第13話
Ⅰ【今はさよなら】p13
とても悲しく、とても寂しく、とても暗い気分だった。
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私はたった一人で、広い廊下のどん詰まりにあるベンチに座っている。
周囲に人の気配は無い。
遠くに、トンネルの口のような、上半分のガラスが妙にそらぞらしく輝くスチール製ドアがあり、その向こうには人の動く気配がしている。
此処とは違う次元の世界に見える。
水の中と外のように異質だ。
私はベンチの片側端に座り、反対側を少し持ち上げてはパタンと落とす遊びを始めた。
何かしなければいたたまらない程不安だった。
そこだけ明るい例のドアが、いきなり怒ったように大きく開き、中から年配の看護師さんが癇癪玉みたいに出てきたと思うと、私の所在を確認して大きな声で言い放った。
「うるさい!静かに!」
怒られてしまった。
私は怯えて遊びをやめた。
ポロポロと涙が溢れた。
とても寂しい。
「お母さんはまだ終わらない…
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オレンジ色が眩しい裸電球の下ではしゃぐ姉と私。
テーブルの上には山盛りのガム。
姉と私はじゃんけんをして勝った方が好きなガムを取るゲームに興じている。
ガムは二人とも大好きだ。
苺味あり、葡萄味あり、梅味やコーヒー味もある。
既に各人5個を取り分にしている。
お母さんが居ない間、時々お父さんがこうやって、私達の好物を買って来てくれる。
今日はガムだったのだ。
お母さんはお腹に赤ちゃんが居るようになってから、しょっちゅう病院に泊まっている。
その寂しさを紛らわせる為、そして姉妹で上手に留守番できていることへのお駄賃だ。
頑張らなきゃならない自覚が私達を励ましてくれた。
だってもうすぐ、妹か弟が出来るのだから。
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裸電球の物憂げな光が、陰鬱な空気を益々寒々しいものにしている。
カチャカチャと響く食器の音。
言葉を交わすことも無く、黙々と夕食を食べるお父さんとお母さん、そして姉。
私はこの暗い雰囲気に飲み込まれて今にも泣き出しそうだ。
あんなに楽しみにしていた『赤ちゃん』の存在が無いという事実。
楽しみを目標に耐え続けた寂しさも水の泡になったという事実。
目標が達成されれば甘える筈だったお母さんも、もう以前のお母さんではない。
優しい言葉をかけてくれ、私を抱き締めてもくれるのだが、どこかよそよそしく、冷たい膜で被われている。
ちょっとでも触れたら、ボロボロと塵のように崩れてしまいそうだ。
お父さんだって、私達にお駄賃を配る時の陽気な充実感に充ちた様子はすっかり消え、黒縁眼鏡を隠れ蓑にした、無機質な、まるでモノクロ版画のように硬い表情だ。
姉も寡黙で、時々涙を溜めた瞳で虚空を見つめていたりする。
皆、こちらからのアプローチを受け付けないバリアがある。
とても私を気にかけるどころではない。
それにしても、あれはいったい何なんだ。
昨日から私達の傍らで、暗いオーラを放っているあの木箱。
人形でも入りそうな、皆が『棺』と呼ぶあの木箱は………
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挿し絵です↓
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