第三羽
Ⅰ
私が、人間界に下りて、最初にやったことは父親を捜すことだった。
正確には父親の墓を探すこと。
再会はできないと思っていたから。
父親が死んだから、母親は自殺したのだ。これで、生きていました、では母親はただ狂っただけだ。
(まあ、他の人―――人間の女―――と結婚したから、もあり得るけれど)
捨てられたのだと絶望して、もあり得る話だ。
置いていかれた私は母親の生きたい理由には成り得なかった。
トラウマにしかならないのに、目の前で死んだくらいだから、余程私という存在は邪魔だったのだろう。嫌いだったのだろう。憎んでさえいたのかもしれない。
そうでなくとも、天使と人間とで流れる時間は違う。
故に、父親が生きている可能性は0だった。
だから、父親の墓を、父親が過ごした場所を知りたかった。そして、母親とどう過ごしていたのかを――――――。
母親が譫言のように父親の話をしていたから、二人が出会ったであろう大まかな場所は知っていた。
写真なんてものはなかったけれど、名前は知っていたから聞き回っている内に、たどり着いた。
辿り着いてしまったんだ。
Ⅱ
「は?親父の娘???」
どうやら父親は母を待てずに別の女と結婚したらしい。
今目の前にいる男は、父親の息子らしい。
聞き回っている内にあそこの家の人のことじゃないか、と言われた。
「たぶん、ですけど。会ったことも、顔も知らないので」
「ふーん。で?」
「で?とは?」
首を傾げる。
私の兄弟にあたるだろう男は面倒くさそうに頭をかく。
「今更会いに来て、どうしろって?面倒を見ろってか?」
「え?そんなこといつ言いました?」
正直、生きていると思っていなかった。
どうやら、父親はうまいこと長生きしたらしい。
この目の前にいる男は30代ほどだろうから、だいぶ年老いてはいるだろうけれど。
「元々結構昔の話で、私を生んだヒトが死んでからも結構経ってます。面倒を見てほしいならもっと早く来ますよ」
「それは、そうかもしれないけれど………」
今の私の見た目は、人間で言うのなら20代半ばくらいだろう。
怪しむのも無理はないが。
「ただ、父親のことを知らないままだったので、どんな人だったのか、母とどんな風に過ごしたのかを知られれば、と思っただけなんです。なんなら死んでいるだろうって思っていたので」
「ふーん………」
イマイチ信用はされていないようだが、正直生きている場合を想定していなかったので、これ以上言いようはない。
「生きているのなら、会ってみたいんですけど」
「会うだけいいのか?」
「ええ。まあ、あとは少し話でもできれば」
別に今更でしかないし、人間が天使にどうこうできるものでもないから、本人から話が聞けるのならそれでいい。
母親が狂ったという点では少し恨んでいるけれど。
まあ、父親だろう人と離れてから狂ったのだろうから、父親のせいでもないのかもしれないけれど。
「親父、なんか、あんたの娘だっていう奴が来たんだけど」
警戒はされているものの、割とすんなりと家に入れてもらえて、彼――――翼の案内で陽当たりのいい部屋へ通された。
「はじめまして」
年老いて、ベッドの上で寝たきりの男は、ゆっくりと振り返った。
「むすめ………?」
「ま、認知症も酷いから、どれくらいあんたの母親のことを覚えているかは知らねえけど」
ぼけっと自分を見つめる男。
その様子をフォローするように翼は言う。
(私と、名前が一緒の、父親の子供………)
子供につける名前を両親は話したことがあったのだろうか。
母親の話にはそんなものは出てこなかったけれど。大半が、父親がどれほど素晴らしい人だったかばかりだったから。
「ツバサ、といいます。私に似た顔の、金髪碧眼の女性を覚えていませんか」
別に覚えていないなら仕方がない。
だって、何十年も前の話で、母親は子供ができたと同時に姿をくらませた。
忘れられない日々があったとしても、結婚して、子供がいて、その子供にも子供がいるのなら、綺麗な思い出として昇華されたって文句はない。
そもそも、文句を言いに来たんじゃない。
母親が狂うほどの恋を知りたいと、どうして私は愛されなかったのかを知りたいと思っただけだ。
そうやって、過去に区切りをつけたくて、探していただけだ。
「楓花………?」
老人が零した名は、母の名で。
「ああ、覚えていたんですね」
良かったね、と母と仲が良かったら言えたかもしれない。どうしようもない理由で死んだのであれば、ヒカリ―――私たちにとっての墓前の前で報告したかもしれない。
けれど、そんなことはしないだろう。
「母を、楓花を愛していましたか?」
「楓花……どこに行っていたんだい?」
父親は私に愛した女を重ねて手を伸ばす。
けれど、私は動かない。
私は、彼が愛した女ではないから。
(はは、その子供だとも認知されないか)
病だと言うのなら仕方ないのかもしれない。
それでも―――――
(やっぱり私は愛されない)
「子供が、できたと言って、必ず帰ってくるからと………」
父親であろう男は私に手を伸ばすことを辞めない。
届かないのに。
永遠に母に届くことはないのに。
「ずっと待っていた。ずっと、探していたのに………」
どれほどの時間を待っていたのだろう。
どれほどの時間探していたのだろう。
何もかも無意味だと知らないまま。
(ああ、哀れで、愚かだ)
可哀想に。
あなたが愛した女は子供産んで、あなたに会えなくなった。
愚かだね。
結局待てなくて、他の女と結婚して、母は狂ったまま死んでいった。
「楓花は死にました。あなただけを愛して、あなただけを想い続けて、狂って死んでいきました」
そう、母はあなただけを愛していた。
きっとこの男が私の言葉の真意には気付かないだろう。
私の後ろで、翼が息を飲むのが分かった。
「さようなら、お父さん」
そう呼ぶのも、会うのも、これで最期。
もう老い先短い彼はここ1カ月の内に死ぬだろう。
死んだら、母に会うのだろうか。それとも、人間の妻の方に会いに行くのだろうか。
どっちでも関係はない。
いっそのこと死んでいれば良かったのに、と心の中で零して、私は老人に背を向けた。
Ⅲ
「あれで、良かったのか?」
「認知症ということですし、私は母の方に似ているらしいので、仕方ないでしょう」
結局、私は両親に愛されていなかった。
それだけが事実だ。
「けど………」
「ありがとうございます。会って、話が出来て、良かった」
嘘だ。本当は話なんてできなければ良かった。
「また、来たらいい。もしかしたら、次は――――――」
「いえ、もう二度と来ません」
どうしたって、私は他人のままだろう。
娘だなんて言われたって実感が湧くわけがない。
子供についても特に言及がなかったから、きっとその程度だったんだ。
子供を産むのは知っていても、あの男にとって、愛した女の方が大事で、その過程で生まれた子供なんて会わない限り他人だったろう。
わずか数分の接触で、納得も理解も認知もしようがない。
してほしいとも思わない。
病で覚えていないというのなら、覚えられないというのなら、むしろ好都合だ。
「今日は突然すみませんでした。家に上げてくださって、彼と話させていただいてありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる。
「その、あんたは自分の母親の代わりに………?」
「いいえ。過去を清算したかったもので。言ったでしょう?母はとっくに死んでいるって」
「そう、だけど………」
彼の困惑に私はようやくああ、と彼の懸念を思い当たる。
「母は自殺です。特に何も言い遺されてもいないですし。衝動的ぽかったので、父親が死んだからだって思っていたんですけど、他の人と結婚したから死んだ、が正しかったみたいですね」
自嘲気味に言ってから、嫌味になってしまうなと気付く。
「ごめんなさい。あなたたちを責めるつもりはなかったんです。彼が他の人と結婚したって仕方ないので。母は……母の家はちょっと特殊な家でして、その都合でなかなか戻って来れなかったんです。で、たまたま結婚したのを知ったんでしょうね」
だから、彼らは何も悪くない。
母側の都合でしかなく、今日に至るまで私も来ることは出来なかった。
だって、母は天使だ。
本来、人間とは関わりようがない存在だ。
「仕方ないことなんです、こればっかりは。だから、気にしないでください」
「父は!!」
私の言葉に被せるように彼は叫んだ。
「父は、40くらいで、結婚しました。俺の、母は知っていました。父に愛した人がいて、それでもいいから、と。戻ってきたら別れてもいいって、それでも傍にいたいって、それに絆されるように結婚したって聞きました」
吃驚しているうちに、早口で告げられる彼の都合。
「さっきも見てもらったみたいに、父はあなたのお母さんを愛しています。母より、話題に上がるくらいには」
「……………」
母が聞いたら喜んだだろう。
母が知ったら笑っただろう。
そもそも彼の名前が私と同じである時点で、きっとこの父親は母を忘れられなかったのだろう。
「だから、父の気持ちはずっと―――――」
「それで?」
でも、私には関係のないことだ。
「彼の気持ちがどこにあるかは興味ないです。母が聞いたら喜んだでしょうけれど、私にとってはどうでもいいんです。ただ、母がああまでして愛した人は、その人と過ごした日々はどんな感じだったんだろうって気になっただけです」
彼の懸命な言葉を私は切り捨てた。
同じ名前でも、あなたと私は違う。
いいよね、愛し合った夫婦の間で生まれた子供ではなくても、それでもあなたは愛されていた。
だって、見ればわかる。
健康的な身体からも、家が暖かなことから父親を想っていることも、ちゃんと親孝行しようと思うのは大事にされたからだ。
私は違う。
私は蔑ろにされ続けただけだ。
愛し合った男女の間で生まれたはずなのに。
「知れてよかった。私は望まれて生まれたわけでもなく、愛されもしていなかったんだって」
「それは違う!!」
「はは、彼が私を母と間違えたのに?病のせいとはいえ、気付かないままだったのに?」
「…………っ」
「気を遣わなくて大丈夫ですよ。事実ですから。母は、私の前で死んだんですから」
彼が絶句したのを見て、私は彼に微笑んでその場を立ち去った。
さようなら、父親だった人。
さようなら、母親だった人。
あなたたちは互いに愛し合っていたけれど、その間に生まれた子供は蔑ろにした最低な親だったよ。
来世では結ばれるといいね。
そのときは、あなたたちの子供じゃないことをただ祈るよ。
私はようやく、家族や愛というしがらみから解放された。
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