第14話

宿に戻り、少し遅めの昼食を取っている時も、食事のあと「すまん、先に上がる」と一人で部屋に戻っていった時も、ライトの様子がいつもと違う、ということは、ミハルも感じていた。

だから、何となく続けて部屋に戻るのが躊躇われて、扉の外から、

「食堂で、ちょっと作業します」

とだけ声をかけ、食堂の隅を借り、今日のメモやスケッチを清書することにしたのだった。

思ったよりもその作業に集中し、今日の分の報告書をまとめる。


行方不明者の痕跡がないことや魔獣がどこから現れるか、という部分はとりあえず、空白にしていた。

「そろそろ、他のお客さんが入るから」

と、ミハルが宿屋の女将に声をかけられた時には、灯りが欲しくなる時間帯に差し掛かっていた。

仕方なく部屋に戻ることにし、扉をノックする。

「…ライトさん、ミハルです」

と、声をかけると、中から扉が開いた。

「すいません、戻り…っ」

手首を掴まれ、ミハルは部屋の中に引き込まれる。

手にしていた荷物が落ち、モンスターのスケッチや清書したばかりのダンジョンマップが床に散らばった。

「…っ」

抱き締められ、ライトの胸に顔を埋める形になり、少し息苦しい。

訳が分からないまま、呆然としていると、ライトが言った。

「ミハルは、あの洞窟のことを知っていたのか?」

ミハルはひゅっと息を呑んだ。ドクンと心臓が跳ねる。何か言おうと、ライトを見上げ、まっすぐな琥珀色の瞳に射抜かれて、何も言えなくなった。

「考えれば考えるほど、もう、そうとしか思

えなくなった」

じっと見つめられて、胸がドキドキと早鐘を打つ。ライトが静かに口を開いた。

「…ずいぶん肝が据わっている、と思った」

ライトは、ミハルの頭を自分の胸に押し付けるように抱き締めた。少し笑っているようだったが、その思惑は分からない。

「ミハルからは、戸惑いや不安は感じられなかったから」

淡々とした声が、頭の上から降りてくる。

「『好奇心が旺盛なのだ』と思おうとした。だが、それにしては落ち着きすぎている。ミハルはほとんど躊躇わなかっただろう?確信したのは、最後の扉を開けた時だ。ミハルが扉を開けることに躊躇しなかったのは、扉の向こうが予想できていたから…。次に起こることを知っていたからじゃないのか?」

「…」

ミハルは、ライトの胸に顔を埋めたまま、何も言えなかった。心臓だけがずっとドキドキとしている。ライトも、ミハルの答えを待っている様子はなく、静かに話し続けた。

「ミハルが『何かの答え合わせをしている』と考えたら、合点がいった。…ああ、でも、ホブゴブリンと遭遇したときだけは、少し驚いていたな。それは、何か、知っていたことと違ったということか?」

ライトの洞察力に、ミハルはただただ驚くばかりだった。しかし、ライトの予想を肯定すべきか、否定すべきなのか判断できず、言葉が何も出てこない。

ライトの胸から顔を離し、見上げる。

(前世の記憶があるとか、ここがゲームの世界とそっくりだとか…)

そんな荒唐無稽な話を、信じてもらえるだろうか。「頭がおかしくなった」と思われないか。

(それは、耐えられない…)

「……っ」

ミハルは、今自分に向けられている視線が、侮蔑や憐憫の色に変わるところを想像し、体中から血の気が引いていくのを感じた。

(…怖い…)

口の中がからからに乾いていく。

不意にライトがミハルの頭を抱えた。

「すまない。そんな顔をさせたかったんじゃないんだ」

再び、抱き締められ、血の気が引いて冷えきった体に、ライトの体温が沁みる。

「…何かあるのなら、知りたかった。ただ単に」

ライトの言葉に、血が巡っていく感じがする。

「ミハルを、ミハルのすべてを知りたかっただけだ…」

抱き締める腕に力がこもる。

(ああ、この人は…)

気付けは、ライトの背中に手を回し、口を開いていた。

「…聞いて、くれますか?」

「…無理は、しなくていい」

ライトが背中を擦る。ミハルは首を横に振った。

「聞いて、欲しい、です。その…上手く話せない、かも、ですけど…」

ライトは頷き、ミハルをベッドに座らせると、自分も隣に腰を下ろした。肩に手を回し、自分に寄りかからせるように包み込む。それは、向かい合って顔を見合わせるより話しやすく、それでいて距離が近く感じた。

(安心する…)

ライトの腕の温もりに、穏やかな声に、懐かしさにも似た安心感を感じていた。

(いつの間に、近付いてたんだろう?)

ミハルは自分でも驚いていた。

ゆらゆらと、ランタンの中で揺らめく炎をぼんやりと見つめる。

ライトに信じてもらえなかったら、きっとすごく辛いだろう。

(でも、知ってほしい…伝えなきゃいけない)

そうも思う。ミハルは、覚悟を決めた。

「ライトさん…俺」

声が震えてしまう。

「…俺、前世の記憶があるんです」




 






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