第26話

Ⅱ【旅】〔輪廻〕p26


ロッキングチェアにとっぽり腰掛けた俺の足を、フーがゴロゴロ言いながらすり抜ける。右から左へ抜けたところで俺の目を見つめ、探るような表情をしたかと思うと、今度は左から右へ抜け、またじっと俺に見入る。

暫くそれを繰り返していた。

とても珍しいことだ。


人間で言えば100歳に近い年齢の彼女は、最近身動きすること自体辛そうで、ましてこんな様子は久々だ。


俺は少し起き上がってフーの喉を撫でてやった。


酒を呑み過ぎた時のような吐き気と空間の回る感覚が再び一気に俺を襲った。


「オットー、今夜は月が明るいわ…


ほら、見てご覧なさい。

月の明かりで深夜なのに空が少しブルー。

お陰で枯れ木の小枝が黒いレースみたいに綺麗よ。


クリスマスは一緒に過ごしましょう!

ね、オットー…………

オッ…………オットー!オットー!」


窓際に立ったローザがこちらを振り向き、俺に話しかけながら顔色が変わっていくのを俺は見ていた。


ローザと俺の間に水の膜でも張られているかのようにローザが揺れ、どんどん澱んでゆく。


声も少しづつ遠ざかり、最後の悲鳴は水底で聞いているように遠いものだった。



                      


ここは何処だ?…………


飾り立ててはいないが、置いてあるものから察すると女性の部屋のようだ。


壁に見覚えのあるドレスが掛けてある。

ローザのステージ衣裳だ。


そうか、ローザの部屋だ。


ベットの脇のサイドテーブルには、俺が身に付けていた懐中時計と、処方されたらしい薬袋が置いてある。


ローザは医者を呼んでくれたんだ……


フーは?

俺の丁度心臓当たりの脇で、クークーと寝息が聞こえた。

見るとフーが俺の腕と胸の空間に出来た掛け布団ベットでとっぽり丸まっている。


俺はそっと腕を抜き、フーの頭を撫でた。

フーはおもむろに顔を上げると、ゴロゴロ言いながらジャリジャリした舌で俺の手を舐めた。


「オマエも連れてきてもらったのか…………」


反対側でコトリと音がした。

見ると、椅子で寝ていたらしいローザが毛布にくるまったまま、まだ完全に目覚めない朦朧とした目でこちらを見つめている。


「オットー?」


「ハァ~イ…………」

俺は力無く微笑んだ。


「あぁぁ…オットー…………気がついたのね…」


ローザはフラフラしながら俺の傍まで来ると、ボロボロと涙を溢して俺の顔を両手で包み、何度も何度も顔中にキスした。

夢でないかを確認しているようだった。


ローザの方が倒れるんじゃないかと思うくらい顔色が悪く衰弱している様子だった。


「もうその魅力的な声を聞くことは出来ないかもと思っていたわ…………

チャーミングな瞳に映る私自身を見ることも…………


オットー…………オットー…………良かった…………本当に良かった…………


倒れてから一週間ずっと眠りっぱなしだったのよ」


「一週間も?…………

その間ずっと君が看病してくれたのかい?」


「正確にはフーと私よ。

フーは殆ど食事もとらず、貴方に付きっきりだったわ。

フーが先にいっちゃうかと思ったくらいよ。


何か欲しいものは無い? 食べられそうなものは?」


「………ローザ………ありがとう………」


ローザがもし俺が思っているように何処かのスパイなら、俺はもちろん医者にしろ、他人を自分の住まいに入れるというのは命取りになり兼ねないことだ。


俺のためにそんな危険なことまでしてくれたローザには本当に心から感謝していた。


「自分がしたいことをしただけよ……


ペーター先生を呼んでくるわね。

ついでに何か口に入りそうなものを仕入れてきてあげる」


それから俺の不安を読み取ったのか、


「大丈夫、ペーター先生は私達と同じユダヤ人で信頼できる人よ」


と付け加えた。


俺用に水差しの水を取り換えサイドテーブルをベットに近づけると、


「私が外へ出るのも一週間ぶり!」


と笑いながら出て行った。


その直後俺はまた激しく吐血した。

ローザの白いシーツが血の海となった。


フーは弱々しくそんな俺を見つめていた。


そのまま俺の意識は遠ざかり、暗黒の世界へと導かれて行った。

ローザに最後のお別れが出来たという満足感と幸福感に満たされながら…………


……………………☆☆☆☆☆


その後、オットーの傍に丸まったままの姿でフーも静かに息を引きとった。

二人とも穏やかな顔をしていた。


フーの黒い毛に隠された左胸に、黒いがオットーのものと同じ星形アザが有ったことを、オットーは最後まで気づかずに居た。


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