第3話 「凶兆」

 アルバの兵士たちが去った後、私はダンと共に村中に魚を配って回った。

 皆喜んでくれると思ったのだが、そう上手くはいかなかった。

 大抵の場合、彼らに魚を配った際の反応は同じようなものだった。

 家を訪ねても扉を開けてくれない、開けてくれたとしても、私の姿を見たとたんに怯えた目をして家に引っ込んでいってしまう。


 ダンは「こいつは悪い奴じゃない、魚を獲ってくれたんだ」と説明してくれたが、それでもなお、獣か何かと接するような、怯えた様子だった。


 どうやら、私は村人たちからあまり良い印象を持たれてはいないらしい。


 体格のいい男たち……いわゆるダンやオルカのような漁師たちは、怖がるようなそぶりこそ見せなかったが、強い警戒心を隠そうとせずに私を睨んでくる。


 一体どうしてこれほどまでに警戒されているのだろう?

 流石に傷つく。


「悪いな、みんな初めて見るものが怖いんだ。許してやってくれ」


 肩を落とす私にダンが話しかけてくる。

 言われてみて気が付いたが村人たちからしたら、急に知らない大男が現れてと村を練り歩き、大漁の魚を配っているという状況だ。


 ……確かにこれは怖いかもしれない。


 やっていることが化け物のそれなのでは。


 私は自分の事を助けてくれた村に恩返しをしたいと思っただけなのだが、心のどこかで自分の存在を認めてほしいという願望があったのかもしれない。

 記憶が無い、自分が無い私の事を、喜んでもらうことで何者かになりたいという欲求は先行してしまった。


 他人の気持ちというものをすっかり失念していた。

 

 ダンやアルバのような反応が特殊なのだ。

 これからは気を付けることにしよう。



 ---



 村に来てから十日が経った。

 私は今日も海に潜って魚を獲っている。

 あの時、浜辺で助けてもらえなかったら、右も左も分からない私は野垂れ死んでいただろう。

 その恩を返すには、ちょっとばかし漁を手伝っただけでは足りない。

 ある程度の量を獲るまでは海に潜ることにする。

 

 獲ってきた魚を配るのはダンに任せている。

 村人たちを怖がらせて失敗してしまったので、ダンやオルカ以外の村人たちには近づかないことにした。

 出来れば村のみんなとも仲良くしたいのだが、そのために怖がらせてしまっては意味がない。

 

 今日も大漁の魚を持ち帰りダンに渡そうとすると、「今日は二人で配りに行くぞ」と言われた。

 やめた方が良いのではないかと提案したが、ダンがやけに食い下がるので、諦めて配りに行くことになった。


「また怖がらせてしまうと思いますよ?」

「それでも、頑張ってるやつが報われないのはおかしいだろ。俺たちはお前の獲ってきた魚のおかげで生きていけてんだ」


 そのようなことを話しながらオルカの家を訪ねると、すぐに扉が開く。


「今日も魚を届けに来てくれたのか、ありがとう助かるよ」


 オルカは私の顔を見ると口元をほころばせた。


「メリーガム!今日はお前も来てくれたのか!いつもありがとうな!」


 彼はそう言うと私の肩を軽く叩く。


「あなたには砂浜に流れ着いたときに助けてもらいましたからね。役に立てていれば幸いです」

「本当に助かってるよ。息子に腹いっぱい飯を食わせてやれるのはお前のおかげさ」


 にこやかに笑う彼の後ろに隠れ、小さな子供がこちらを見上げていた。


「ほら、フィン。お前もあいさつしなさい」


 オルカはそう言って彼の頭をなでる。

 フィンと呼ばれた子供はおずおずと私の前に出てくると「ありがとう」と小さな声でつぶやいた。


 かわいらしい。


 私はしゃがみ込んで彼に目線を合わせる。


「どういたしまして。たくさん食べてくださいね」


 そう言うと彼は恥ずかしそうに再び父の背中に隠れてしまった。


 他の村人たちも訪ねたが、以前のような反応をする村人は一人もいなかった。

 皆喜んで魚を受け取ってくれた。

 なかには、この前はすまなかったと頭を下げてくるようなひともいた。

 おそらく、ダンが村人たちを説得してくれたのだろう。

 全ての魚を配り終え、空になった魚籠を小脇に抱えながらダンに話しかける。


「私のことをかばってくれたのですね」

「かばうも何も、お前は悪い事してねぇだろ。まともに動けねぇ俺たちのために魚を獲ってくれてる良い奴だって話しただけだ」

「ありがとうございます」


 嬉しかった。


 ダンが私をかばってくれたことが、村人たちが私を少しでも認めてくれたことが、

 ただただ嬉しかった。



 ---



 村に来てから二十日が経った。

 

 私の事を警戒していた村人たちも、顔を合わせると挨拶をしてくれたりするようになった。

 皆すこしだけ心を開いてくれたのかもしれない。


 漁を続けていくうちに、ダンやオルカ以外の漁師も話しかけてくれるようになった。

 彼らは皆、「疲労は溜まってないか」「魔力は大丈夫か」と、私のことを気遣ってくれた。

 村に少しずつ受け入れられているようで嬉しかったが、私の体調はあまり良くなかった。

 日に日に身体が怠く、重くなっているような気がするのだ。

 村に来てすぐの頃は疲れるようなことは無かったのだが。

 これが、身体に残っている魔力が少ないという状況なのだろうか。


 そろそろ村を出るべきかもしれない。

 かなりの量の魚を獲ったはずなので村人たちは当分食べ物に困らないだろうし、私まで魔力切れでまともに動けなくなってしまう訳にはいかない。

 となると、やはりプロナ・ピエラという都市を目指したいが……この大陸の地理が全く分からない。


 ダンに相談してみるとしよう。


 私は魚を配り終えてダンの家に戻る。

 彼は家の横で張ったひもに魚を括り付けている。

 どうやら干物を作っているようだ。


「ダン、すこし聞きたいことがあるのですが」


 話しかけるとダンの肩がビクリと跳ねる。


「な、なんだ、メリーガムか。どうしたんだ?」

「そんなに驚いてどうかしたのですか?」

「い、いや何でもない」


 最近のダンはなんだか様子がおかしい。

 頬は痩せこけ、いつも周りをきょろきょろと警戒している。


 なんというか、まるで何かに追いつめられているかのようだ。

 初めて会った時のほうが元気そうだった。

 魔力不足だろうかと思ったが、あの宝石はある程度まで魔力が減った者からは魔力を吸わないらしい。

 死なない程度に飼い殺しにするというわけだ。


 私は気を取り直して話を続ける。


「大丈夫ですか?顔色が悪いようですが……」

「なんでもねぇって!そ、それよりもなんか用があったんじゃねえのか?」

「ええ、実はそろそろ村を出ようと思いまして、プロナ・ピエラまでの地図を描いてほしいのですが……」

「……なんだと?」


 ダンの顔から表情が消える。


 彼は私の目を射抜くように真っ直ぐ、ただ真っ直ぐにみつめていた。

 瞳は今にも泣きだしそうな、怒り出しそうな、私には正体の分からない強い感情をたたえている。


 異様な雰囲気だった。


 何かマズいことを言っただろうか……?

 私は何か言おうとしたが、彼の目に気圧されうまく言葉が出てこない。

 口の中で何か喋ろうとしても舌がもごもごと動くだけだった。


 ――沈黙


 おそらく数秒程度の静けさだったが、恐ろしく長く感じた。


 静寂を破ったのはダンだった。


「や……やめろ」

「え?」

「やめろって言ってんだよ!なんも知らねえくせに今の中央大陸で生きていけると思ってんのか!?てめぇなんか魔物に殺されて食われるか、牢屋にぶち込まれんのがオチだ!!」


 ダンはせきを切ったように怒号を浴びせてくる。


 ――身体が硬直する。

 なぜそんなに怒っているんだ?

 何か言わなければ、と考えるほどに思考がこんがらがっていく。


 一気に言葉を吐き出したダンは肩で息をしながらこちらを睨みつけていた。


「私は……」


 続く言葉が出てこない。

 そんな私の様子を見たダンは数歩後ずさりする。


「あ、いや、違う、今のは……違うんだ」


 ダンは先ほどとは一変し、眉の下がった怯えるような表情をしていた。


「すまん、メリーガム……急に怒って悪かった」

「……本当に大丈夫ですか?」

「体調が悪いみたいだ、俺は、今日はもう寝る」


 ダンは急に会話を切り上げると、そそくさと家の中に入ってしまった。


 先ほどまでの会話が嘘だったかのようにあたりが静まり返った。

 私の瞳には彼の表情が焼き付いていた。

 怒らせるような質問だったか?気づかぬうちに気に障るようなことをしてしまったのかもしれない。


 しかし、それをさしひいても今の彼の様子はおかしかったような気がする。

 情緒不安定というか、とにかく普通ではない。


 ひときわ冷たい風が背中を通り抜ける。


 …………嫌な予感がする。


 私の知らない所で何かが起こっている?


 ダンとしっかり話し合う事が出来ればいいのだが。

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