一章 告白とその阻止と。

「あの人はあなたを不幸にします」

 ――空が暗い。


 なんでこんな日を選んでしまったのだろう。

 放課後の人気のない教室の外から雨模様の空が見えている。

 生徒のほとんどが帰った中で、僕が教室に残っているのには理由がある。

人を待っているからだ。

 その人の事を考えようとした時、教室のドアが開く音がした。

 腰まで届く艶やかな黒髪、ブレザー制服越しにもわかるほっそりとした腰つき、凛として利発な光を称える瞳――

 僕が特別な思いを寄せている佐伯莉乃さんが俺しかいない教室に入ってくる。

 教室で一人待っていた俺の目の前まで来ると、話し出すタイミングを作るように腰の後ろで手を組んだ。


「話ってなに、新田君?」

「ああ。ええと……」


 口から心臓が飛び出てしまいそうなほどに鼓動が速くなっている。

 誰もいない教室に呼び出して話がある、といえば莉乃さんも大体の予想はついているだろう。

 予想通りだったとしても、この気持ちは口にしないと。


「こんな雨の日に呼び出してごめんね」


 したかった話は謝罪ではない。

 僕の話したいことを察しているのか、莉乃さんが柔らかく微笑んだ。


「別にいいよー。それより話ってなに?」

「ええと、予想はついてると思うけど……」

「うん。なに?」


 莉乃さんの方から話を振ってくれたんだ。ここまでさせて思いを伝えないのは臆病にも程があるだろう。


「莉乃さんのことが……」


 心を満たしていた思いを口にしようとしたところで、出し抜けに教室のドアが勢いよく開けられた。


「え?」

「うん?」


 僕はドアの方に注意を逸らされ、莉乃さんもつられたように同じ方向に首を向ける。

 開いた教室のドアの前に女子生徒が立っていた。

 髪はヘアゴムで後ろに結わえ、制服にも着崩したところが全くない真面目そうな女子生徒だ。

 見覚えがないうえに、何故か不機嫌そうに眉尻を吊り上げて俺の事を睨んでいる。


「なに。新田君が呼んだの?」

「さあ。俺も知らない」


 莉乃さんの説明を求める問いに首を横に振る。

 名前すら知らないし、クラスメイトでもない。

 どうして、この教室に入ってきたんだろう?


「誠也さん。何してるんですか?」


 見覚えのない女子生徒が下の名前で俺を呼びながら尋ねてきた。

 なんで俺の名前を知ってるんだ。


「え。何って……」


 思いもよらぬ追及に言い淀む。

 告白しようとしていた、とは莉乃さんを前には答えづらいし、そもそも見知らぬ他人に正直に答える義務もない。


「何なの、これ?」


 莉乃さんが困惑した声音で訊いてくる。

 知らない、とまたしても俺は首を横に振った。


「誠也さん。何をしようとしてたんですか?」


 女子生徒が怪訝そうに僕を見つめる。

 さっきよりも質問が鋭くなってる。

 というか、多分バレてる。

 どうしたものか、と俺が悩んでいる間に莉乃さんが女子生徒に苦笑を返した。


「あたしは新田君に呼ばれて来ただけなんだけど、なんで新田君に尋問みたいなことしてるの?」


 顔には表れていないが莉乃さんの声に不快感が混じっている気がした。

 僕からの話を遮られたからか理由はわからないけど。

 なんと返すのか気になって女子生徒の方を見ると、あからさまにムッとした顔つきになっていた。


「私は誠也さんに用があって来たんです。別に尋問してるわけじゃありません」


 俺に用、か。

 最初から疑問に感じていたけど、この子はどうして俺を下の名前で呼ぶんだろう?

俺の方は君の名前さえ知らないのに。


「ごめん君。名前、聞いていいかな?」


 思いきって尋ねる。

 すると女子生徒は意外そうな目で僕を見返した。


「私の、名前ですか?」

「そう。初対面だよね?」


 俺の方が忘れているだけ、という場合もあるが、彼女の顔を見ても記憶が蘇る兆しがまるでない。

 女子生徒は眉尻を下げて見るからに落胆した。


「そうですよね。誠也さんからしたら初対面ですよね」

「できれば、名前を教えてくれないかな?」


 一方通行で他人のことを認識しているケースはよくある。

 自分たちが総理大臣の名前を知っていても、総理大臣は自分達の名前を知らないのと同じ事だ。


「わかりました。誠也さんに名前を教えます。あずまさえかっていいます」


 あずま さえか。やはり知らない名前だ。


「どういう字を書くの?」

「漢字ですか。説明するより実際書いた方が早いでしょう」


 そう言うと女子生徒は黒板に近づいた。

 白のチョークを手に取って、黒板の右端に縦書きで名前を書く。


 吾妻 冴佳。


 苗字すら見たことない。


「吾妻さんって呼べばいいのかな?」

「お好きな呼び方でどうぞ」

「そっかぁ。吾妻冴佳さんかぁ」


 莉乃さんが黒板に書かれた名前を眺めながら納得したような声を出した。

 何か思い当たることがある様子だ。


「莉乃さん。吾妻さんのこと知ってるんですか?」

「知ってるよ。同じクラスだからね」

「え、逆に今まで気が付かなかったんですか?」

「どこかで見たことあるなぁーとは思ってたんだけど、漢字を見て確信した」

「クラスメイトのことぐらい覚えてあげましょうよ」

「今まで絡みがなかったからね。それに吾妻さんは四月から編入してきたばかりだから、あんまり知らない」


 四月からの編入生だったのか。

 どうりでクラスの違う俺が吾妻さんのことを知らないわけだ。

 吾妻さんがクラスメイトだとわかって安心したのか、莉乃さんがにこやかに喋り出す。


「吾妻さんは新田君に用があるらしいから、あたしのことは後回しで先に用事を済ませてあげてよ」

「後回しでいいんですか?」

「あたしは気にしないよ。だって呼び出したのは新田君の方だし」


 確かに。俺が呼び出してなければ莉乃さんはこの教室に来なかったわけだからね。

 告白できる状況ではなくなり、俺は吾妻さんに向き直った。


「それで吾妻さん。用って何?」

「とりあえず。一緒に来てもらえますか」


 こんな雨の日の放課後にある用ってなんだろうか?

 予想はつかないけど、まあ知り合ったばかりだから大した用事ではないだろう。

 吾妻さんが身を翻して教室を出ていった。

 俺は去り際に莉乃さんへ振り向く。


「それじゃ、ごめん。吾妻さんの用を済ましてくる」

「行っといでー」


 待たされることを不満に感じていない呑気さで莉乃さんが手を振ってくれる。

 莉乃さんと別れ、吾妻さんの後を追って教室を出た。



 吾妻さんに着いていくと、何故か一年生の教室が並ぶ一階の廊下まで端まで来ていた。

 雨が降っていても学校に残っている生徒は少ないのか、廊下には誰も出ていない。


「ここまで来たら、大丈夫でしょう」


 前を歩く吾妻さんが足を止めた。

 つられて立ち止まる俺に身体ごと振り向く。


「誠也さん。こんなところまで着いて来てもらってすみません」

「構わないけど、用って何?」


 用事を早く済ませて莉乃さんの待つ教室へ戻りたかった。


「誠也さんに頼みがあります」

「頼み?」


 前置きはいいから用件を言ってくれ、と逸る思いを抑えて促す。

 突如、吾妻さんの表情に真剣さが宿る。


「誠也さんにしか出来ない事なので、よく聞いてください」

「わかった」


 俺にしか出来ない事ってなんだろう。

 人に誇れるような特別な技能があるわけでもないし、何かの権限を持っているわけでもないのに。


「いいですか。言いますよ?」

「うん。言って」

「告白しないでください」


 ――――――

 ――――

 ――

 はあ?

 告白しないでください?


「何を言ってるの吾妻さん?」


 予想だにしない頼みごとに、俺は驚きを隠しきれなかった。

 吾妻さんはなおも真剣な顔つきで言葉を返してくる。


「言ったとおりです。告白しないでください」

「なんで? というか、どうして僕が告白する前提なの?」


 吾妻さんは俺が莉乃さんに好意を寄せていることを知らないはずだ。それに今日告白するつもりでいることは誰にも話していない。

 けれども吾妻さんは俺の質問がおかしいとでも言うように、もどかしげに眉根を顰める。


「逆に聞きますけど、誰もいない教室に佐伯莉乃さんを呼びだして何をしようとしたんですか?」

「な、何って……」


 確信を得たうえで追及してきているように思える。

 それでも何とか誤魔化さないと。


「えーと、SMプレ……」

「告白でしょ。図星ですよね?」 


 答える前に言い当ててきた。

 とぼける余地もないほどにバレバレだ。


「そうだよ。告白だよ」


 追及された事実を認め、負け惜しみの気持ちで訊き返す。


「じゃあ、仮に告白だとして何で告白しちゃダメなの?」


 理由もなしに告白を延期されてたまるか。

 告白の決意は容易に固め直せるものではない。


「告白をしちゃいけない理由ですか?」

「止めるからには理由があるんだよね?」


 吾妻さんやそれ以外の人の自分勝手な理由だったら突っぱねるつもりだ。

 間を置いてから吾妻山が口を開く。


「あの人はあなたを不幸にします」

「……はあ?」


 どういうことだ?

 あなたを不幸にする?

 莉乃さんに告白すると俺が不幸になるってことか?

 ――まさか、フラれるってこと?


「もしかして僕ってフラれる?」


 自分の顔を指さして尋ねた。

 吾妻さんはどう言おうか迷ったように目線を外し、言うことが決まったのか目線を僕の方へ戻す。


「とにかく告白しない方が誠也さんのためです」

「うーん」


 やってみなきゃ結果なんてわからないだろう?

 それにしないで後悔するより、してから後悔する方がマシじゃないか?


「吾妻さんの考えてることが僕にはわからないよ。どうして告白を止めるの?」

「誠也さんが不幸になるからです」


 告白を止める理由を聞いても不幸になるの一点張りになりそうだ。

 少し質問内容を変えよう。


「どうして僕が不幸になるの?」


 問いかけると、吾妻さんは思案するように顔を伏せた。

 次に顔を上げた時には、何故か吹っ切れた雰囲気を持っていた。


「誠也さんはフラれます」

「え、ええ?」


 そんなにはっきりと断言できるものなのか?


「驚いた顔してますね。成功すると思ってました?」

「確実に成功するとは思ってなかったけど、可能性はゼロじゃないよね?」

「限りなくゼロに近いです。小指と薬指くらい近いです」


 そう言って右手を掲げ、小指と薬指をあえてくっ付けて見せる。

 針を通す穴ほども隙間がないじゃないか。


「それはとてつもなく近いね」


 軽口っぽく返すが、本当は結構傷ついている。

 吾妻さんの思惑通りなのかもしれないが、フラれるという未来が見えてしまうと告白する勇気が萎んでいく。

 この勇気を奮い起こすには時間を要しそうだ。


「告白する気が無くなってくるよ」

「勝算のない勝負には挑まないのが吉です」


 俺の判断を同意するように言った。

 でもなあ、莉乃さんの事が好きには変わりないんだよな。


「どうすれば告白の成功率を上げられるかな?」


 女子である吾妻さんならば何かヒントをくれるのでは、と尋ねた。

 答えるつもりがないならそれでも構わなかったが、吾妻さんが意外にも顎に手を添えて考え始めた。

 答えを思いついたのか、軽く微笑んで僕を真っすぐに見る。


「まずは恋愛慣れしないといけませんね」

「はあ、なるほど。耳に痛い意見だ」


 誰彼が付き合っているとか、誰を誰が好きとか、そういう恋愛事情とは残念ながらあまり縁がない。


「恋愛慣れする、と言ってもどうやって慣れればいいんだ。おいそれと誰か付き合ったりとかは出来ないだろ?」

「恋愛慣れしたいからという理由で彼氏になられても普通なら困りますし、失礼です」

「そうだよね」


 吾妻さんの言葉に頷き返す。

 となると、やはり強行突破で告白するしかないかな?


「ただし、真剣な交際でないとすれば話は簡単ですけど」


 告白への勇気を再び湧き起こそうとした俺の耳に、吾妻さんの声が入ってきた。

 どういうこと、と目顔で促すと吾妻さんは喜悦さえ窺える微笑を浮かべた。


「しばらくの間、私が指導者兼彼女役になります」

「……はい?」

「誠也さんの行動にダメなところがあれば、注意してあげますからね」


 何を言い出すんだ?

 このまま吾妻さんに話を続けさせてはマズい気がした。


「ちょっと待って。俺はまだ了承してないんだけど?」

「じゃあ了承してください」

「出来ないよ。告白の成功率を上げる方法として提案してくれてるんだろうけど、まず指導者兼彼女役って何。聞いたことないんだけど」


 荒くなりそうな声を抑えながら吾妻さんの正気を疑った。

 吾妻さんは予想が外れたように目を大きく見開く。


「えっ。嫌ですか?」

「嫌も何も。告白は俺の個人的な事情なのに、吾妻さんが指導者兼彼女役とかいう変な役職に就くのはおかしいでしょ?」


 俺が莉乃さんに告白することは、本来吾妻さんには関係のない話のはずだ。

 フラれるからやめなさいまでは気遣いだと受け取ったけど、彼女役に関しては反発せずにはいられない。


「おかしくはないですよ。それと変なとはなんですか、指導者兼彼女役はとても大事な役職ですよ」

「そうかなぁ?」

「そうなんです」


 断言してから、うんうんと納得するように自分で頷いた。

 指導者兼彼女役って絶対変だよ。

 それに吾妻さんは関係ないじゃないか。


「吾妻さんにそんな役をしてもらう必要はないよ」

「どうしてですか?」

「僕は莉乃さんに告白するって決めたから」


 覚悟を見せることにした。

 吾妻さんは哀訴するような顔になる。


「やめてください。佐伯さんに告白するのだけは本当にやめてください」


 声音で必死さが伝わってくる。

 もしかすると演技かもしれないが、そんな顔までされるとこちらも無下にしづらい。


「どうしてそんなに俺が莉乃さんに告白することを止めたがるの?」

「それは……」


 弱腰になって言い淀んだ。

 本当の事情はどうしても答えらないのだろう。


「俺が不幸になるから?」


 吾妻さんに譲歩して俺の方から理由を尋ねた。

 俺の問いかけの内容を予想していなかったのだろう、吾妻さんは虚を衝かれたようにこちらを見つめた。


「は、はい。誠也さんが不幸になるからです」

「今の俺が告白してもフラれるんだよね?」

「フラれます」

「はあ」


 溜息を吐く。

 告白してフラれる、確かにそれは不幸だ。


「吾妻さんがやめて欲しいなら告白はやめるよ」


 告げると、吾妻さんの表情に安堵が宿る。

 でも、と俺は続けた。


「莉乃さんの事が好きっていう気持ちは変わらない。だから気持ちが抑えきれなくなったら告白するから。今回は吾妻さんが止めるから告白しないだけだよ」


 吾妻さんの許可が下りるのを待っていたら、いつ告白できるか目途がつかない。だから今はこう言うしかないと思う。


「わかりました。それで充分です」


 吾妻さんは理解を示してくれた。


「どんな形であれ誠也さんが佐伯さんへ告白することを阻止できればいいんですから」


 告白を阻止、か。

 抜き差しならない理由があるんだろうけど、おそらく吾妻さんは答えてくれないだろうし、脅すような事はしたくない。


「用はこれで終わり?」


 俺の告白を阻止することが目的なら、もう用は済んだはずだ。


「はい。告白を阻止出来ましたから」

「それじゃ。俺は帰るね」


 教室の方へ足を向ける。

 用が無いならさっさと帰りたい。それに教室に莉乃さんを待たせているから早く戻らないと。


「待ってください」


 呼び止める声に歩き出そうとした足を止めて振り向く。

 吾妻さんが呆気にとられた顔をしていた。


「帰っちゃうんですか?」

「帰るよ。だってもう用はないんでしょ?」

「指導者兼彼女役の私は放置ですか?」

「それまだ続いてたんだ」


 了承しなかったから話は片付いたとばかり。


「続いてるも何も、まだ始まってませんよ」

「じゃあ始めなくていいから」


 わざと気のない声を返す。

 吾妻さんは対抗するように悪戯っぽく微笑んだ。


「誠也さんの秘密。佐伯さんにバラしちゃってもいいんですか?」

「……秘密ってなんだよ」


 吾妻さんの手には乗るまいと思いながらも、万一の恐れて尋ねてしまう。


「気になりますか?」

「吾妻さんは俺の何を知ってるんだ?」


 厳しさをもって追及する僕に、吾妻さんが穏やかとも取れる笑顔を返してきた。


「チアガールへそチラ写真集」


 ……やめろ。


「お腹フェチ必見。魅惑のくびれスト達!」


 やめろ。


「性癖ぶっ刺さり! お腹ペロペロ……」

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 恥辱に耐えられず喉が破れそうなほどの大声で叫んだ。


 なんで僕のお気に入りエロコンテンツ三選を知ってるんだよぉ!

 学校では下世話な話題には興味ないキャラを演じていたのに、この秘密が広まったら性癖が丸裸じゃねーか!

 周囲がおっぱいに興味を示すところを、あえて自分だけお腹に注目することで、周りとは違うという優越感を味わいたいのに!

 腕を前に出した時に制服が引っ張られて露わになるお腹のラインとか、暑い日に風を入れるために服の裾を少し捲った時とか――って、今は嬉しい記憶を脳内ストックから探してる場合じゃない。


「知られたくないですよね?」

「どうして知ってるの?」


 即座に問い質した。

 ふふっ、と含み笑いされる。


「弱味を握らずに頼み事をするわけないじゃないですか?」

「どうやって情報を手に入れたの?」

「教えません」


 クソッ。漏洩を防ぐ策すら立てられないし、学生生活を守るためには従わざるを得ないじゃないか。

 もしも秘密が莉乃さんに伝わったら、ゼロに近い告白の成功率が地に落ちるどころか奈落行きだ。


「言うこと聞くから、絶対にバラさないで」

「それでは正式に指導者兼彼女役に就任します」

「はい。よろしくお願いします」


 礼を欠かないようにと深々と頭を下げた。

 覆しようのない力関係が出来上がってしまった。


「悪いようにはしません。安心してください」


 ほんとかな?

 意気込みを見せるように吾妻さんは片手に握りこぶしを作る。


「指導者兼彼女役として、誠也さんをしっかり正しき道へ導かせていただきます」


 なんだろう、正しき道って。性癖を矯正されるってこと?

 ――そもそも俺の性癖におかしなところはない。


「ふふっ」


 俺が自分を言い聞かせていると、吾妻さんが愉快そうに笑った。

 こちらを脅して困らせるのがそんなに面白いのか?


「なんか。楽しそうだね?」

「はい。楽しいです」

「こんなことして楽しいかなぁ?」

「秘密のことについては気になさらないでください。悪いようにはしませんので」


 現時点の力関係では吾妻さんの言葉を信じるほかないだろう。


「それでは、一緒に帰りましょう」


 諦めの境地でいると、話題を切り替えるような吾妻さんの声が耳に入った。

 一緒に帰る?


「え。今、一緒に帰るって言った?」

「はい。指導者兼彼女役ですから」


 当然のように答える。

 下校を共にするぐらいなら無理して反発する必要もないけど……


「帰るって言っても、荷物取りに教室戻らないと」

「そうですね。なら私が行ってきます」

「そこまでしなくても……」


 自分で行くよ、と言いかけて逡巡する。

 教室には莉乃さんが待っているはずだ。おそらく吾妻さんは俺が莉乃さんと接触することを避けるために自分が取りに行く、と言っているのでは?


「それじゃ、誠也さんは昇降口前で待っていてください」


 俺が考えているうちに、吾妻さんは二階に上がる階段の方へ歩き出していた。


「窓際の列の真ん中だから」


 吾妻さんに席の場所だけを告げて、俺は昇降口前へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る