第3話 

 辺境の都市ローサ。

 この町の冒険者ギルドが、ミハルの職場だ。基本的には、受付カウンターにいて、クエストの受注や素材の買い取りなどをしているが、その他にも雑務はある。

 今日は朝から慌ただしく、先程ようやく昼休憩に入ったミハルは、ギルド内の食堂へ赴き、カウンターの席に座って、遅めの昼食を注文した。少しして、サンドイッチとスープがセットになったトレーが運ばれてくる。

「おまたせ。今日は遅かったねぇ?」

 給仕係の獣人が、カウンターの前にトレーを置きながら、話しかけてきた。

 ミハルも、気安い雰囲気で応じる。

「うん、なんか、バタバタしてて…」

「ああ、イラー渓谷の討伐隊、帰ってきたんだって?」

「うん、ついさっき」

 給仕係の名前はディー。猫型の獣人だ。髮色と同じ淡い栗色の耳と尻尾、それよりも濃い色のクリッとした瞳が可愛らしい。ミハルとディーは、こうして顔を合わせる機会が多く、自然と仲良くなった。また、ディーは獣人の中では小型。体格が近いことから、ミハルは勝手に親近感を持っている。

「いただきます」

 両手を合わせて、ミハルは顔と同じくらいの大きなサンドイッチを手に取った。丸いパンにハムとレタスがたっぷり挟んである。

 ため息混じりにディーがつぶやいた。

「すっごいねぇ、冒険者って…」

 頭の上の耳が、ピコピコと動く。

 食堂は人影がまばらで、忙しさが一段落したらしく、

「休憩、入りまぁす!」

 と厨房に声をかけ、ディーは飲み物の入ったカップを取ってくると、カウンタードアをくぐってフロアに出てきた。ミハルの隣に座って、また、ため息混じりに言う。

「…狂化魔獣の討伐、成功したんだぁ」

 魔獣はそもそも、その辺にいる動物よりも狂暴性が強い。狂化した魔獣というのは、更に狂暴性が増す。体の肥大化、攻撃力や特性の上昇が見られることもあり、そうなると当然、討伐の難易度が上がる。

 今回討伐されたのは、イラー渓谷の狂化したコカトリスだった。コカトリスは、一見鶏のような姿だが、石化や毒等、厄介な特性を持つ魔獣だ。今回は特に肥大化と毒性の強化が顕著で、周囲の森林や川が毒により汚染され、人里にも影響が及びはじめていた。その討伐を成功させたパーティーが、先程、無事に帰還した。

「…ねえねえ、あの人も帰ってきたんでしょ?」

 ゆらりと尻尾と振り、ディーは頬杖をついて、笑みを浮かべる。

「…」

「今回も大活躍だったって?」

 ミハルは無言のまま、温かいミルクのスープを口に運んだ。塩味と甘味のバランスがちょうど良い。

 ディーが何を言いたいのかは分かっている。ミハルはため息をついた。

「ねえ、ディー、前にも言ったけど…」

 と言いかけたところで、

「ミハル!」

 よく通る声で名前を呼ばれた。

 ミハルとディーが声のする方に振り返ると、大きな剣を背負った長身の男が、こちらに近付いてくるのが見えた。

「噂をすれば…だね」

 と、ディーがミハルの耳元に口を近づけて囁く。

「ミハル」

 男がミハルの傍に来てもう一度名前を呼んだ。さりげなく、ミハルとディーの間に立った男は嬉しそうに話しかけてくる。

「受付で、ここだと聞いたから…」

「ライトさん」

 A級冒険者のライト。先程二人が話題にしていた魔獣討伐の参加者だ。

 ライトは、長身で全体的にスラリとしているが、肩や腕、胸板の肉付きは逞しい。燃えるようなカーマインレッドの髪が波打ち、凛々しく整った顔立ちの美丈夫だ。

 討伐から帰還したばかりで表情にやや疲れは見られるが、その琥珀色の瞳は力強い。

「…おかえりなさい。ライトさん」

「ただいま、ミハル」

 ライトはごく自然な動きで、ミハルの右手を取って唇を寄せる。不意をつかれてミハルは慌てた。

「っ…!」

 引っ込めようとした手は、意外と強く握られていて離すことができない。ミハルは諦めて、

「…無事にご帰還されて、なによりです」

 そう声をかけた。その言葉にライトがまた微笑む。

「…ありがとう」

 ライトは、隣の席のディーに視線を移した。

「…友人か?」

「ええ…食」

「食堂で給仕をしている、ディーです。ミハルとは仲良くしてます。討伐成功されたんですね!おめでとうございます」

 ミハルが紹介するよりも早く、ディーが口を開いた。

「ああ…」

 ディーがにっこりと笑いかけると、ライトも「ふっ」とうっすら微笑む。なんとなく空気がピリついたように感じられたが、ライトはミハルに向き直った。

「ミハル。今回の討伐が成功したのは、君のおかげだ」

「いや、俺はなにも…、わっ…!」

 座ったままのミハルを、ライトが抱き締めた。

「…ありがとう」

(この人は…)

 ミハルはまた顔を赤らめた。二人の様子を近くで見ていたディーも、離れたところにまばらに座っていた数人の客も、なんとも言えない表情で、その様子を見守っている。

 ライトは体を離すと、

「…顔を見られて良かった。じゃあ、報告があるから…」

 再びミハルの指に唇を寄せ、名残惜しそうにその手を離す。

「ああ、君も…」

 ついでのようにディーに声をかけ、ライトは二人に背を向けて食堂を出ていった。

「怒濤のようだったねぇ…。僕、視線だけで殺されちゃうかと思ったぁ」

 不穏な言葉を放ちつつ、ディーは愉快そうに笑う。

「…で、『前にも言ったけど』何?『俺たちは恋人とかじゃない』なんて言われても、あんなの見せつけられたらねぇ?」

 笑顔のまま、ディーがミハルに聞き返す。

「…」

 言おうとしていた言葉を飲み込んで、ミハルは空になったトレーを持って立ち上がった。

「…俺、そろそろ戻んなきゃ。ごちそうさま」

「ええ、ちょっとぉ」

 不満気なディーを残し、返却口にトレーを置いて、ミハルは足早に食堂を出た。


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