第二羽
Ⅰ
殺してくれないくせに
生きるなとも言う
ああ、なんて身勝手で残酷なのだろう
ここに私の居場所はない
ならば、別れを告げよう
このくだらぬクズばかりのセカイに
Ⅱ
カタン、と音が鳴って、目を開ける。
あの絶望の日の夢を見た。
何もかもに絶望して、居場所がないこと嘆いて、愛されないことに打ちのめされて、全部が嫌になって、逃げだした日のことを。
(今となっては逃げて正解だった)
あそこに居続ければただ心を殺されて、いずれ身体も朽ち果てただろう。
私―――ツバサはその昔天界にいた。
天使だけが住まう、真っ白な世界に。
私は天使だ。より正確には人間と天使の混血の天使擬き。
天使の母親が人間界に下りたときに人間の父親に出会って、お互い恋に落ちて、私が生まれたというよくある話だ。
よくある話と言っても、子供までできてしまう例は稀だったらしく、頭の硬い天使たちは私を拒絶した。
母は純血だし、恋に落ちることはよくあるからと特に何も言われないけれど、人間の血が流れる私は気持ちが悪いらしい。
人間界に下りた今となれば、馬鹿馬鹿しいと一蹴するが、思考が天使寄りだった当時の私はただ、その言葉と態度に耐えていた。
母親は守ってくれなかった。
私を生んだ女は天界で私を生んだことを後悔していた。
人間界に居続ければ、愛した男の傍にいられたからだろう。
戻ってきてしまったことで、母親は天界から出られなくなってしまった。
私もまた隠すように閉じ込められて、できることと言えば母親に愛を乞うぐらいで。
あの閉鎖的な空間でできることなど限られているから。
天使たちは人間と同じように母親の腹から生まれることもあれば、ヒカリという天使を生み出す空間があって、夫婦の天使がその前で祈ると二人の特性を持った天使が生まれるという。
私はもちろん、人間との混血なので、母親の胎から生まれている。
だからというか、余計にと言うか、人間の血が混ざっている私に羽根は半分しか生えなかった。
天使の翼にはあらゆる情報が含まれている。
人間でいう脳みそみたいな感じだろう。
永く生きるが故の膨大な記憶や、自然と身に着くあらゆる知識、そしてそれぞれの天使が持つ能力。
それらが天使の翼には集約されている。
そう、それら。
私は天使の持つ能力を持っていない。
要は翼の生えた人間、の状態。
能力は一切使えない。
そのせいか、翼も片翼しかなかった。
どれほど成長しても、片翼だけが大きくなる。
歪で、異常で、異質。
だからなのか、天使たちに私の存在は受け入れられない。
虐げられて、暴言を吐かれて、時には存在さえ無視される。
それが、天界での私だった。
母親でさえ、私をいないかのように扱う。
時折、父親のことを想い出して、機嫌が良いときは優しかったけれど、そんなときは本当に稀で、私はただ必死に母親にしがみついていたと思う。
そうしていれば、生きることはできた。
だから、必死だった。けれど、私の地獄はそれだけで終わらなかった。いや、むしろ、そのあとからが本番だと言わんばかりだった。
今でも昨日のように思い出せる、光景。
Ⅲ
瞼の裏に浮かぶは―――――赤。
鮮やかな赤は、私を染めた。
どうして?とは思わなかった。
ただ、ああやっぱりそうか、と思っただけだった。
そのあとの地獄を知っていれば、もう少し頑張って引き留めていたかもしれないけれど。
いや、引き留めたところで無意味だっただろう。
だって、母親が愛していたのは父親だけだったから。
初めから私なんて眼中になかった。
何かしらの能力で父親の存在を母親はずっと感じていたらしい。
だから、父親が死ねばその繋がりも切れる。
壊れて娘を蔑ろにしながらも、生きていたのは父親がいたからだった。
けれど、それさえ消えてしまえば、母親に生きている意味などないのだろう。人間の寿命はずっとずっと短いから。だから、母親だったはずの女は愛おしい男に会えなくても生きていたのだろう。
天界は、人間界みたいに時間や季節によって温度が変化することも、天候が変化することもない。
上級の天使たちの間で哀しいことがあれば、雨くらいは降るけれど、その程度だ。
だから、いつもと変わらない、ただ暖かな光が差し込む、昼間のことだった。
人間界では真夏だったような気がする。
いや、時間流れも違うし、そもそも子供で出来損ないの私がそう簡単に人間界をのぞけるわけではないから、正しくはないだろう。
ただ、母親が最期に見ていた人間界は、その瞳に映っていた小さな世界は、眩いくらいに太陽の光で溢れていたからそう思っただけなのかもしれない。
天使は、悪魔との戦いと寿命以外ではそう死なない。病にはほとんど罹らないし、天使同士の怪我では死には繋がらない。痛くはあるけれど。殺すことは不可能ではないがとても難しい。
だから、母親は父親の死を知ると同時に、自ら命を絶った。
娘である、私の目の前で。
あまりにもあっさりと。
ナイフで自分の胸を突き刺した。
頭が理解するのに時間を要した。
母親の返り血で真っ赤に染まって、何もできなくて、どうしたらいいかもわからなくて、ただ茫然としていた。
偶然にも、その日は母親の家族が家に生活物資を届けに来る日だったから、母親の死はすぐに気付かれた。
何故か私が殺したと勘違いして、警察に連れていかれたけれど。
そんな世間知らずの子供ができるわけねえだろ、と今では思う。
とはいえ、頭でっかちの天使たちはずっと私が犯人の前提で進めて、けれどまともに調べようとはせず、結局状況証拠しかなく、肝心の凶器に私が触れた跡はなかったため、バカみたいな時間をかけただけで、ようやく無罪だと証明された。けれど、そうやって解放されたときにはもう、母親の葬儀は終わっていて、遺体はヒカリに送り還された後だった。
天使は死ぬとヒカリに送られる。ヒカリから生まれようが、母親の胎から産まれようが、関係なく、そこが天使の故郷だと信じられているから。
それを見送ることが、天使たちにとっての葬儀だ。
私は娘なのに、それに立ち会わせてもらえなかった。
まだ子供の上に、容疑者なだけだったのに。
本当なら――――私が純血の天使だったら、きっとすぐに調べ終わって、その日の内に釈放されたはずなのに。
そうしたら、母親をちゃんと見送れたはずなのに。
混血だからというただそれだけで、バカみたいな時間放置されて、気持ち悪いモノでも見るかのような目で見られ続けて、ようやく終わったかと思えば、捨てられるように追い出されて。
私が何をしたと言うのだ。
その段階で、酷い絶望を味わった。
家に帰れば、何もかも捨てられていて、なんなら家ごと燃やされていて、何も残っていなかった。
まるで、汚いと言われているようで。
それにもまた呆然として、それをしたであろう母親の家族に抗議しに行きたくても、結局その場所さえ分からない。
だから、仕方なく家の跡地に居続けた。
どうせ、誰も来ないだろうけれど。
そのうち飢え死にするかもしれない。
それでもいいかと諦めて。
なんで生きているんだっけ?とそんなことをぼんやりと考えた。
こんなことなら母親からナイフを引き抜いておけば良かったとか、引き抜いたなら自分に突き刺せば良かったんじゃないかとかそんなことを取り留めもなく考えた。
その時の私には死ぬための手段がないに等しかった。
天使は飢えることがない。何も食べなくても生きていけるから、食事は人間の真似をしただけの娯楽だった。
けれど、人間の血が混じる私はある程度食事を必要とするらしく、いつか飢え死にならできるかもとただじっとしていた。
それでも、バカみたいな時間が流れるわけだけれど。
人間とは比べ物にならないくらい長い時間をそこで蹲って、小さくなって、ただひたすら、死を待っていた。
Ⅳ
結局、私が死ぬことは出来なかった。
本当に偶然だったが、上級天使の目にとまったからだ。
上級天使というのは、この天界を統治する、選ばれた者たちのことだ。
これが幸運と言えるのか、不運なのかは判断しづらい。
生きることができたという点では幸運だし、その後結局余計な傷を増やしただけとなれば不運とも言うだろう。
まあ、生きてしまったせいでそのあと地獄を見る羽目になったのだから、私は不運だったと思う。
とにかく、私はとある上級天使に保護された。
体を洗われ、服を用意してくれ、食事を私のために準備してくれた。
その上級天使は、何かと私に世話を焼いてくれ、生活基盤と学校に通えるようにしてくれた。
普通なら恩人とも言えるが、結局上級天使は忙しすぎて、私の面倒を見れたとは言い難く、あっという間に放置のような状態になった。
あたたかかったのは最初だけ。ほんの、数日だけ。
母親に縋り、依存していたときほどではないが、それでも寂しく、不安が溢れたときは連絡をしてしまうほどには頼ってしまっていた。しかし、その連絡に返事が来たことなど皆無に等しかった。
その悲しみに何度も涙を流した。
もう何度この目を泣き腫らしたか分からない中で、結局天使など誰でも変わらないのだろうなと、そのときようやく理解した。
一人で生きなければならない。
それでも私は、私の存在を誰かに認めてもらいたいと願うようになった。
ならば、どうするか。
分からない。けれど、だからこそ私は努力した。
出来ることはないかと探して、そのために学んで、どれほどイジメられても耐え抜いた。
いつか全員を見返すのだと。
自分を犯罪者にしようとした母親の家族を。
拾うだけ拾って放置の上級天使を。
混血だからというだけで虐げてくる同級生たちを。
何より自分を遺して死んだ母親を。
そのために努力をした。
けれど、結局正しく評価されることなどなかった。
教科書を破り捨てられても、ノートを燃やされても、階段から突き落とされたって、歯を食いしばって、頑張ったのに。
テストの点数は正しく採点されず、なんなら解答用紙すら捨てられている。
能力なんて発現しないし、するわけもないから、体術や剣術などの武術を習得した。誰も教えてなんてくれないから、独学だけれど。
そのおかげで、無意味な暴力からは身を守れるようになった。能力を使われたって、勝つことができるようにもなった。
いずれ上級天使や中級天使と言われるような奴らにはなかなか勝てないけれど、それでも互角くらいには戦えるようになった。
でも、教師は私のことなんていないように扱う。
上級天使が私を入れたと言うのに、そんな事実さえ無視されているようだ。
まあ、放置されているのだから、気まぐれとしか思われないのだろう。
仕方ないとは思っても、だからと言って諦めたくはない。
成績なんてまともにつけてもらない。
どれほど努力したって、ただ混血で気持ち悪いから、というそれだけで見て見ぬふりをされる。
何度も心が折れそうになって、その度に負けてたまるかって立ち上がった私は本当に頑張ったと思う。だって、唯一人を除いて、上級天使中級天使候補にすら勝てるようになったのだから。
まあ、何一つ認められなかったけれど。
結局、純血であること、という絶対的ルールが―――明文化されていなくても―――向こうにある限り、私は土俵に上がることすら、許されない。
馬鹿馬鹿しい。
けれど、私の心を完全に完璧に折ったのは結局また別のことなのだ。
バキバキに砕かれたと言ってもいい。
元々嫌いであったが、余計に嫌いになった、というか憎くすらある。もちろん、今でも憎い。殺してしまいたいくらい。
“奴”さえいなければ、と何度も思った。
まあ、無理なんだけれど。
他の上級天使候補には勝てるようになったのに、“奴”にだけは勝てなかった。
しかも、何故か私に優しくする。それが余計に癪に障った。
別にただ優しくされただけなら、有難く享受するとも。
しかし、“奴”の何が、質が悪いかって言ったら、誰も見ていないところでだけ優しくする。
他のヒトがいるところでは絶対にしない。なんなら目を逸らすわ、私が酷いことを言われていると言うのに、終始無言。最悪な時には「そうだな」と肯定さえする。
そんな私の、裏切られたかのような気持ちがわかるだろうか。
なんだ偽善か、と諦めた私の心情がわかるだろうか。
それ以降、人目がないときに優しくしようとする“奴”の手を振り払った。
気持ちが悪かった。
優しくしている自分に酔っているだけの“奴”が。
周りに流されるがまま生きている“奴”が。
気持ち悪くて、ムカついて、何よりそんな“奴”の言動に傷ついている自分に一番ムカついた。
そして、もっとムカつくのは、“奴”にだけは勝てないということ。
どれほど努力したって、研究したって、あと一歩がいつも及ばない。
能力の有無の差だってわかっていても、他の奴らには勝てたのに。
飄々としているのが余計に腹立たしくて。
それでも諦めずに努力し続けた。
“奴”が、保護してくれた上級天使の後を継ぐというのも今思えばあったのかもしれない。
当然と言えば当然かもしれないけれど、私は放置されて、“奴”は見てもらえる。
それも私の苛立たしさを加速させていたのかもしれない。
嫌いで、嫌いで、憎くて、殺してやりたいと本気で願うくらいに。
後にも先にもそれほど誰かを憎んだのは“奴”が最初で最後だ。
それもまたムカつくけれど。
そして、私が人間界に下りようと決意した、きっかけは“奴”が原因で。
そのときの光景も、母親が自殺したときと同じくらい容易に浮かぶ。
Ⅴ
「あー………ほんとに気持ち悪くなってきた。やめよ」
そこまで思い出して、私は吐き気を催す。
それほど、あの日は、あの時は、私にとってトラウマだった。
頭を振ってそれを振り払いつつ、支度をする。
この町にも1週間ほど滞在した。
それだけいれば十分だろう。
前の町で悪魔に遭遇したため、すぐさまこの町に移ってきたけれど。
本当はもう少しあの町にいたかった。
けれど、悪魔に遭遇してしまうと、大嫌いな“奴”と遭遇する確率が上がってしまう。
だから、すぐに立ち去ったのだ。
悪魔を放置することはできないが、だからと言って、会いたくない奴に会う必要はない。
人間界に逃げてから、死にたいと思うことは減った。
それでも、“奴”に捕まるくらいなら死んでやるとは何度も思っている。
「長生きする、理由はないからな」
ぽつりと零して、身支度を終える。
忘れ物がないかだけ確認をして、私は宿を出た。
まだ見ぬ世界を見るために。
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