特別な一日
「そろそろ、帰ろうか」
服も乾いて日が傾いてきた頃、総司が言った。
もうそんな時間かと腕時計を見ると、七時を過ぎていた。そろそろ門限だ。
「……ヤバい」
門限は八時ちょうど。学校からならなんとかなるんだが……ここから、間に合うだろうか?
「なに、門限でもあんの?」
「……いや、なんでもない」
俺は慌てて総司にそう答えたが、内心でめちゃくちゃ焦っていた。
「なんでもないなら、そんな風には言わないだろー?」
「いや……その」
言い淀む俺に総司がじりじりと詰め寄るので、俺は観念したように言った。
「……門限があってだな」
「あー、そっか。そうだよな、特殊な家なら、そりゃそれくらいあるよな」
「家、と呼べるかは分からないけどそうだな。飯の時間も決まっていて、それを過ぎたら食べられなくなる」
「厳しッ!? ちなみにあと何時間? ……いや、何分?」
「八時までだ」
「えっ!? マジで!? もう七時過ぎてるじゃん!」
総司は驚きの声を上げた。
「ああ……」
「何でもっと早く言わなかったんだよ! よし、俺が送ってく!」
「え? でも」
「いいから早く!」と総司は俺の腕を引っ張った。
「ほら、どっちに行けばいいの?」
「えっと、駅の方から……」
「よし、分かった!」
総司は走り出した。俺も必死についていく。砂浜から街路に出ると、二人で息を切らしながら駅へと向かった。
「ごめん……こんな遅くまで」
「謝るなって! 友達なんだから当たり前だろ!」
走りながらも、総司は明るく笑う。その笑顔を見ていると、なんだか胸が温かくなった。
「右! 次の角を右!」
俺の指示に従って総司は曲がる。二人で必死に走り続けた。
やがて見慣れた建物が見えてきた。
「あそこだ!」
「セーフ?」
総司が時計を確認する。
「……七時五十分」
「よっしゃ! 間に合ったな!」
総司は胸を撫で下ろした。俺も安堵の息をつく。
「ありがとう、総司」
「いいって! また学校で会おうな!」
総司は手を振って走り去っていった。その背中を見送りながら、俺は今日一日のことを思い返していた。
まさか、こんな風に友達ができるとは思っていなかった。でも、不思議と嬉しかった。
門限まであと十分。急いで中に入らなければ……。そう思いながらも、もう一度総司が消えた方向を見た。
明日、また会えるんだ。そう思うと、少し楽しみな気持ちになった。
これが、友達という存在なのだろうか──。
そんなことを考えながら、俺は建物の中へと入っていったのだった。
部屋に戻ると、制服から待機服に着替えて食堂へと向かった。
時間はぎりぎりだったが、なんとか間に合った。
「おや、椿くん。今日は随分と遅かったですね」
配膳係の女性職員が声をかけてきた。いつもより遅いことを指摘されて、少し申し訳なく思う。
「すみません……」
「いいえ、門限に間に合っていれば問題ありませんよ。それに……」
女性は少し笑みを浮かべた。
「今日は楽しそうでしたね。お友達と過ごされたのですか?」
「え?」
その言葉に驚いた。確かに今日は楽しかった。でも、それがそんなに分かりやすく表れているものなのだろうか。
「あ、はい。友達と……海に行ってました」
「そうですか。良かったですね」
温かい笑顔で言われ、なんだか照れくさくなった。
夕食を受け取り、いつもの場所に座る。周りには他の人たちもいるが、みんな黙々と食事をしている。ここではそれが暗黙のルールだった。
けれど今日は、なんだか少し違って見えた。みんな一人で食べているのに、寂しくは感じない。むしろ、明日また総司に会えることを考えると、少し心が躍った。
食事を終え、部屋に戻る。宿題をして、シャワーを浴びて、就寝準備を整える。
いつもと同じ日課なのに、どこか新鮮に感じられた。
ベッドに横たわり、天井を見上げる。
「友達か……」
呟いた言葉が、静かな部屋に響く。
今まで、こんな風に誰かのことを考えながら眠りにつくことはなかった。
戦いのこと、親のこと、組織のこと……そういうことばかり考えていた。
でも今は違う。総司の笑顔や、怒ってくれた時の表情、一緒に水を掛け合った時の楽しさ、必死に走って送ってくれた優しさ。
そういったことが、次々と思い出されてくる。
「明日は、学校に行くのが楽しみだな……」
そんなことを考えながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
穏やかな気持ちで、深い眠りへと落ちていく。
今日という日は、俺の人生の中で、きっと特別な一日になったのだと思う。
そして明日は、また新しい一日が始まるのだ──。
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