第2話 太陽と性欲


ビルの二階にある喫茶店。窓際の席に並んで座る。

目の前に並んでいるのは、自分はホットコーヒーで、相手はグレープフルーツジュースだった。


「じゃあ、私のことを上田と呼ぶ。私はあなたをユーキって呼ぶでいい?」


話し方はすぐには変えられないが、性別が違うので違和感がない呼び方にしようという話になり、結論が出た。

僕は苦い顔をしながらコクリとうなずく。

足が痛いわけではなく、頼んだコーヒーが美味しく思えなかった。


「うん。上司もそう呼んでるからそれで。……っていうか、なんかコーヒーが苦いな」

「私、コーヒー苦手だし。なんか肉体的なものが関係してるのかも」

「じゃあ僕はグレープフルーツそんなに好きじゃないから美味しくないだろ」


上田はああ、と納得したようにグラスをテーブルに置く。


「そういうことか。交換してみる?」


グレープフルーツジュースを差し出されたので、素直に交換に応じた。

飲んでみると、いつもはよく分からない味だなと思っていた味が、なぜか美味しく感じた。


「本当だ。グレープフルーツジュースが美味しく感じる」

「私もコーヒーが美味しいって初めてかも。この体になってから、なんかいつもと違うんだよね」

「他にも何かあるの?」


こちらは体が違う以外あんまりないけど、と思う。

上田はこちらの言葉に、首をゴリゴリまげてごまかした。


「これは、ちょっと言いにくい」

「なに? 言ってみ」


赤い顔をしている自分の顔を見ていると、なんか嫌な予感がした。


「うーん……いつもだったら絶対言えないけど、なんか今なら言って良い気がする」

「だから何だって」

「性欲がかなり強くなった気がする」


ブ、とジュースを吹き出す。


「せ、性欲って、今までそれを感じるようなとこあったか?」


駅から喫茶店来ただけでそんなことある?


「感じるっていうか、太陽が照ってるなぁレベルで湧き出るんだけど、身体の持ち主ならわかるでしょ?」

「んなこと言われても……そんなに性欲は強くないはずだけどな」

「嘘だぁ。可愛い寄りのエッチだなぁという感覚に近いモヤッと感っていうか! でも絶対エッチだなぁと思うタイミングではない。歩いている時に人を見てエッチだなぁとか、女の時には恋人として盛り上がった時以外に思ったことはほとんどなかったけど、この体になったらあるんだけど!」


上田は一気にまくしたててから、照れたのかコーヒーを一気に飲む。

自分はあるとしても少しくらいだけど、そんなに? まぁでも今は全くそれがないな。

それにしても男子高校生のような発言を、自分の顔から聞く日が来ると思わなかった。


「そういえば確かにこの体になったら、なんかそういうのなくなったな」


どうにか話を合わせて、テーブルも拭かずにジュースを飲む。

今日はすぐに元に戻らなそうだし、離れても面倒そうだから家にでも止まってもらうかと思ってたけど、コイツ僕入りの自分の体でも興奮すんのかな。不安だ。

第三者を……ああ、上司も泊めるか。


こぼしたジュースをお手拭きで拭きながらため息をついた。


「とりあえずいつ戻れるかわからないし、家に泊まってもらおうと思ったけど、その性欲じゃあ迷うな」

「人をなんだと思ってるの? 元女性だし、性欲があっても理性はあるし、お互い自分の体に変な気起こさないでしょ」


自信満々に言うが、顔は真っ赤である。


「でもお金ないし、実家住みだから助かるよ。住んでたら家族にすぐばれそう」

「実家住みなんだ」

「うん。シングルマザーで育ててもらってる。弟もいるよ。だから夜の仕事してるんだ」


ブブブ……。


テーブルの上に置いてあった自分のスマホが突然揺れた。

画面に上司のメッセージが出ている。


「あ、上司が駅に着いたみたいだ。居酒屋とかいく? 個室のほうが話しやすいだろうし」


喫茶店の名前を伝えて、そこの一階で待っててもらうようメッセージを打つ。

トイレにも行きたいし、歩くのに時間がかかるので駅まで迎えに行く元気はなかった。


「そーだね。あ、それに足痛いでしょ。百均近くにあるからサンダルとか買ってくるよ」

「助かる。じゃあ二千円渡すから、会計して先に一階行ってて」


財布から札を出して、テーブルに置く。


「いらないよ! 私がぶつかったせいだし。……でも先にって?」

「トイレ行きたいけど、上司、僕の顔しかわかんないから」


う、トイレに行くと言いにくくて少し恥ずかしそうな声になってしまった。

上田は一旦止まった後に、顔を赤くして僕の肩を掴んだ。


「大丈夫? ちゃんとできる? 難しかったら拭こうか?」


突然の言葉に、思わず固まる。


「は?」

「だって、初めてじゃ困るかなって」


コイツにはデリカシーという言葉がないのか。


「僕の顔でそういうこと言うの止めてくれるかな」

「ご、ごめんなさい。あの、違う、ただの親切心で! お金も要らないから」


ギュッとお札を手に渡してくる上田の顔は真っ赤だった。

こいつはなんでいつも僕の顔で赤面しているんだ。先が思いやられる。


「あとで話そう」


話しあう時間もないしとお手洗いに向かう。

トイレに入る時に振り替えると、叱られた犬に上田はしょんぼりレジに向かっていた。








トイレは実際大変だった。

機能面では特に問題がなかったが、尿をすべて紙で拭き切らないとパンツがはけない。

なんか尿じゃない感じの液体もあるな、と病気を疑ったが、スマホで調べて問題ないことを知った。

便器に腰掛けながら、エロい気持ちは一切なく、前途多難だなぁと思いながら店を出ようとする。


やはり七センチヒールはキツイ。早く履き替えたい。


「祐樹君?!」


と、目の前の自動ドアが開いて、上司が慌てて入ってきた。

色素の薄い茶色の瞳。髪は走ってきたというのにサラサラ揺れ、スッキリした目元に軽くかかっている。


「あっ、先輩」


相変わらず優雅な見た目だな、と思う。

先輩を見た店員が、突然現れたスーツ姿のイケメンに目をハートにしていた。


「それも可愛いですねえ!」

「え、なにが?」


よくわからんけど、人目につくところで、誤解を与えることは言わないでほしい。


「出ましょう。相変わらず目立ちすぎですよ」


慌てて店の外に行くと、先輩も大人しくついてきた。


「足、痛そうですね」

「痛いってより、こんな靴履いたことないからバランスがわかんなくて」


言いながら階段を降りようとすると、先輩が、二段ほど先に手を広げた。

さぁ抱き付きなさい、さもなくば抱きかかえます、という意思を感じて後ずさる。


「悪いんですが、階段を降りるときに人の手を借りるのはマジ怖いんで嫌です」

「じゃあ足の上に乗りますか。一緒に降りたらいいじゃないですか」


つまり、自分の上に重なって上に乗り、一緒に降りろと。


(この人、本当にイケメンだけど時々頭がおかしいんだよな。)


「下に行くまでの辛抱なので要らないです」


歩きにくい靴でそのまま下に降りる。

階段の下にいくと、ちょうど上田が戻ってきたところだった。


「あ! これ買ってきたよ!」


満面の笑みでサンダルを取り出す。

履いてみると、サンダルは思いのほか歩きやすかった。

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