶなんて言わないでほしい。人のことを弄ぶのはよくない」


聞き流すこともできず、不機嫌な声で注意してしまう。

こんなこと軽く注意すればいいはずなのに、二度と聞きたくないと思ってしまった。


「あ、ご、ごめん」

「そんなんじゃ、お前、浮気した彼氏と同じような性格になるぞ」


相手が反省していることは分かっているのに、止められなかった。

グッとそれ以上言わないように、強く口を閉じる。


「本当にごめん」


上田は本当に反省しているようで、しょんぼりと下を見つめていた。


「この体になってから、なんか前と違う考え方になってるのかも」


落ちこんでいる声に、ハッとする。

自分だってそうだ。

身体が男の時は、自分だって軽口としてこんな話聞いていて、なにも思わなかったはずなのに。

思考が何かに侵食されているように思えて、少しだけ寒くなる。


「僕も、なんかごめん……」


謝りながら、はぁぁ、と息を吐く。

先輩は気まずい顔をしたまま、何も言わなかった。


そういえば、先輩はヤリチンだった。

それを思えば、上田にだけ厳しいのは不公平だ。


(不公平ではない自分の軸を、ちゃんと自分の中で持とう)


その日は、全員のテンションが下がったため、早々にお開きとなった。

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