第2話
「よ、祐基! おはよーさん!」
目を覚まし、真っ先に見えたのは紗夜のドアップだった。「ひょえ……」なんて情けない声を上げる。彼女はケラケラと笑いながら、「思ったよりもぐっすり寝てたねぇ」なんて暢気なことを言った。そりゃ、自分でも、こんな衝撃的な事が起こったのだから、眠れないんじゃないかと思っていた。そんなことなかった。熟睡した。
祐基に対し、ニヤニヤと笑みを浮かべている紗夜を無視し、彼は洗面所へと足を向かわせる。蛇口をひねり、ほんのり冷たい水で顔を洗う。後ろには紗夜がついてきているが、鏡には、彼女の姿は無かった。
「へー……。幽霊ってマジで鏡に映んないんだな」
「え? ……ほんまや!」
『いや、気づいてないんかい!』と心の中でツッコむ。そんなところも紗夜らしいが、こんなに暢気でいいのかと心配にもなる。
少しはしゃぐ彼女を放置し、今日の予定を頭の中で思い浮かべる。幸い今日は休みだ。紗夜には悪いが、早く成仏はしてもらいたいので、彼女が行きたがっていた店に行こうと考える。
昔、何かで聞いた話だったが、死んだ者がいつまでもこの世に縛り付けられていると、どんなにいい霊だったとしても悪霊になってしまうらしい。祐基は、紗夜を悪霊にはしたくなかった。彼女が彼女らしく、この世を去ってほしかった。そのためには、早く成仏させるしかないのだ。
紗夜がこの世からいなくなると思うと、ほんの少し、そう、少しだけ心が痛みに声を上げた。しかし、これは己の我が儘にすぎない感情だ。よくない感情だ。だから、祐基は、この感情に気付かないフリをした。
「紗夜、今日時間あるから行きたがってた店でも行くか?」
祐基は、紗夜にそう提案する。すると、彼女は花が咲いたような笑顔で「行きたい!」と答えた。彼女のそんな素直な所が祐基は好きだった。嬉しそうに天井を飛び回る紗夜に、小さく笑いながら、着替えようとした。しかし、幽霊とはいえ、異性がいる部屋で着替えていいのか? と悩む。
「おい、俺着替えたいんだが?」
「うん? 着替えれば?」
あっけなくそう告げる紗夜に、大きくため息をこぼした。「馬鹿なこと言ってないで、出てけよ」と告げ、祐基はタンスから服を選ぶ。紗夜は「しょーがねぇなぁ」なんて言いながら、部屋から出ていった。デリカシーが少ない女だとは思っていたが、ここまでとは……。それか、己が異性として見られてないだけか、と考え、ハッとする。自分で彼女の事を男女関係ない友達だと言っていたというのに。これでは、元から紗夜の事を女性として見ていたようではないか……。その事実に、頭を殴られたような衝撃を受ける。無意識的にこんなだったから、あの日過ちを犯したんだと己を責めた。
「おーい、祐基ぃ! まだぁ?」
ドアの外からかけられた声にハッとし、「すまん、もう少し待ってくれ」と答える。
昨日、紗夜が過去の事だと、もう気にするなと言っていたのに、また自分を責めてしまっていた。いい加減、このことは思い出すのをやめようと思い、祐基はさっさと服を選ぶことにした。
着替えを済ませ、紗夜を呼ぶと、「おっせぇ! 女のトイレ並みに遅いわ!」なんて意味の分からない罵倒? を食らった。
軽く謝り、外に出る。近くの駐車場に停めていた車に乗り込み、紗夜も隣に座った。「この車に乗るのも久しぶり」と小さく彼女が呟いたのを祐基は聞き逃さなかった。しかし、話しかけるつもりで言ったわけじゃない事を分かっていたから、あえて聞かなかったことにしたのだった。
車の中では、外で紗夜に話しかけると変な奴になるだろうからと、イヤホンを付けることを彼女に勧められた。そう、通話をしている風に見せかけるのだ。よく考えてるものだと感心しながら、祐基は、目的地までの道を確認する。
「そういえば、祐基ってさ」
「んだよ?」
「まだ彼女いないの?」
「……てめぇ、塩まくぞ?」
「あ、察し……」
こっちを哀れんだように見る紗夜。本当にこいつはデリカシーがない。イラっとしながらも、祐基は、彼女に向かって中指を立てた。「お? 喧嘩かぁ?」とノリノリでシャドーボクシングをし始める紗夜。「気が散る」と答え、祐基は運転に集中する。
そんなやり取りをしている間に、あっという間に目的地に着いた。
「どっから回るんだよ」
「ん~……、とりあえず、あっちから」
そこからは、昔、紗夜が生きていて、一緒に過ごしていた時と変わらない時間だった。楽しくて、居心地がよくて……。祐基の心を罪悪感と痛みで襲わせた。
ズキズキと痛む胸に知らん顔をしながら、祐基はとにかく楽しんだ。ぽっかり空いた時間を埋めるように。
お目当ての物を沢山買い込む。紗夜の欲しがった物も買っておいた。これで彼女が成仏した後も、彼女を思い出すことが出来るだろう。祐基にとってのせめてもの罪滅ぼしのつもりだった。
紗夜が行きたいと言っていた場所には、だいたい巡ったが、彼女が成仏する気配はない。『これは何か隠してるな』と勘づく。だが、どこか幸せそうな紗夜の表情を見ていたら、『まぁ、いいか』なんて思ってしまうのだから我ながら馬鹿だなと思う。
家に着いても興奮冷めやらぬ状態で、お互い話が盛り上がる。あれが良かった、これも良かった、なんて言い合った。
「あー! 楽しかったぁ!」
「そりゃよかったよ」
「本当に、楽しかったわぁ! ありがとね、祐基……」
改まったようにお礼を言う紗夜に、なんだかむずがゆい気持ちになる。寂し気に笑うのは、彼女が何か我慢している時の癖だ。そんな癖すら把握してしまうくらいに、祐基と紗夜の心は近かった。
「……まだ、なんか隠してんだろ?」
「えー? ……なぁんもないよ」
へへっと情けなく笑う紗夜に、今までにないほどイラついた。何を隠しているんだと。もう、死んでしまっているんだから、ぶちまけちまえと。
「お前のなんでもないは、なんかある時なんだよ」
「……ほんとに、そういうとこなんだよ。馬鹿」
悪態をつく彼女の心境が分からない。そういうとことは、どういうとこだとイライラが増していく。
「今更、何我慢してんだよ! 未練あると成仏出来ねぇんだろ?」
「……成仏したくないって言ったらどうすんのさ」
少し低く、怒りの滲んだ紗夜の声に、祐基は目を見開く。ここまで彼女がキレているのを見るのは初めてだった。どんなに嫌なことがあろうとも、冗談のように怒ったり、笑って流していた紗夜しか知らなかった。
彼女の本気の怒りに、祐基は言葉を出せなかった。本気で紗夜が成仏したくないと思っているのか? それは、なんで? と色んな事が頭の中を駆け巡る。
「……なんてね! 気にしなくていいんだよ。楽しんだし、もう、出ていくからさ」
いつものような笑顔を浮かべ、紗夜はそう言い放つ。笑ってはいる。いつもと変わらない表情だ。でも、なぜだか、とても悲しく見えた。無理をしているように見える。「じゃあね!」と出ていこうとする紗夜。祐基は咄嗟に声をかけた。
「行くな!」
彼の予想外の言葉に、紗夜は目を見開きながら振り返った。「頼む、行くな……」と必死に伝えてくる祐基。紗夜は、もう動いていない心臓が強く収縮したような痛みを感じた。どうして、今更、そんな思いが頭の中に浮かぶ。彼女の中で終わらせたはずの感情に、改めて火が付いたように感じていた。
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