06.修行編

「おい、起きろ湊人よ、もう朝だぞ」

 やかましい声に目が覚めた。

 寝ぼけまなこに目を開くと見慣れないシルエットが滲んで見える。何だろうこの子供はと思いながら状況を見ると、玉津姫が僕のかけてる布団の上に馬乗りで顔を覗きこんでくる。昨日の出来事は夢まぼろしではないと思い知らされた。

 しかも、最初に会った時の着物ではなく、とプリントされたふざけた白のティーシャツを着ていた。お母さんが用意したのだろうか。

「若いのに情けないのう、わしは朝四時にはもう目が覚めたぞ」

「……今何時ですか」

「六時じゃ」

「まだ寝ます」

「これ起きんか、昨日言った修行を始めるぞ。早速、朝稽古あさげいこじゃ」

 玉津姫が一体何歳かを聞いたことはないが、僕の年齢など遥かに超えているのだろう。やはり年寄りの朝は早いのか。結局、無理やり起こされ修行の支度をした。


 浴室に来た。そして、お風呂を目の前にしている。表面張力で今にも溢れんばかりの水が張られている。横には玉津姫が腕を組みながら見守っていた。

「ほれ、わしが言ったように試してみい」

 右の手のひらを水面に浸ける。手のひらは沈ませず、押すように――手のしわの隅々に水が染み込むように。そしてゆっくり――ゆっくりと腕を上げてみる。すると、手に水が吸いつくように、水の柱が徐々に立ち上がった。

「ほおこれは本気まじかの」

 若者言葉が入り混じったおかしな言い回しが聞こえたようだが、気にせず続ける。水の柱を持ち上げたまま、強めに腕を振ってみると、今度は飛沫をあげて周りに飛び散った。

「児戯が過ぎるのう」と玉津姫が目元にかかる水飛沫を扇子で防ぎながら呟いた。

 最後に腕を思いっきり高く上げる――と、お風呂にあった水がほぼ全て持ち上げられる。もはや手からは離れ、水の塊が空中に浮いている。

「おいおい、何するつもりじゃ」

 僕はニヤッと笑うと、高く上げた腕を振り下ろした。バシャンという擬音ではおよばない破裂音を立て、水の塊はお風呂に落ちた。

 溢れた水は弾け、思いっきり全身にかぶってしまった。お風呂にはもうほとんど水が残ってなかった。

「湊人ー!お風呂で何やってるのー!」

 どこかの部屋からお母さんの怒鳴り声が聞こえる。

「はははっ!湊人よ天晴れじゃ。お主の才はまさに天賦てんぷのものじゃの」

 玉津姫もびしゃびしゃに濡れていたが気にもせず、かんらかんらと笑った。僕もその屈託のない笑顔につられて笑っていた。

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