第21話

Ⅰ【今はさよなら】p21


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……鼻歌を口ずさんでいる母さん……


久しぶりに見る母さんの笑顔だ。

ホッとする。


母さんと二人きりの毎日。暗く澱んだような空気を母さんの笑顔だけが一蹴してくれる。


僕の家はどうしてこんなに寂しいのだろう。

皆の家には、いつも兄弟姉妹、お祖父ちゃんお祖母ちゃん、少なくとも父さんが居るのに……


僕にだって父さんは居る。

でも家に居るのは多い時で月に1ぺん。


しかもせいぜい1泊か2泊。

だいたい一晩居て次の日にはまた母さんと二人残される。


父さんが来る日は母さんの笑顔が見られるのだ。

そう…父さんは『来る』という表現が似合ってる。


他所の父さんのように、家から外に出て行くという感じでは無く、外の本拠地からわざわざこの家に来るというイメージなのだ。

用事のついでに寄る雰囲気で、そそくさと来て慌てて出て行く。


父さんは僕にとても優しかったけれど、家を出て行く時の『心ここにあらず』な父さんは物凄く嫌いだ。



もう一つ、母さんの友達だという女の人の所へ僕を連れて行く時の父さんも嫌いだ。

母さんの友達なのに、母さんが一緒だったことは一度も無い。


でも、その母さんの友達の家は何故か僕をとても懐かしい気持ちにさせる。

家庭では無く家そのものがだ。


すみれというのがその人の名前だ。


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                     正装したしたオフクロは、それなりに綺麗だ。


俺は初めて着る学生服の息苦しさに辟易して、衣類とは思えない堅さの襟を支えるカラーと格闘しながら、オフクロが始末を終えて出てくるのを玄関で待っていた。


今日は俺の中学入学式だ。


髪をアップにし、ピンクのスーツを着込んだオフクロがパタパタとスリッパを鳴らしながら戸締りを確認して小走りに出てきた。


真珠のピアスがサーモンピンクをキャンパスにして、ホワイトポイントみたいに柔らかいが強く輝いている。


靴はワインレッドに近いチョコレート色。

靴とお揃いの小さなバック。

安易にスーツと同色のピンクを選ばないのがオフクロのセンスだ。

俺はけっこうこのセンスが気に入っている。

オフクロは自分の魅力を熟知していると思う。


俺の制服との悪戦苦闘を見て、オフクロが俺の襟元のカラーに手をかけた。

俺は、そんなオフクロに妙な生々しさを感じて思わずオフクロの手を振り払った。


オフクロは一瞬とても寂しそうな表情をした。


最近よくオフクロに対して俺は、こんな気持ちになる。


突然鬱陶しくなったり、生理的に疎ましくなかったり…………


俺自身のことにしても何か得体の知れないイライラや虚脱感、焦りに囚われて、常に思考能力停止状態だ。

かったるい。


ただでさえ低いIQだし、人間にとってIQよりEQの高さが重要だなどと大見得きって言える程の中身さえ今の俺には無い。


小5の頃から自分を『僕』と呼ぶことにも嫌悪を感じて、この頃は『俺』で通している。


最初『俺』と言った時オフクロは、『あらっ』というように一瞬驚いてから、からかう目付きで暫く俺をじっと見つめていたが、ふぅと小さな息を吐き、そのまま微笑んだ表情をキープしながら遠い目で何か考えていた。


それから会話の度オフクロが、俺の『研治』という正しい名前の代わりに『俺』を使いやがるから、オフクロとの会話も極力避けている。

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