第5話
◇◇◇◇
「お前、難しい言葉知ってんなぁ…」
旅支度の手を止め、少し呆れたような声でガンツが言った。そして声を潜めて、
「…禁忌ってやつだ、そりゃ」
と付け足した。
ガンツの度支度を手伝いながら、ミハルがふと思い立って、
「『蘇生』って、可能?」
と、ガンツに尋ねてみた。その答えが先程のガンツの言葉だ。八歳の子供からそんな言葉が発せられたことに驚いた様子のガンツに、ミハルは尚も問いかける。
「禁忌?なんで?」
「事情までは、分からんが…。教会と王家との共同研究を、双方合意の上で封印したらしいからな」
(やっぱ無理なんだ…)
ガンツは再び、手を動かしはじめた。大きな背負鞄に、保存食、傷薬、魔力の回復薬などを詰め込んでいく。着替えなどは最低限だ。ミハルは、傷薬を手にしながら、
(この世界は、傷薬も魔法も、そこまで万能じゃない)
ゲームでは様々な「ポーション」があった。体力や魔力、状態異常などが回復できたが、この世界ではそうではない。
一応、怪我に効く薬や魔法は存在する。しかし、その効果は人間が本来持つ自然治癒力をもとに「回復を早める」というもので、症状が重篤な場合には後遺症が残ったり、回復が間に合わず死に至ることだってある。もちろん、宿屋で一晩寝たくらいで体力が完全に戻る何て、あり得ない。
そこはゲームとは大きく違うのだ。
冒険者たちは、旅に出る際、持てる限りの傷薬やら魔力回復薬やらを鞄に詰めるが、限界というものがある。マジックバッグといった収納魔法が存在しない。
そこもゲームとは違う。
この世界での冒険は、ゲームよりもずっと過酷だ。
今回の依頼は、そんな中でも難易度が高い。
東の森の奥深くで、瘴気が湧く沼と、狂化した魔獣が確認された。
「瘴気の浄化」のみならず、「狂化した魔獣の殲滅」という依頼を同時に受けて、ガンツはパーティーを組み、森に入ることになったのだ。
「…そんな顔すんな、十日くらいで、帰ってくる」
旅立ちの日の朝、
「痛い…」
と呟し、俯く。話したいのはそんなことではない。
数年前にS級冒険者の称号を受けたとは言え、討伐に送り出すときはいつだって不安だ。
ガンツもミハルの気持ちは分かっている。
「こんなときは、ちゃんと子どもみてえだな」
大人びた言動の多い
「…ちゃんと、帰ってきてよ…?」
「ああ…じゃ、いってくる」
逞しい腕を振り上げて、ガンツは旅立っていった。その背中を見送り、ミハルは胸元を握り締めた。
数日後、瘴気の浄化が完了したという連絡がギルドに届き、そのさらに数日後、狂化した魔獣の討伐が完了したことと、討伐隊も全員無事ということが伝えられた。
(スタンピードは、起きなかった)
まずその事に少しだけ、安心した。
「よう、今帰ったぞ、ミハル」
予定通りに帰還したガンツは、旅立つ前と変わらない豪快な笑顔を見せたが、その姿にミハルは言葉を失った。
ガンツの右腕に、ぐるぐると包帯が何重にも巻かれている。そしてそれは、明らかに短い。ガンツの右腕は、肘から先が失われていた。
「…!」
「…ヘマやっちまってな」
なんだか、その言葉には聞き覚えがあった。
ガンツはことのあらましをゆっくりと話してくれた。
瘴気の沼は、予想していた以上に広がっていたらしい。狂化した魔獣というのはウルフ。群れで襲いかかってくるのがかなり厄介だったとのことだ。
その中で完全に狂化していたのはほんの数体だったが、ボスと思われる個体が完全に狂化したのがいけなかった。巨体化ひ、それ自体が魔瘴を放っていた。ガンツの右手は、その、狂化したボスに食いちぎられたのだという。仲間と共に、ボス個体は討伐できたが、傷口と千切れた右手は魔瘴によって侵され、ぐずぐずしていると、ガンツの全身が呪われてしまう。肘から下は自ら切り落とし、右手や魔獣の遺体と共に浄化魔法で焼いてしまったのだそうだ。
前世で、ゲーム内で、好感度が上がったギルドマスター「隻腕のガンツ」から、
『若い頃、ヘマやっちまってな…』
片腕を失った理由を聞いたことがあった。
(この討伐が、原因だったのか…)
なぜ、もっと早く思い出さなかったのか。なぜ、この世界には呪いに有効な「聖水」がないのか。
ゲームのように、「聖水」があれば、ガンツは腕を失わず、まだ、冒険者を続けていたかもしれない。自分の頭を乱暴に撫でていたかもしれない。だがそれはもう叶わない。
少し経ってガンツは冒険者を引退し、当時のギルドマスターに声をかけられ、ギルドのスタッフとして働き始めた。
(それなら…)
自分も、ガンツ《父》ともにギルドで働こう。そのうちに、ゲームと同じようなポーションや蘇生の方法なども見つかるかもしれない。
数年後、ミハルはギルドの受付係となった。
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