第15話

Ⅰ【今はさよなら】p15


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3度目の瞬間は……

暗い夜道をひたすら歩き続ける父と姉と私。

病院への道は子供にとってけっこう遠く感じられる距離だ。


いつもなら「疲れた~」等と文句を言うところだが、今日から私は甘えん坊の末っ子では無い、お姉ちゃんだ。


頑張って生まれてきた弟か妹の見本にならなければならない。


家は貧乏でまだ電話も取り付けて無いから、弟と妹どっちが産まれたかは分からないが、父が仕事の昼休み様子を見に行った時には、既に陣痛が始まっていたらしいので普通ならもう生まれている筈だ。


母はまだ分娩室に居た。

父が先に入って私達は暫くドアの前で待たされた。


父がドアを開けて中に入るよう私達を呼んだ。


鼠色の壁に囲まれた暗く冷たい部屋、というより牢獄のような場所で、大きな仕事を果たした母がたった一人寝ていた。


母は私達の顔を見ると弱々しく微笑んだ。


しかし、中に入って母が泣いていることに気づいた。

母の目から溢れた涙は、静かにこめかみを伝って柔らかい髪の中へと吸い込まれていった。


初めて見る母の涙だった。

気丈な母は、私達娘に不安を抱かせないため決して私達の前で涙を流すことは無かった。

その母が………


とてもショックだった。

何かとてつもない悪い事態になっていることが分かった。


「駄目だったか…………」


と自嘲のような溜め息をつきながら父が呟いた。


私にはまだ何があったのか理解出来なかった。


・・・・・赤ちゃんは?お母さんはどうして泣いているの?・・・・・


巨大児として生まれてきた赤ちゃんは、分娩の途中でその大きさが邪魔をして窒息死したのだった。


母の苦しみも想像を絶するものだったろう。


赤ちゃんは家に来た。

しかし全く動かない。

只の人形と同じだ。


触ったり、声をかけたり、傍に行ったりすれば反応してくれる温かくて動くオモチャでは無い。


私は密かに、冷たく握られた赤ちゃんの指を1本づつ開いてみたり、瞼をめくって自分と同じ瞳をしているかを確かめたりした。


その傍らでは、両親が乳幼児用にするか幼児用にするか、棺の大きさを相談していた。


                     


翌朝、表に新聞を取りに行くと、お隣りのオバさんが声をかけてきた。


「どっちだった?男の子?女の子?」


私は


「男の子……」


と答えた。

嘘では無かった。

確かに男の子は産まれたのだ。


だがそれ以上何も言えなかった。

何も悪いことをしているわけでも無いのに事実を告げることがとても恐かった。


私達家族同様近所の誰もが、今度こそ3度目の正直を信じていた。

そしてそれを心待ちにしていた。

不幸続きの私達家族に、幸福の風が吹くことを望んでいた。

誰が2度あることは3度ありなどと考えただろう。


私の返答を聞いて喜んでいるオバさんを裏切るようなことは言える筈が無い。


私はとても悪いことをしている気分になって、それ異常質問されないよう直ぐ家の中へ逃げた。


「良かったねぇ、おめでとう」


という陽気な声が背中を追いかけてきた。

その声は、背中を向ける前に一瞬見た異次元程も隔たったオバさんの笑顔と共に、いつまでも私の頭の中で鳴り響いていた。


そして嘘をついたような物凄い罪悪感に苛まれ、その苦い思いは私の心の中に鉛のような塊となって巣くってしまった。


挿し絵です↓

https://kakuyomu.jp/users/mritw-u/news/16818093092074209497


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