第4話 「鼓動と熱」

 ※ダン視点


 初めて漁をした日から、メリーガムは毎日、海に行くようになった。

 あいつは風の強い日も、大雨の日も変わらずに海に出かけ、大量の魚を獲ってきた。

 はじめのほうは警戒していた村人たちも次第にあいつに感謝するようになった。


 そして、少しずつその心を忘れていった。


 漁師たちは皆、自分たちで漁をしなくなり、メリーガム一人に任せきりになっていった。

 一日中釣り糸を垂らして、少しばかりの魚を獲ることに意味を感じなくなってきたからだ。

 漁師たち十人よりもメリーガム一人のほうが沢山、魚を獲れる。

 能力のあるものだけが働けばいい。という弱く、傲慢な考えが静かに村に浸透していくのが感じられた。


 俺も例外じゃなかった。


 誰かが自分のために何かをしてくれることが、当たり前だと思う事ほど愚かなことは無いというのに。


 メリーガムは毎日、魚を獲ってきた。

 俺はあいつに「どうしてそんなに海に行くのか」と訊いた。

 あいつは「この村は私の命の恩人ですから」と、さも当然のように言った。

 俺は心の中に少しずつ黒い泥のようなものが溜まっていくような気持ちがした。


 ある日、メリーガムは村を出ていく事を考えていると言った。

 その方が良いと思った。

 何となくだが、こいつには果たすべき使命というものがあるんじゃないかと思った。

 こんな村に縛り付けておくべき奴じゃないと思った。

 それでも、俺の口から出たのは「やめろ」という言葉だった。

 そのほかにも、「お前なんか魔物に殺されちまうぞ」とか「牢屋にぶち込まれるのだけだ」という言葉が口から続いて零れた。


 メリーガムはそんな俺の様子に驚き、動揺していた。


 申し訳なかった。


 でも、メリーガムがいなくなっちまったら、俺らはまたあの、ひもじい生活に逆戻りだ。

 あいつの金色の瞳が俺を責めているように感じて、顔を見ることが出来なかった。

 それでも、もう、ひもじい思いはしたくなかった。


 メリーガムが村に来て二十一日目の夜、村の見回りをしていると、数人の漁師が集まって話し込んでいた。

 俺は物陰に隠れて、そいつらの話を聞いた。


「おい、例の男だがな、そろそろ魔力が足りなくなってきたらしい」

「困るぜ、魚はどうすんだよ」

「……あいつが魔力切れでぶっ倒れるまで獲らせようぜ」

「はあ?自分が倒れるまで働く馬鹿がいるかよ」

「いや、あいつはそういう種類のお人よしだぜ」

「動けなくなった後はどうすんだよ?」

「兵隊どもに突き出してやるのさ!ここら辺じゃ見ねえ顔だし、もしかしたら怪しい奴を捕まえた褒美がもらえるかもしれねえだろ?」

「ははあ、考えたなあ。おめえ」


 やつらは真剣な顔で、メリーガムが魔力切れを起こすまで出来るだけ多くの魚を獲らせよう、という話をしていた。


 思わず逃げ出すようにその場から離れる。

 心臓がバクバクと音を立てる。 


 ショックだった。


 皆のために善意で働くメリーガムを、使いつぶすつもりでいることが、信じられなかった。

 でも、俺はこいつらと同じだった。俺は汚かった。弱い事に甘えていた。


 ……明日、言おう。


 夜が明けたら、全部話して、もう村のために働かなくてもいいと、あいつに言おう。

 俺はそう誓って床に就いた。

 その日は眠れなかった。

 長い夜だった。



 ---



 翌朝、俺は海に出かけようとするメリーガムを引き留めた。


「なあ、ちょいと話があるんだけどよ」

「どうしました?」


 メリーガムはこちらに向き直る。

 初めて会った日、金糸のようだった美しい髪は、今や塩水に曝され細く萎びていた。

 その姿をみて、喉まで出かかっていた言葉が引っ込んでいく。

 少しの間沈黙が流れた。


 なに黙ってんだ?俺は?さっさと喋れよ!


 先ほどまで考えていたことが、なかなか出てこない。

 メリーガムは黙って、俺の言葉を待っていた。

 俺はほとんど叫ぶように言葉を切り出す。


「今まですまなかった!」

「俺、漁師のくせに全部お前に任せっきりで!一人で頑張るお前のこと、何も手伝ってやれなかった!」

「お前は善意で魚を獲ってくれてたのかもしれねぇが、俺たちはそんなお前を利用してたんだ!」

「村を出ようとするお前を引き留めてたのも、腹を空かした生活に戻るのが怖かったからだ!」


 一息で腹の中の黒いものを吐き出す。


「すまねぇ、メリーガム……!もう村のために働かなくていい!好きなように生きてくれ!」


 俺は飛んでくるであろう罵倒を覚悟した。殴られるかもしれない。だが、俺たちは自分らが楽をするためにメリーガムの事を利用したのだ。


 何が来ても受け入れる。俺は力強く目をつむった。


「大変だったのですね」


 しかし、聞こえてきたのは予想外の言葉だった。


「事情は分かっているつもりでしたが、そこまで追い詰められているとは思っていませんでした。どうやら、後先考えずに動いてしまったようですね」


 メリーガムは普段と変わらない調子でそう言った。


「……俺を恨んでないのか?」

「飢えというものはつらいですから、そのような考えに至るのも仕方がないでしょう。悪いのはそうさせてしまった環境です。……あの魔力を吸うという宝石、何とかできればよいのですが」


 目の前で起こっていることが理解できなかった。

 普通怒るところだろう?

 こちらは殴られる覚悟までしていたというのに。

 あっさりと許されてしまった。

 その優しさがかえってつらかった。


 メリーガムがさらに何かを言いかけたとき、家の外から悲鳴が聞こえた。


「頼むっ!!止めてくれ!!」


 俺は驚いて扉を開ける。

 外に出ると、村の中心に二人の兵士が立っていた。

 そして、兵士の目の前にはうずくまるオルカの姿があった。


「な、なにやってんだあいつ……」


 状況が理解できなかった。

 兵士たちはいつもどおり宝石の交換をするために村へ来たようだが、オルカはそいつらに向かって何やらわめきたてている。

 オルカは賢いやつだ、いや、たとえ馬鹿でもあいつらに何かしようだなんて考えるやつはいない。

 そう思いながらよく見ると、オルカは息子のフィンを胸に抱いていた。


「お願いします!魔力を奪るのをやめてください!息子の体調が急に悪化してしまったのです!お願いします!」


 フィンは腕の中でぐったりと脱力している。

 オルカは兵士の足に縋りつき、涙で顔を濡らしながら必死に叫んでいた。


「それ以上騒ぐと撃ち殺すぞ」


 兵士は表情を変えずにオルカを蹴り上げる。

 俺を含めて、村人たちは事態を遠巻きに眺める事しかできなかった。


 どうやらフィンが体調を崩してしまったようだ。それは今までよくあったことだが、オルカの慌てようからみて、今回は寝ていれば治るようなものではないのだろう。

 だからこそオルカは必死に、魔力の回収をやめてほしいと頼みこんでいるのだ。


 額に脂汗がにじむ。助けてやりたい。助けてやりたいが、あそこに自分が割り込んだところで何が変わるというのか。


 村が緊迫した空気に包まれる。


 そのとき、一人の兵士が血相を変えて叫んだ。


「お前!何者だ!」


 兵士たちは宝石の付いた柱に向き直り、筒を構える。


 いつの間に移動していたのか、柱の頂点にはメリーガムが立っていた。


「降りろ!」


 メリーガムは兵士たちの制止を無視し、右手を大きく振りかぶると、はめ込まれている宝石に拳を叩きつけた。

 宝石は衝撃に耐えられず複数の破片に割れ、光を失う。


「こ、こいつ封魔鉱を……!」


 メリーガムは動揺する兵士に覆いかぶさるように柱から飛び降りる。


「ぐっ!」


 体重のかかった飛び掛かりを受け、頭を強く地面に打ち付ける。

 そのまま間髪を入れずにもう一人の兵士に突進。

 兵士は筒を構えたが、メリーガムは左手を跳ね上げそれを払う。

 体勢の崩れたところに強烈な蹴りを打ち込まれ、兵士は力なく倒れた。


 瞬く間に兵士たちを無力化してしまった。

 呆気に取られていた俺は我に返ると、メリーガムに駆け寄り、掴みかかる。


「お前、自分が何したか分かってんのか!?殺されちまうぞ!」

「フィンが苦しそうだったので」

「でもよ!ここは適当にやり過ごして、しっかり休ませとけば……!」

「それで彼の状態が回復する保障はないでしょう?」


 メリーガムは真剣な顔でそう言った。

 確かにそうだ。

 確かに……こいつの言っていることは正しいし、俺はあいつらに逆らわないための言い訳を考えているだけだ。

 そんなことは分かっている。

 だが、頭では分かっていても動けないのが人間じゃないのか?


「……なんでだよ」

「お前はなんでそんなに他人のために動けんだよ!?自分が誰なのかすらわからねぇくせに!そのまま何も知らねぇふりしてればいいじゃねえか!」


 ぐちゃぐちゃした感情がそのまま口から飛び出す。

 違う!俺が言いたいのはこんな事じゃ……!

 自分の言ってしまったことにがうろたえていると、メリーガムが静かに口を開く。


「……確かに私は何も覚えていません。ですが、いえ、だからこそ私は、誰かの事を見過ごせない私で居たいのです」


 金色の瞳はこちらを真っ直ぐと見据えていた。


「そこのお前!何をしている!」


 メリーガムの後方から怒号が響く。

 村を見回りしていた他の兵士が、騒ぎに気付いて駆け付けて来たようだった。


「ダン。いいですか?彼らに何を聞かれても、『見知らぬ男がいきなり暴れだした』と言うのですよ?」


 メリーガムは小さな声でそうつぶやくと、俺を思い切り押し飛ばした。


「止まれ!」


 二体の石人形が襲い掛かってくる。

 メリーガムは思い切り拳を振りぬくと、人形の頭が砕け飛ぶ。

 しかし人形は頭部を破壊されても動きを止めず、メリーガムの腰にしがみついてきた。

 もう一体の人形は右手を一瞬で鋭利な槍状に変形させ、身動きの取れないメリーガムの脇腹に向かって突き立ててくる。

 何とか体を捻りその一刺しを避けたとき。


 カンッ


 硬い石を打ち付けたような音が響く。

 次の瞬間、メリーガムの顔面が強烈な衝撃と熱に襲われた。


「ぐっ!?」


 脳が揺れているのか下半身に力が入らず、膝から崩れ落ちる。

 兵士たちは動けなくなったメリーガムに向けて筒を向けしっかりと狙いを定める。

 何とか絡みついている人形を振り払おうとするが、上手く体が動かせない。


 カンッ


 筒から音が響き、白い閃光が放たれる。

 弾き出された光弾は再びメリーガムの顔に着弾した。


 衝撃で上半身が大きくのけぞり、そのまま背中から力なく倒れこんだ。


 兵士たちはメリーガムに近づき、筒をしっかりと構えながら顔を覗き込む。

 額の皮膚が切れ、顔は真っ赤な血に染まっていた。


「こいつ、頭に石銃を二発も打ち込んだのにまだ息があるぞ」

「村の反乱分子か?」

「いや、ここら辺じゃ見たことない奴だ」

「狂人の類か?」

「さあな、お前はそこで倒れてるやつらの様子を見てくれ。こいつはゴーレムに運ばせる」

「殺さないのか?」

「魔術師たちに献上する。ゴーレムの頭を一撃でぶっ飛ばす怪力だぞ?あいつら、きっと欲しがる」

「……お前が魔術師に気に入られてる理由が分かったよ」


 兵士の一人はあきれたような口調で言うと、倒れている二人の兵士に駆け寄る。


「……大丈夫だ。二人とも息がある。だが、目を覚ますまで時間が掛かるかもな」

「よし、こいつと一緒に馬車に乗せるぞ」

「ああ……ん?」


 兵士はメリーガムが砕いた宝石の破片を足元から拾い上げる。


「おいおい、封魔鉱が割れてるぞ」

「何?どうする?予備は無いよな」

「……帰って報告だな」


 二人がゴーレムと呼ばれた石人形に何か命令すると、ゴーレムたちは倒れている兵士とメリーガムを持ち上げる。

 俺はとっさに足元に落ちていた宝石の欠片を拾い上げると、急いで近づきメリーガムの服の隙間に滑り込ませた。


「おい!何してる!」


 それに気づいた兵士の一人が殴りつけてきた。

 俺はしりもちをつきながら後ずさる。


「ひ……す、すみません、何でもありません」

「……フン」


 兵士は踵を返すと村の門の方へと歩いて行った。

 俺は運ばれていくメリーガムを見ながら無意識に謝っていた。


「すまねぇ、すまねぇ……」


 兵士たちの背中が見えなくなってからも、その声は途切れることが無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る