第10話

 旅に出るのであればそれなりの準備が必要となる。この世界での旅であるなら、なおのこと入念な準備か必要だ。


 ミハルは午後休みを取り、買い出しに出た。

(武器は、いつもの短剣と弓で十分、問題は防具…。傷薬とか携帯食は、村でも手に入るかな…地味に出費)

 まず道具屋で、必要なものを見繕う。道具屋の主人は、ガンツが冒険者だった頃からの昔馴染だ。ミハルが、ライトと共に「不思議な洞窟」の調査に赴くことはもう耳に入っているらしい。

「全部で、千五百だな」

「え?」

 思っていたより、だいぶ安い。

「まけとこう。はじめての旅だろ?」

「そんな、悪いよ」

「いいってことよ。にしてもミハルが冒険者かあ」

「ただの付き添い。きっとこれが最初で最後だよ」

主人は、そんなミハルのぼやきは聞こえない様子で、

「めったなことはないだろうが気を付けろよ?まあ、相手がS級が一緒なら、安心か!ははは!」

「はは…」

(その「S級」が…)

 ミハルは苦笑いでごまかした。道具屋を出て、

「この辺は経費で落とせないのかな?」

 などと、独り言を言っていると、ポンと肩を叩かれた。

「買い物か?ミハル」

(げっ…)

 背後から最近すっかり聞き慣れてしまった声がした。

「…はい、急に入り用になったものを。S級の帯同という栄誉をいただきましたので」

 赤髪の男ライトに、皮肉と恨みがましい目を向けるが、ライトは嬉しそうに、微笑みを返してきた。ミハルの手元を見て、

「他にも、何か?」

「ええ、防具を…」

 と答えてから、ミハルは「しまった」と口を押さえた。

「ならば、付き合おう。荷物持ちが要るだろう?」

(やっぱり…!)

「いえ、大丈夫です」

「遠慮するな」

 そう言うが早いか、ライトは、ミハルの荷物をひょいっと、片手に抱えると、

「行こう。懇意にしている防具屋がある」

 と、ミハルの手を握った。

「!」

 またも簡単に手を取られてしまい、ミハルは慌てた。少し強引だがライトの仕草はいつもスマートだ。こういった経験の少ない自分は、いつも振り回されている気がする。

(なんか、癪!)

 悔しくて、ライトの顔を横目でにらみつけ、ミハルは思わず息を呑んだ。

(あれ…?)

 心なしかライトの頬が赤い。握る手から、ライトの体温を感じ、その手はほんの少し汗ばんでいるようにも感じた。

(いつも、こんな表情かおだった…?)

 なぜか、見入ってしまう。以前どこかでこんな顔を見たような気もするが、それはいつだったか。

「どうした?」

 また嬉しそうに微笑みかけられ、ミハルは思わず目を逸らしてしまった。

 胸がドキドキしている。

(あれ?)

 自分といることで、ライトが心を踊らせている。それが分かった。深く呼吸すると、癪だという気持ちは徐々に落ち着いていく。

 胸がドキドキするのは止まらなかったが、恥ずかしいだけで、嫌ではないのだと、どこか冷静に自分を見ていた。

 ミハルはライトに従って歩きはじめた。握られた手は、指を絡めた繋ぎかたに変わる。ミハルはそれを受け入れた。受け入れてしまうと、こんなにも心が凪いでいく。ミハルの表情に気付いたライトがまた、嬉しそうに顔を綻ばせた。


 防具屋では、店の主人が二人をにこやかに迎え入れた。

「ああ、これはライトさん。いらっしゃいませ」

 店主の態度から、ライトが懇意にしている、というのは本当らしい、とミハルは悟る。

「防具の新調ですか?」

「いや、今日は荷物持ち、付き添いだ」

 嬉しそうなライトに、店主の顔も綻ぶ。

「こちらの?それはそれは…」

 店主はミハルに向き直った。

「どういったものをお探しですか?」

 その問いかけに、ミハルが、予算を含め、自分の希望を伝えると、

「それなら…」と店主が勧めてきたのは、嚥脂えんじ色で縁や裾の部分に金糸と銀糸で刺繍が施された膝丈のローブだった。布自体に魔力消費を抑えたり、寒暖を軽減する効果があり、攻撃耐性と魔法耐性は、刺繍によって付与してあるらしい。

 羽織ってみると、そのローブは誂えたようにしっくりとミハルの体になじんだ。ミハルの白い肌に深みのあるがよく映える。店主からその価格を聞いて、

(え、すごくお買い得なのでは…?)

 そう思ったミハルは、

「…これにします」

 即決した。

「かしこまりました」

「よく似合っている。このまま、着ていってはどうだ?」

 ライトは、さりげなくローブのフードを脱がせて、ミハルの黒髪を撫で、整えた。

「そ、そうですね」

 二人のやり取りを店主がにこやかに眺めている。

「…買い物は、これで終わりか?」

「はい」

「ありがとうございました。またのお越しを」

 店主に見送られ店を出ると、ライトが再び、ミハルの手を取った。ミハルも黙ってそれを受け入れた。


 帰り道、途中の広場に屋台が並んでいるのが見え、ミハルは急に思い付いて、

「荷物を持っていただいたお礼がしたいです」

「いや、礼には…、お、おい」

 ライトの返事を待たず、ミハルはパッと手を離すと、その場にライトを残して駆け出した。屋台で売られていたのは薄焼きのパンに甘辛く味付けした肉と新鮮な野菜を挟んだ、ミハルお気に入りのホットスナック「ピタ」だ。

「どうぞ、ライトさん!」

 手際よく買い物し「ピタ」を差し出すミハルに、ライトは呆気に取られている。

(いつもと逆だ)

 意図的ではなかったが、意趣返しに成功した気持ちになってミハルは満面の笑みを浮かべた。ライトが眩しいものでも見るように目を細める。

「…ありがとう。じゃあ、座ろうか」

「はい」

 ライトがベンチに誘い、ミハルも応じる。ミハルからピタを受け取り、

「いただこう」

と、一口食べて、ライトは軽く目を見開いた。

「…うまい」

「良かった。俺、これ好きなんです」

「そうか」

 二人並んで「ピタ」を頬張る。

 食べ終わってからも、今回の調査について簡単な確認をし合ったり、他愛もないことを話したり、思いがけず話が弾んだ。

 肩を寄せ合って、お互いに笑顔を向ける二人の姿は、端から見れば仲睦まじい恋人そのもので、通りすがりの者たちは、二人に羨望の眼差しを向けている。

 二人で街を歩くのははじめてなのに、不思議と自然なやりとりができた。ミハルもそれは感じていた。


「そろそろ帰らないと…」

 広場の中央に立つ時計を見て、ミハルが立ち上がると、

「送ろう」

 とライトも立ち上がり、どちらからともなく指を絡ませて帰路に着く。ミハルの家に着いた時には、だいぶ暗くなっていた。

「助かりました。それと…楽しかったです」

「俺もだ」

 ライトが微笑み、ミハルも笑顔を返す。

「ミハル…」

 頬にライトの手が触れる。一瞬のためらいの後ライトの顔が近付き、ミハルは目を閉じた。それは、とても自然な流れだった。

 唇が触れ合う。一度離れて、視線がぶつかり、それが合図になって二度目は深く重なる。絡み合った舌から、体中に熱が広がっていった。

 暫しの触れ合いのあと、唇が離れ、ライトの手が離れる。

「じゃあ…」

「…ありがとうございました」

 ライトが差し出した荷物をミハルは両手で抱えた。

「…三日後に」

「はい」

 ライトは手を振り、来た道を戻っていった。

 ミハルは、ライトを受け入れた自分に少し驚いていた。

(好感度、上がってるなぁ…)

 そんなことを考え、頭を振って、

(そんな…そんな、簡単なことじゃないだろ、これは…)

 胸が締め付けられるような切なさを感じていた。




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