「そうですね。世の中、甘くないみたいです」

 よほど人が少ないのか、昇降口まで来る間に生徒とは誰も会わなかった。

 シューズロッカーの前で外の雨が降る様子を眺めていると。吾妻さんが俺のスクールバッグを持って近づいてきた。


「おまたせしました」


 言いながらスクールバッグを渡してくれる。

 女子からバッグを貰うシチュエーションが初めてでなんか照れ臭い。


「わざわざありがとう」

「いえいえ。それでは帰りましょう」


 笑顔で促すと、パンプスに履き替えて傘立ての方に歩み寄った。

 傘立てにからヒヨコのような黄色い傘を抜き取る。

 よく見ると子ども用みたいに短い。


「誠也さん。どうかしました?」


 吾妻さんが僕の視線に気が付いて不思議そうに見返してくる。

 俺は傘を指さして苦笑した。


「吾妻さんの傘。短そうだけど濡れちゃわない?」

「ああ、この傘ですか」


 手に持つ傘を見下ろして微笑む。


「昔、大好きな人に買ってもらったんです」

「大好きな人?」


 聞き返すと、吾妻さんは少し頬を赤らめる。


「大好きな人って言っても別に恋人とかではありません」

「お父さんとかお母さんとか?」

「まあ、そんなところです」


 否定とも肯定とも取れる返事をすると、吾妻さんは傘を広げて昇降口を抜けた。

 俺も傘立てから傘を取って吾妻さんを追って外に出る。ふと空を見上げると少しだけ晴れ間が覗いていた。けれども雨が止みそうな天気ではない。


 今思うと、莉乃さんへの告白は晴れた日にすべきだったと反省したくなる。


 そんな自戒の思いを抱きながら。吾妻さんと並んで学校を後にした。

 話題を探しながらしばらく歩いていると、吾妻さんの方から傘の下から顔を覗かせて口を開いた。


「誠也さんは商店街の方ですか?」

「ああ。吾妻さんは?」


 別に興味があるわけではないが、話の流れに任せて尋ねた。


「私は住宅街の方です。残念、途中からは反対ですね」

「あー。そうだね」


 残念、か。

 吾妻さんが僕と一緒の状況を楽しんでいるのは少し意外だった。

 俺からすると告白を阻止してきた相手であって、残念に思う理由はないんだけど。


「誠也さんはどうして佐伯さんの事が好きなんですか?」

「へ?」


 唐突な質問に間抜けな声を返してしまう。

 吾妻さんは傘の下から覗く顔に並々ならぬ興味を孕んだ微笑を浮かべる。


「好きになるからには理由があるんですよね?」

「まあ。そうだけど……」


 下手な発言を避けて、わざと煮え切らない返答をした。

 興味を無くしたように吾妻さんが正面に顔を戻す。


「答えたくないなら無理にとは言いません」

「答えたくないわけじゃないけど、別に言うような理由じゃないから」


 吾妻さんが自然に興味を無くしてくれるように気乗りしない風を装う。

 五歩ほど歩いてから吾妻さんは横顔だけで俺を振り向いた。


「やっぱり気になります。好きになった理由はなんですか?」

「だから、言うような理由じゃないって」

「言えないわけじゃないんですよね。教えてください」

「ほんとに言うような理由じゃないんだけどなぁ」


 億劫ではあるが一度だけ頭の中で莉乃さんが好きな理由を考えてみる。

 いつから好きなのか、どういうところが好きなのか、何かきっかけがあるのか――考えてみても好きになった明確な端緒はわからない。

 けど、莉乃さんの良い所なら言語化しやすい。


「強いて答えるなら、気さくで可愛いから」


 莉乃さんは日頃から明るく人を選ばずに接する。

 そういう人当たりの良さは恋愛感情抜きで好感が持てる。


「お腹は?」


 僕の答えを聞いた吾妻さんが予想の外れたような顔で問い返してくる。


「全く関係ない」


 きっぱりと否定する。

 性癖の事は話題に挙げないで欲しい。恥ずかしさで泣きたくなるから。


「案外、普通なんですね」


 詰まらなさそうに吾妻さんが呟いた。


「普通だよ。ドラマチックな理由でも想像してた?」

「人を好きになるって、もっと複雑なものだと思ってました」


 真面目なトーンで返ってくる。

 好きになっておいて、いざ記憶を辿れば理由はわからない。現実の恋愛にそこまで深みなんてないだろう。好きな理由を即答できる人は稀ではないかと思う。


「世の中、ドラマみたいにはいかないってことだな」

「そうですね。世の中、甘くないみたいです」


 黄色い傘の下から微苦笑らしき声が聞こえた。

 ふと、吾妻さんが足を止めたので距離が開く。

 話しているうちに、商店街と住宅街の分かれ道まで来ていたらしい。


「それでは、私はこっちなので」


 傘の内側を見せるようにして振り向き、住宅街へ入る道を指さす。

 俺は返事の代わりに片手をあげた。


「それじゃあね、吾妻さん」

「また明日一緒に帰りましょうね」


 微笑んでそう告げると、反転して俺に傘の外側を向けて住宅街への道を進んでいった。

 ――――――

 ――――

 ――

 何を企んでいるのかと思ったが、特に何もされなかった。

 ひとまず安心を覚えて身を翻し、商店街へ入る道に入って自宅を目指した。

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