第2話 「魚籠」
日が沈みあたりが暗くなると、柱は村人たちを逃がさぬように見張る番人のように見えた。
今日は独り身のダンの家に泊まらせてもらう事になった。
オルカにはフィンという名前の息子がいて、病気がちで目が離せないらしい。
ダンは「なんで俺の家なんだよ」と愚痴をこぼしながらも家に入れてくれた。
口が悪いだけで心は優しい人物なのだろう。
家の中は思ったよりも広い。
木の床に薄い布が敷かれ、足の低いテーブルが一つだけポツンとあった。
隅の方には網が置かれ、壁には銛が立てかけてある。
私の魔力も柱の宝石によって吸い取られてしまうのではないかと考えたが、ダン曰く数日程度なら問題ないという。
この村に来てから彼に親切にしてもらってばかりだ。
何らかの形で恩返しできればと思ったが、金品は持っていない。
というか記憶すらない。
記憶がないというのは、なんというか、気持ちの悪い感覚だった。
人生が記憶の積み重ねならば、私は生まれたばかりのようなものだ。
にもかかわらず人格や肉体は存在している。
自分を作ってきた経験や知識が思い出せず、自分のことが他人のように感じる。
それに加えて私の中には為すべきことを為せていない焦燥感のようなものが燻りつづけていた。
その為すべきことが何なのかすら分からない。
覚えていることとすれば、アルバとの戦闘の事だが、それもおぼろげだ。
となると記憶を取り戻す近道は、アルバについて調べることだろうか?
アルバは私の事を友と呼んでいた。
彼の事を調べることで自分がどういう人間だったかを知るきっかけになる可能性はあるかもしれない。
「ダン、アルバについて教えてくれませんか?」
ダンは胡坐をかきながら釣竿をいじっていた。
「俺もよく知らねぇが、とんでもなく強い魔術師らしいぜ。テオルレンっていう北の大都市を襲って、そこの王になっちまったんだとよ。そんで、他の都市も手出しが出来ずにほったらかして、このザマだ」
ダンは釣竿から目を離さずに答えた。
魔術というものはよく分からないが、たった一人の人間にそんなことが可能なのだろうか。
「あの柱もアルバが建てたものなのですか?」
「ああ、大抵の町や村に設置されてる。前までは船で沖合まで出てたんだが、あれのせいでみんな弱っちまってよ……」
ダンの声は少しずつ小さくなっていった。
なるほど。魔力を奪われた体では従来のように漁をすることが出来ないということか。
あの干物も、自分が思っていたよりもずっと貴重な食料だったのだろう。
大変な状況だというのに私に服と食べ物をわけてくれたというわけだ。
ありがたい。
どうにかして彼らの力になってあげたいが、何をしたものか。
「よし、これぐらいでいいだろ」
私が考え込んでいると、調整が終わったのかダンは釣り竿を置いた。
「体力を無駄にしないためにも、さっさと寝た方が良いぜ。俺ももう寝る」
そう言うとダンはその場で横になり、近くにあった布を引き寄せた。
私はあまり眠くは無かったが、彼の言う通りに横になることにした。
---
床のきしむ音で目を覚ます。
窓からは日の光が差し込んでいる。
先に起きていたダンはすっかり身支度を整え、昨夜いじっていた釣り竿を背負っていた。
「釣りに行くのですか?」
「ああ、何かしら獲ってこねぇとな」
「私にも手伝わせてくれませんか」
「いいぞ、予備の竿は……」
「いえ、私は竿ではなく、あれを貸してほしいのですが」
私はそういって壁に立てかけてある銛を指さした。
昨日の夜から何かしらの形で恩返しがしたいと考えていたが、結局魚を取ることぐらいしか思いつかなかった。
「銛?お前使えるのか?」
「わかりませんが、自信はあります」
「その自信はどこから……まあ、なんでもいいけど怪我はすんなよ。めんどくせぇから」
ダンは腰に巻いたベルト代わりの簡素な紐を締め直すと家の扉を開けた。
昨日村に着いたのは日の暮れた頃だったのであまり村人と会うことがなかったが、今朝は働いている姿を何人か見かけた。
二人で門を通り浜までの道を歩く。
門に立っていた見張り役は、昨日とは違う若い男だった。
「毎日魚を獲っているのですか?」
「まあ、そうだな。俺たち大人はまだいいが、村の子供にはひもじい思いさせたくないからな」
毎日の飯にも困るほどなのか。
そこまで徹底的に彼らを押さえつけるアルバはどれほど冷徹な人物なのだろうか。
そんなことを考えている内に自分が昨日倒れていた場所に着く。
「張り切るのは良いけどよ、遠くまで流されたりするなよ」
ダンは桟橋に座り込み釣り糸を海に垂らすと、網で作られた魚籠を渡しながら呼びかける。
「気を付けます」
私は服を脱ぎ下着だけになると、腰に魚籠をつけた。
「お前、改めてみるとすげぇ身体してんな」
ダンは私の身体をジロジロと無遠慮に眺める。
「どんな鍛え方をしたらそんな身体になんだよ?筋肉の鎧みてぇだぞ」
確かにこの体は普通に生活している人間の体格ではない気がする。
記憶を失う前は何をしていたのだろうか?
「魚を獲るのに活かすことができればよいのですが」
私はそう言うと海に勢いよく飛び込んだ。
世界から音が消え、冷たい水が全身を包む。
なかなか気持ちがいい。
ゆっくりと目を開ける。
海は青く澄み渡り、海面から差し込む光が小魚の鱗を照らしていた。
小魚たちを横目に水を蹴り、深くまで潜っていくと、私の顔程度の大きさの赤い魚が視界を横切る。
赤い魚は手が触れそうなほどに近づいてもあまり逃げるそぶりを見せなかった。
漁師たちが海に出られなくなったことで警戒心が薄れているのだろうか。
運が良い。
私は右手で静かに銛を構え、肘をしならせて一気に押し出した。
真っ直ぐ伸びた銛は魚のエラのあたりを貫く。
魚はびくびくと体をくねらせ銛から逃れようとする。
急いで浮上し銛先を海面に上げる。
銛はしっかりと突き刺さっていた。
私は魚を銛から外し腰の魚籠に入れると、新たな獲物をさがして再び潜水した。
---
どれくらいの時間が経っただろうか、朝早くに村をでたはずだったが、太陽はいつの間にか真上に位置していた。
没頭している内にコツをつかんだのか、魚籠の中には既に十匹以上の魚が詰め込まれている。
海から上がると、ダンが興奮した様子で駆け寄ってきた。
「こんなに獲れたのか!お前、実は経験者か?」
「もしかしたら私も漁師だったのかもしれませんねえ」
私はにやりと笑う。
「ハハッ!村の奴らも喜ぶぞ」
ダンは大事そうに網を受け取り、捕まえた魚を数え始めた。
私は自分で思っていたよりも長く海で潜っていたようだったので、休憩を取ることにした。
座り込み、ダンが魚を釣る様子を後ろから眺めていると、遠くの海の方に白いものが見えた。
「ダン、あれは?」
私が指さしながら尋ねると、それを見たダンは驚いて立ち上がる。
「もしかして、商船か!?」
白いものはゆっくりとその姿をはっきりとさせた。
大きな木造の船だ。
白い帆は元気に風を受け膨らみ、海面をすべるように泳いでいる。
帆船が二人のいる桟橋に近づき横につけると、杖を持った若い女性が降りてきた。
黒い髪が風を受けて靡く。
灰色のローブに、引き寄せられるような青い瞳。
白い肌は日の光を受けて輝いていた。
耳には金色の耳飾りが複数ついており、独特な雰囲気を纏っている。
女性は私達のほうを見ると軽く会釈し、村とは別の方向へと歩いて行った。
そのあとは誰も降りずに、帆船は鳥のように帆を広げ、海へと出ていく。
白い帆は西の方角に向かって小さくなってゆき、やがて見えなくなった。
「……違ったか」
ダンはつまらなそうにつぶやいた。
「この村には商船がよく来るのですか?」
「昔はよく来てたんだがな。最近じゃ、さっきみてぇに大陸の近くを通る船が人を降ろしてくことがたまにある程度だ。」
「彼女はどこへ向かうのでしょうか?」
「あいつ、杖を持ってたよな?だったらプロナ・ピエラにいくんじゃねぇか」
「プロナ・ピエラ?」
「魔術師が集まってる都市だよ。あらゆる知識があるとかいう噂だぜ」
あらゆる知識……アルバの事もそこで調べられるだろうか。
「……そういえば、この村は大陸のどのあたりに位置しているのですか?」
「ここは、中央大陸のちょうど南端くらいだな」
「プロナ・ピエラはここからどれほど離れているのです?」
「俺は行ったことねぇからなあ、かなり遠いと思うが……二十日以上はかかるんじゃないか?」
ダンは興味なさそうにそう言った。
なるほど、かなり遠い場所にあるようだが、プロナ・ピエラとやらにたどり着くことを一つの目標とするのがいいかもしれない。
だが、とりあえず今は漁の続きだ。
私が立ち上がるとダンが驚く。
「まさか、お前まだ潜るつもりか?」
「そのつもりですが」
「やめとけ、疲労が溜まりすぎる。こんなに魚が獲れたんだ。今日は早めに帰るぞ」
まだまだ動けるのだが、先輩の助言は聞いた方が良いだろう。
ダンに促され今朝来た道を帰ることにした。
彼は魚の入った魚籠を抱きしめるように掴んでいた。
少しでも獲ることが出来ればと考えていたが、思ったより多くの魚を捕まえることが出来てよかった。
しばらく歩いて村に着き、門を通ろうとすると、後ろから急に服を引っ張られる。
思わず振り返ると、ダンが村のほうをじっと見つめながら私のシャツを掴んでいた。
「な、なんですか?」
「しっ。静かにしろ」
そのまま引っ張られ、門をくぐらずに村を囲んでいる柵の裏に隠れる。
急にどうしたのだろう。
ダンは柵に身を潜めながら村の様子をうかがっている。
彼の行動に驚きながら、私も村を覗き込むように見やる。
そこには剣呑な雰囲気が漂っていた。
黒い革鎧を着けた集団が柱の周りでなにやら作業をしている。
村の人間……ではないようだ。
全部で六人、いや四人と二体という表現が正しいだろうか。
石像がそのまま動き出したかのような、必要なもの以外をそぎ落とした硬質な身体。
例えるならば、石で作られた人形。
私よりすこし大きいくらいの背丈のそれが二体、不気味に動いていた。
それに加え、革鎧を着けた四人は金属性の細長い筒のようなものを両手で持っている。
革鎧三人と人形二体は柱を背にして守るように村人たちを見張っていた。
そして一人は柱に登り、頂点の宝石を取り外している。
彼は宝石を腰の鞄に回収したあと、別の鞄から全く同じ宝石を取り出し、頂点のくぼみにはめ込んだ。
あれは一体?柱の宝石を交換しているのか?
しばらく見ていると、交換作業を終えた彼らがこちらの方向へ歩いてくる。
「まずい、こっちだ!」
私はダンに連れられ、柵をぐるりと回り込むように彼らの死角になる位置まで素早く移動した。
謎の集団は門をくぐり、どこかへ歩き去っていった。
…………。
しばらくしてダンが口を開く
「もう大丈夫だろ」
ダンは重い荷物を降ろすように大きな息を吐いた。
「今の集団は一体?」
「奴らはアルバの手下……テオルレン兵だ。数日に一度来て、さっきみたいに宝石を交換していくんだよ。俺たちの魔力を吸った宝石を回収して、新しい宝石を取り付けていくってわけだ」
なるほど、奪った魔力を回収しているのか。
人々の力を奪いつつ、魔力を蓄えているという事か?
魔力を奪っているのは反乱の気勢をそぐためなのかもしれないが、日々の生活もままならないほど、というのは少々やりすぎなのではないだろうか?
いや、それより、アルバの都市の兵ならば何らかの情報を持っているのでは?
「彼らは危険なのですか?」
そう尋ねると、ダンはこちらに向き直る。
「奴らに逆らったら死ぬまで鉱山で働かされるか、魔術の実験とやらに使われるかだ」
「しかし、ここまでして隠れる必要はなかったのでは」
「お前がアルバの関係者ってんなら、見つかっただけでやばいかもしれないだろ」
ダンは真剣な顔でそう言った。
私が彼らに見つからないようにかくまってくれたのか。
確かに、私はアルバと戦っていたわけだから、私と彼の関係は敵対者として考えるのが妥当な判断だ。
もしも顔が知られていたとしたら、私を捕まえにくる可能性は十分あり得る。
自分の置かれている状況をよく理解していなかった。
どうやらアルバが何者かを探るのというのは、そう簡単にはいかないないらしい。
私は彼らの歩いて行った先を見据えながら、そう思った。
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