鍵束の魔術師

塩ノ海

第1話 「白紙」

一目で見渡せるほどの小さな島に、二つの人影があった。

島の地面は大きくえぐれ、木々はなぎ倒されている。

それらは激しい戦闘の跡であり、戦いはもうすぐ終わりを迎えようとしていた。



腹部に強烈な熱が走る。


「がっ……」


痛みに耐えきれずに前のめりに崩れ落ちる。

地面には、おびただしいほどの血液が広がり、地面へ染み込んでいった。

死ぬ。

もはや、指一本動かすことすら出来ない。

地面に倒れこんだままのわたしにひとつの足音が近づき、すぐ近くで止まる。


「メリーガム……お前まで俺を裏切るのか?」


彼は低い声でそう言った。


「アルバ……考え直してください……」


私は全力で声を出したつもりだったが、喉から出てきたのはか細く消え入りそうな声だった。


「お前だけは……お前だけは最後まで友でいてくれると信じていたというのに」


私は答えようと息を吸うが、それが言葉になる前にせきとなって吐き出されてしまった。

やはり、自分ひとりの力では、彼を止めることが出来なかった。

目に涙が溜まり、零れる。

涙は血液の後を追うように、無慈悲に地面に吸い込まれていった。

涙を流すだけの余裕があるのなら、動いてくれればいいのに、と自身の体を恨めしく思う。


アルバ……彼は理想を追い求めるがあまり、自分の最もなりたくなかったものになろうとしている。

私には友として、あなたを止める義務がある。

だが、それはできなかった。

あらゆる手段を使っても彼を止めることはできなかった。

無力感が全身を覆っていく。


その時、体がふっと軽くなるのを感じた。

それと同時に、自分が終わることを悟った。

最期に一度だけ、精霊様が与えてくれた時間だと思った。

それならば私は、今できる最善の行動をとらなくてはならない。

上半身を起こし、目の前に立っているアルバの顔を見上げる。

逆光を背負ったアルバの表情は分からなかった。

ただ二つの瞳だけが爛々と光っていた。


私は腰に付けた鞄からゆっくりと、黒い小さな石を取り出す。

この方法だけは使いたくはなかった。

成功するかわからない上に、成功したとしても魔術の禁忌……いや、それよりもひどい罪を犯すことになる。

しかし、できることはもうこれしか残されていなかった。

光を受け、水晶のように輝くそれを見つめながら、独り言のようにつぶやく。


「これは私と、あなたの、未来への希望です」


私は体に残った魔力を石に込める。


「いまさら宝珠ほうじゅを持ち出したところでどうなるというのだ」


アルバはそう言うと、こちらに右手を向け強烈な光を放つ。

光に包まれ、全身が焼ける。

私は薄れていく意識の中でひたすら祈る。


祈る。


……。


持っていた石は砂浜に落ち、波にさらわれていった。

焼け焦げた私を見下ろしながら、アルバは小さく息を吐いた。



---



柔らかく、ザリザリとした感触が背中に当たる。

軽く頭を動かすと、ジャリという音がした。

どうやら仰向けに倒れているようだ。


「おい、大変だ!こっち来い!」


頭の上で大きな声が響き渡る。

なんだ?騒がしいな。

砂を蹴る音と共に声がもう一つ近づいてくる。


「どうした?大物でも引っかかったか?」


静かにしてくれないだろうか。まだ目を閉じていたいのに。


「な、なんだ!?そいつ!……男?誰だ?」

「わかんねぇ、はじめからここに打ち上げられてたんだよ」

「し、死んでるのか?」

「いや、息はしてると思うけどよ」


……もう起きてしまおう。

ゆっくりと上半身を起こし、目を開く。


「うお!」「起きたぞ!」


目の前には黒く焼けた肌の男が二人立っていた。

私は二人の方をじっと見ると、立ち上がる。

頭がぼんやりとしている。

白い靄(もや)の中にいるような感覚だ。もしかしてこれは夢なのだろうか。

しばらくボーっとしていると、一人の男が話しかけてくる。


「あんた…大丈夫なのか?」


声を受けて我に返る。


「あなた方が助けてくれたのですか?ありがとうございます」


私はできるだけ丁寧にそう言うと、ニコリと笑顔を作った。


「いや、俺たちが何かしたわけじゃねぇけど……」


二人は得体の知れないものを見るような目でこちらを眺めていた。

辺りを見回してみると、どうやらここは砂浜のようだった。

すぐそばには海が広がっており、波の打ち寄せる音が響いている。

見慣れない場所だ。

ここはどこだろう。


「あんた、どうしてこんなとこに倒れてたんだ?」


男の一人が尋ねてくる。

どうして?私は確か、アルバを止めようとして……

そうだ!アルバを止めなければ!

止めなければ…………なんだというのだろう?

ん?おかしいな、私はアルバが何かをしようとしているのを止めようとして彼と戦ってたはずなのだが。

何かとは何だ?私は何をしようとしていたのだろう?

というかアルバとはいったい誰だ?

いや、とにかく帰らなければ!……帰るってどこへ?


あれ?まずい。


頭の靄が消え、思考が鮮明になっていく。


記憶が無い……?


血液が冷えていく感覚が全身を襲う。


「おい、大丈夫か?」

「大丈夫……ではないかもしれません」


私の様子がおかしいことを察したのか、二人の男は顔を見合わせた。


「とりあえずさ、あんた、服を着た方が良いんじゃないか?」

「え」


そう言われて自分の体を見下ろす。

裸だ。ごつごつとした筋肉に覆われた体が目に入る。

そういえば、私はアルバとの戦闘でひどい怪我を負っていた気がするのだが、どういう訳か、この体は傷ひとつない綺麗な状態をしていた。

一体何が起こっている?


「その恰好じゃ寒いだろ?ちょっと待ってな、着るもの持ってきてやる」


私が考えこんでいると、一人の男はそう言ってどこかへと走っていってしまった。

残った男は距離を取りながら恐る恐るという感じでこちらに話しかけてきた。


「俺はこの村で漁師をやってるダンっていうもんだ。あんたは何者だ?」

「私は、私はメリーガムです」


良かった。自分の名前は覚えていたようだった。

当たり前のことに胸を撫で下ろす。


「……」

「………」

「……いや、それだけか?他にもあんだろ。どこから来たとか」

「いや、私、どうやら記憶が無いようなのです」

「は?記憶喪失ってことか?」

「そういうことかもしれません」

「うーん」


ダンと名乗った漁師はめんどくさそうに頭をボリボリと掻く。


「なんか他に覚えてることねぇのか?なんでもいいからよ、あんだろ?」

「唯一覚えていることとすれば、先ほどまでアルバという人物と戦っていたということくらいですかね」


そう言うとダンは眉を顰め、露骨に怪訝そうな顔をした。


「は?アルバってあのアルバの事か?」

「どのアルバの事ですか?」

「アルバって言ったら、この中央大陸を支配してる暴君アルバのことだろ」

「……はい?」


いったいどういう事なのだろう?いよいよ訳が分からない。

私は無意識に天を仰いだ。



---



「整理すると、あんたはテオルレンのアルバに負けて、気づいたらこの浜に流れ着いてたってことか?」

「そういうことになるのですかね?」

テオルレンとは何のことだろうか?耳慣れない単語だ。


私は持ってきてもらった服に袖を通しながら答えた。

よれよれのシャツとズボンだったが、濡れた体にはありがたかった。


「大丈夫かよ、頭いかれちまってんじゃないか?あのアルバと戦えるような奴なんていないだろ」


ダンは岩に座り込み、横でブツブツと悪態をついている。


「ほら、これ食いな」


服を持ってきてくれた男は小さな魚の干物を差し出してきた。


「ありがとうございます。ええと……あなたの名前は?」

「俺はオルカだ。ダンと同じで、近くの村で漁師をやってる」


私は干物を受け取ってかじってみる。

硬い。そしてしょっぱい。

正直あまり美味しくはないがせっかく恵んでくれたのでありがたくいただく。

かじっていると少しずつ気持ちが落ち着いてくる。

目の前の二人は三十前半ほどの年齢だろうか。

焼けた肌と筋肉質な体は漁師の屈強さを物語っている。

しかしそれと同時に、痩せているとも感じられた。

骨と皮だけというと大げさかもしれないが、痩せこけているという印象すら受ける。

獲物を取るということはそれだけ大変なことなのかもしれない。

海に目を向けてみたが、彼ら以外の漁師はいないようだった。

夕日に照らされた海面を覗き込むと、映った自分がこちらを見つめ返していた。


肩まで伸びた長い金髪、彫刻のように均整の取れた筋肉、2 mはあるのではないかという上背、切れ長の瞳は髪と同じく金色をしている。

目の前の自分は確かに自分であるという確信と同時に、若干のおさまりの悪さも感じられた。

というか私の身体すごい。筋肉の量がすごい。


「私は誰なのでしょうか?」


ほとんど独り言のように言葉がこぼれる。


「知らん。少なくともここら辺の奴じゃねえってことはわかるが」

「見た目だけでいうと、どこかの貴族みたいだな。」


貴族?あまりピンとこない。


「とりあえず村に来ないか?濡れたままだと冷えるだろう」

「良いのですか?」

「ここに放っておくわけにもいかないし、なあ?ダン」

「まあ、ここでうなってるよりはマシだな」


漁師達はそんなことを話しながら歩き出した。


「こっちだ。ついてきてくれ」


私は干物をかじりながら後に続く。


「貴重な食料だからな。残すんじゃねぇぞ」


ダンがこちらを睨み付けてくる。

あまり美味しくないなとは思ってしまっていたが、顔に出ていただろうか?

私は小さな干物を見つめながら考えた。

二人は漁師で、今から行く場所は漁村だ。

だというのに、魚が貴重というのはいったいどういうことなのか。

不漁?時期が悪いという事も考えられるか。

バリバリと骨をかみ砕きながら歩いていると、遠くのほうに村のようなものが確認できた。

木造の家がポツポツと並び、それらを囲むように簡素な柵が備えられている。

扉の無い枠だけの門の前には、見張り役と思われる男が佇んでいた。


「おう、そいつは誰だ?」

「浜で倒れてたから連れてきたんだ」


見張り役の男は訝しげにこちらを覗き込んでくる。


「こんにちは、メリーガムといいます」

「……おう、通れ」


男は私をじろじろと見ながら村へ入るように促した。

村は一目で見渡せるほどの小さな規模で、木材を積み上げたような簡素な造りの家ばかりが並んでいた。

よくある村の風景かと思われたが、そんな考えはすぐに一変した。


村の中心に金属で作られた円柱が立っていたのだ。

私の身長の倍ほどの高さのそれは日を受けて黒く、鈍く光っていた。

異物、という表現が正しいだろう。

明らかに村の雰囲気にそぐわない柱は、何というか、村を監視でもしているのではないかという不気味さがあった。


「すみません、あの柱は何なのですか?」


私の質問にダンは淡々と答える。


「支配下の証だ」

「支配下……?」


ダンは柱を指さして続ける。


「頂点の石が見えるか?あれが毎日少しずつ俺たちの魔力を吸い続けてんだよ」


よく見ると柱の先には薄紫色の宝石がはめ込まれていた。

あの宝石、どこかで見たことがあるような?


「俺は魔術師じゃねぇから詳しくはわからんが、魔力は生命力そのものだ。体に満ちれば元気に、足らなければ疲弊する。枯渇すれば命の危険すらある。俺らは常に枯渇寸前まで魔力を取られてんだ……抵抗できないようにな」


ダンは表情を変えずにそう言った。


私の心に何かが生じた。

罪悪感のような、嫌悪感のような、黒いシミのようなものが広がっていくのを感じる。

それは一体何に起因するもので、どこに着地するものなのか、私にはわからなかった。

なにか、忘れてはいけないものを忘れている気がする。


――記憶を取り戻さなくては。


私はくさびのような柱を見ながら、そう思った。

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鍵束の魔術師 塩ノ海 @shioumi64

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