第4話

 「紗夜はこれからどうしたいんだ?」


 不意に祐基からそう尋ねられる。紗夜は少し考える素振りをして、困ったように笑う。自分の気持ちを打ち明けてしまったが、彼に隠しているもう1つの未練を言うべきかと悩んでいたのだ。

 これを打ち明けてしまったら、きっと祐基にとって後悔が深まってしまうだろう。そう思うと紗夜には、その未練を彼に伝えられなかった。否、伝えたくなかった。


「とりあえず、成仏出来るまではフラフラ〜って1人で彷徨っておくよ」


 紗夜のそんな言葉に、祐基は眉間に皺を寄せる。ここまでお互い心の中をぶちまけたと言うのにまだ隠すのかと。


「幽霊ってのは、現世に留まることで悪霊になっちまうらしいぞ。お前はそれでいいのかよ?」


 祐基は、不満げにそう伝える。その言葉に紗夜は目を瞬かせ、クスッと笑った。どこまで行っても己の心配をしてしまう彼がとてつもなく愛おしかった。愛おしいからこそ、彼にとって負担になることはしたくない。そう思ってしまう。

 そんな紗夜の気持ちを知ってか知らずか、祐基は畳み掛ける。


「もう、これ以上、お前の事で後悔したくないんだよ……。なぁ、頼む……」


 今だに泣きそうな顔でそう訴える祐基に、紗夜はグッと胸が締め付けられた。無理をさせたくないという気持ち、このまま縋ってしまいたい気持ち……。その真反対の気持ちに心が揺れる。

 紗夜は小さく息を吐き、一旦考えるのを辞めた。まだ伝えなくても良いだろうと思うことにしたのだ。


「とりあえず、まだ悪霊になるほど時間が経ち始めてる訳じゃないと思うんだよねぇ……。だから、一旦考えさせてよ」


 祐基としては、納得のいく答えではなかったが、紗夜がまだ迷っているのなら仕方ないと思うことにした。


「わかったよ。でも、必ず教えろよな?」


 念を押して言う祐基に、紗夜は苦笑いを浮かべた。

 だいぶ夜が深まってきていた時間。次の日は仕事だと言う祐基に、紗夜は「さっさと寝ろ!」と言い放つ。文句を言いながらも、時間は止まってくれないので仕方ないと祐基は眠りについた。


 祐基が完全に眠ったのを確認し、紗夜はもう1つの未練の元へと向かった。


 紗夜がふわふわと空を浮かびながら、街中を見渡す。今までは霊感なんかなかった彼女の目には、そこら中をうろつく幽霊の姿が見えていた。こんなにも未練を残し、死にゆく人々がいたのかと心が痛んだ。

 悪霊のような者も見かける。いずれ己もあんな風になるのかと思うと、ぶるりと身震いが出る。

 色んな者たちを見つつ、紗夜が着いた先、それは彼女の実家であった。

 壁をすり抜け、部屋に入る。そこには自分の遺影と仏壇の姿。改めて死んでしまったことを実感し、心に黒いモヤがかかったような、よく分からない気味の悪さを感じた。


 そんな気持ちを振り払うように、紗夜は、仏間に敷いてある布団に入っている人物を覗き込む。

 少しやつれてしまった母の姿、そして、もう1人


「……希美」


 布団からはみ出ている小さな掌を、触れられないかと思い触るも、触れることは出来ない。

 そう、もう1つの未練……。それは、もうすぐ3歳になる娘の希美だった。


「ごめんね……! ママ、死んじゃって、ごめんねぇ……!」


 紗夜は眠る希美を見つめながら、ハラハラと涙を溢れさせた。可愛い、可愛い一人娘の希美。もっとこの子の成長を見届けたかったのだ。

 紗夜はひとしきり泣きじゃくると、触れられない希美の頭をそっと撫でるようになぞり、その場を後にした。


 祐基の家に戻った頃には朝方になっていた。住んでいるとこは近いとはいえ、県を跨いでいるのだから仕方の無いことだろう。

 祐基はまだ眠っている。あどけない寝顔に紗夜は、そっとその唇に、自分の唇を触れさせる真似をする。


「……もう、祐基とキスすることすらできないのかぁ」


 止まったはずの涙が再び溢れそうになる。とても虚しい気持ちだった。もっといっぱい色んなことがしたかった。もっと早く気持ちを伝えて、笑い合える未来を過ごしたかった。未練が増えるばかりで、このままでは本当に悪霊になってしまう、そんな気さえしていた。

 頭の中で誰かが囁くのだ。2人を道連れに逝ってしまえと。

 そんな馬鹿な考えが浮かんでしまうほど、紗夜の未練は強いのだろう。


「……やっぱり、会うべきじゃ無かったなぁ」


 ぽつりと呟く。すると


「何言ってんだよ……。俺は会いに来てくれて嬉しかったぞ」


 と返ってくるとは思わなかった返事が飛んできた。紗夜は焦ったように、視線を祐基へと向ける。彼は悪戯を企む少年のような表情で笑っていた。


「もう、空気なんか読んでやんねぇから。言いたいことすぐ言わせてもらうからな!」


 本当に、本当に……。祐基のそういうところに何度救われただろうか? やっぱり彼には敵わないと紗夜は思った。

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