第28話

Ⅱ【旅】〔輪廻〕p28


・・・・・今日の儀衛門様は何か変だわ…………


来るなり私を抱き締めてただじっと座っている。


心に決めたことがあって、そのことに儀衛門様の全てが囚われているみたい…………


恐いわ儀衛門様…………嫌な予感がする……


「お雪…………いいか、必ずお前を迎えに来る。必ず。

お前も俺を想っていてくれるのか?」


「もちろんです」


「だったら、お前はここを出て俺と一緒になるんだ。いいな」


「本当ですか?……ここを出て一緒になれるの?……」


「本当だ! 俺と所帯を持つんだ!

必ず迎えに来るから待っていてくれるか?」


「はい! お待ちしております。

何があっても儀衛門様を信じて」


儀衛門様はようやくいつもの優しい瞳で私を見つめ、大きく温かい胸の中に私をしまい込んだ。


女郎と客としてでは無く、深く愛し合う男と女として、お互いをもっと知りたいという激情が二人を包み、儀衛門様は私の髪の毛を撫でていた手を首筋から胸へと優しく伝わせていった。


着物のあわせを避けて、乳房の下に有る星形アザを見つけた儀衛門様は、ことのほか喜ばれた。


「お前にも有ったのか…………」


と嬉しそうに微笑み、


「俺とお前は切っても切れない縁で結ばれているんだな…………」


と感慨深げに呟きながら、自分の左胸に有る黒い星形アザを私に見せてくれた。


私は感動で全身鳥肌立ち、その黒アザにそっと手を乗せ頬を寄せた。


儀衛門様はアザに乗せた私の手を固く握り、もう一方の腕で骨が折れる程強く私の体を抱き締めた。


その夜初めて私と儀衛門様は結ばれた。


翌朝、満ち足りて熟睡していた私がまだ目の覚めないうちに、別れを告げることも無く儀衛門様は発っていた。


空になってもまだ儀衛門様の温もりを残す布団を撫でながら、いつか儀衛門様が迎えに来る日のこと、儀衛門様と所帯を持つ日のことを思った。


起き上がって居住まいを正し、乱れた髪を整えようと頭に手をやると、いつもまげの付け根に刺してある鼈甲べっこうかんざしが無くなっている。


夕べ儀衛門様が私を愛撫しながら


「約束を果たすために、この簪を俺に預けて欲しい」


と囁いていたことを思い出し、一人微笑んだ。


枕元を見ると、儀衛門様が愛用されていた御気に入りの手拭いが置いてあった。

私にも持っていて欲しいということなのだろう。


私はそれを頬に当てて儀衛門様の余韻に浸ってから、小さく畳んで懐にしまった。



                     殆ど毎日のように来ていた儀衛門だったが、お雪と結ばれた日を最後にぷつりと来なくなった。


それでもお雪は、儀衛門を信じて待ち続けた。

来ない日が重なれば、当然他の客を取らないわけにはいかなくなる。


仕事と割り切って情を入れなければ、儀衛門を裏切ることにはならないと、いやいや必死の思いで仕事に努めたが、あまりの冷たさに客からの苦情が出るようになり、すっかり人気も無くなってとうとうお雪を指名する客は全く居なくなった。


儀衛門を信じて居ながら、会いたいと思う気持ちは満たされず、周囲では様々な噂も飛び交い、お雪の心はどんどん荒んでいった。


そのうち他の客に儀衛門の幻影を見るようになり、ことのほか優しく関わった後儀衛門では無いことに気づき、ショックのあまり突然奇声を発したり暴れたりすることが多くなった。

次第に客はもちろん、店の者達にも気味悪がられ始めた。


祟(たた)りだとか狐つきだとか騒がれ、そうすると店を追い出すことも殺すことも恐ろしくて出来ないため、狂人と呼ばれながら留まりはしていたものの、誰一人お雪に近づかなくなった。

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