第19話 とある"少女"の事情

 クロースでは決して追いつけない速度で逃亡したアインは、町の裏路地へとやって来た。

 その手には、店主から貰ったリンゴと……クロースに奢って貰う前提で、食べたフリをしてこっそりと持ち出した、肉塊の一部が入った袋がある。


 その状態で、アインは──その体から薄らと光が漏れ始め、やがて全くの別人へと姿が変わっていた。


 黒かった髪は青くなり、腰に届くほどに長くなる。

 瞳の色までもが群青色となった今、彼……否、"彼女"をアイン・ブレードだと思う者は誰もいないだろう。


「ふう、何とか逃げ切れた……全く、変な連中だったなぁ。ま、いいカモだったけど」


「お~い、青髪の姉ちゃん!」


「あ、お待たせ~、遅くなってごめんねー」


 独り言を呟くアイン改め、レイラの前に現れたのは、先ほどリンゴ泥棒を働いた子供だった。

 そんな彼に、レイラは貰ったリンゴと持ち込んだ肉を渡していく。


「予定してたよりも収穫があったから、戻って家族にも分けてあげるといいよ」


「わぁ、ありがとう! 姉ちゃんの作戦、バッチリだったな! すげえよ!」


「ふふん、これくらいは朝飯前ってね」


 レイラの狙いは、この通り食料をタダで入手することだった。


 子供を泥棒に仕立てあげ、自らの手で止める。

 そうして店主に良い印象を与えた上で、目の前で腹を空かせた様子を見せれば、お礼にとタダで恵んで貰えるという算段だ。


 もちろん、普通ならここまで上手く行かない。

 レイラ自身はノーリスクである一方、利用される子供はフリとはいえ犯罪に手を染めることになる上、最終的に頼るのは店主の気前の良さだ。不確定にも程がある。


 しかし、レイラは確信していた。この作戦が上手くいくことを。


 話を持ち掛けた子供が、放っておいても泥棒を働くしかない程に追い込まれていること。

 リンゴ屋の店主が、恩を受けた相手には律儀に恩で返す性格であること。


 この町に来て僅か半日の間に集めた情報から、レイラはそう判断していたのだ。


 その目的は……。


「それじゃあ約束通り……君のお父さんの姿、一週間だけ使わせて貰っていいかな?」


「うん、いいよ。そういう約束だもんね」


 子供の父親……鉱山の仕事で負傷し、長らく療養生活を送っている男の姿を、得意の《変装魔法》で借りる許可を取り付けることだった。


 なぜわざわざ許可を取ったのかといえば、"同一人物が全く別の場所で同時に目撃される"という不自然な状況を避け、当事者とその周囲の人間と口裏を合わせるためだ。


 とある組織から追われる身である自分が、この町で可能な限り違和感を持たれることなく生きるために。


(まあ、それも長くは持たないだろうけどね……)


 レイラは元々、孤児だった。

 そんな彼女を引き取って育てたのが、国を股にかけて活動する謎の犯罪組織……"ウロボロス"。その下部組織の一つだったのだ。


 暗殺を請け負うその下部組織で、苛烈な訓練を課せられて育ったレイラだが……困ったことに、才能がなかった。


 暗殺者でありながら、人をどうしても殺せなかったのだ。

 それでも早々に"処分"されなかったのは、レイラの持つ変装魔法の精度があまりにも高かったため、使い道があると判断されていたに過ぎない。


 しかしやはり、人を殺すために己の力を使うことに耐え切れなかったレイラは、組織を脱走することにした。

 近頃王都で活動していたウロボロスの下部組織の一つが壊滅させられた、という話を受けて組織が騒然としている隙を突いて、この町まで逃げ延びて来たのである。


(追手はきっと近くまで来てる。何とかここで最低限の路銀を稼いで、もっと遠くまで逃げないと)


 このまま暗殺者として一生を送るなんてまっぴらだと、レイラは吐き捨てる。

 真っ当に生きて、働いて、友達を作って……出来ればいずれ、家族を作ってみたい。


 十六歳の少女が抱くにはあまりにも普通過ぎる夢を胸に、レイラは四十代ほどの中年男に化ける。


 この男は鉱夫なので、鉱山に籠ってしまえば正体がバレるリスクが低いと判断したのも、人選の理由だ。

 難点があるとすれば、それは一つ。


 肝心の鉱山が今、魔物の出現で封鎖されていることだ。


「ま、騎士団は来たみたいだし……早ければ明日にも開放されるでしょ」


 自ら呟いたその一言で思い出すのは、先ほど食事を奢って貰った少年のこと。

 ──俺が推薦するから、王立騎士団に見習い騎士として入団しないか?


(いやいや、無理無理。人を殺せないから抜け出したのに、魔物なんて殺せるわけないじゃん)


 そもそも、彼が目をかけていたのは、英雄ローグ・ブレードの息子であって、元暗殺者の自分ではないだろうと、己に言い聞かせる。


 受けた訓練もそのほとんどが諜報活動と体捌きに関するものばかりで、戦闘に関しては諦められていた。

 騎士に紛れて戦いながら、英雄の息子を演じ続けるなど不可能だ。


(でも……もし騎士団に入団出来たら、こんな生活ともおさらばして、真っ当に生きられるのかな……)


 夢想するだけならば自由だと、騎士になって活躍する自分を思い浮かべる。

 仲間に囲まれ、酒を酌み交わし、やがて素敵な人と結ばれ合う自分を妄想し、頬が緩む。


 しかし……次の瞬間には、そんな将来が来るはずがないと、冷静な自分が囁くのだ。


(妄想の中くらい、最後まで楽しませてよ、もう……)


 現実なんて嫌いだと、自分で自分に文句を言うように壁を蹴る。

 足のつま先に感じる鈍い痛みに溜息を溢しながら、ひとまず今日の寝床を確保しようと歩き始めて……そんな彼女に、声がかけられた。


「……え、あれがアイン? マジで? 全然違うじゃん」


 バッと目を向ければ、そこにいたのは先ほどの少年……クロース・デトラーと、エリムという少女の二人組だった。


 一目見ただけで正体を見破られたことに、レイラは少なからず驚く。


 そんなこと、仲間達でも出来なかったのに、と。


「くっ……!!」


「あっ、ちょっと待てって!」


 とにかく逃げなければと、レイラは変装魔法を解いて走り出す。


 失敗した。

 なんでバレた?

 この町であの姿に変装するのはもう無理だ。

 これからどうしよう。


 無数の考えが頭に浮かんでは消えていき、ひとまずこの場を乗り切ることに全力を尽くそうと足を動かして──


「先生が、待てって……言ってるでしょ」


「っ、うわぁ!?」


 エリムが腕を振り上げた瞬間、足に絡まった魔力の糸によって引っ張り上げられ、空中で逆さ吊りにされてしまう。


 何とか逃れようと暴れてみるのだが……足に絡み付いた魔力の糸が丈夫過ぎるのか、全く解ける気がしない。


「エリム、そこまでしなくていいって。……なあアイン、俺はもうちょっと落ち着いて話したいだけなんだ、聞いてくれないか?」


「……何? ボクを騎士団にっていう話なら、一度断ったでしょ?」


「そう言うなって。俺はお前の事情も全て把握してる、ここに来る前、お前に何があったのかもな」


「っ……!? どうして、それを……!?」


 変装魔法を見破られるどころか、暗殺組織を抜け出して来たことまでバレているなど、レイラにとっては想像の埒外だった。

 一体どこでバレた、それらしい会話は全て避けたはずだと混乱するレイラに、クロースはただ一言。


「それはほら……立ち振る舞いとか、仕草とか。そういうの見れば分かるんだよ、うん」


「…………」


 暗器や殺人術の類は習得していない。覚えたのは精々、気配を殺す移動方法くらいだが……彼らの前で、それは使わなかったはずだ。


 ちゃんと一般人の動きに偽装していたはずなのに、見破られた。

 否、単に暗殺者だと気付かれただけでなく、組織を抜けた追われる身であることまで見抜かれている。


 ここまで来たらお手上げだと、レイラは力を抜いた。


「そこまでバレてるなら、猶更分かってるでしょ? ボクに騎士団なんて無理だ、元いた場所ですら、才能がないって見限られてたんだから」


「ん? そんなことないだろ。むしろ、お前以上の才能の持ち主を探す方が無理がある」


「え……?」


 隣のエリムから不況を買ったのか、ポカポカと殴られているクロースだったが、レイラを見るその眼差しは本気だった。


 本気で、レイラに才能があると思っている目。

 長年諜報活動の技術を学んできたレイラには、それがよく分かった。


 真剣なクロースを見て、レイラは少しだけ期待してもいいのだろうかと思い始める。


「お前は何にでもなれるし、何だって出来る。お前が望めばな。だから、お前自身を信じろよ、アイン」


「……ボクは……」


 騙されたと思ってついていくのも、いいのかもしれない。

 クロースに返事をしようと口を開きかけた時、突然背筋をゾッと凍り付くような悪寒が走り抜ける。


 間違いない、アイツだ。

 湧き上がる恐怖に、レイラは全身が震え始めた。


「おい、どうした?」


「……して」


「え?」


「離して!! 騎士団でも何でも入るから、今はボクを離して!! お願い!!」


「お、おう。エリム、離してやれ」


 クロースの一声を受けて、エリムが魔力の糸を解除する。


 ようやく解放されたレイラは、すぐに体勢を整えて地面に着地し……ほぼ同時に、全速力で走りだした。


「おい、どこ行くんだ!?」


 振り返る余裕も、その質問に答える余裕もなかった。

 いくらなんでも早すぎると、己の不幸を呪う。


「どうしてここにいるってバレたんだ……!! "狂刃"のデベロッパー……!!」


 少し前まで自分が所属していた組織で、一番の狂人にして、最凶最悪の刺客。

 今からこの町を脱出して逃げ切るのは、ほぼ不可能だ。


 もし、ほんの少しでも可能性があるとすれば……一か所しかない。


「あそこに隠れて……デベロッパーが諦めるのを待つしか……!!」


 この町の生命線、魔物が発生し騎士団が掃討作業に当たっているはずの鉱山を見て、レイラは足を速めた。

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