第10話 エリム王女と一番弟子

 俺がエリム王女のところに通うようになって、一週間が経った。


 その間どこで寝泊まりしてたかというと、王都で下級貴族向けに運営されている宿だ。なんでも、別荘を建てるほどの金はないんだってさ。


 まあ、どこに泊まってるかは大した問題じゃないんだ。

 問題なのは……エリム王女の態度が一週間前から百八十度変わりすぎていることだろうな。


「クロース先生……!! やっと来たぁ……!!」


 俺が部屋に入ろうと扉を開けた瞬間、エリム王女が飛び付いて来た。


 小さな体が弾丸のように腹に突き刺さり、「ぐふっ」と苦悶の声が漏れたんだが、エリム王女の耳には届かなかったらしい。そのままぐりぐりと頭を押し付けられる。


「もう、遅い……私のこと忘れちゃったのかと思った……」


「いえ、今日も時間通りだと思いますが……」


「何を言ってるの……? 昨日より一分十三秒も遅かったじゃない」


 なんで秒単位で数えてんの? ちょっと怖いんだけど。


 ちなみに、俺が事前に伝えてる時間まではまだ五分ほどあるので、決して遅刻はしていない。


 しかし、エリム王女としてはそれが不満なんだろう、可愛らしく頬を膨らませている。


「もう、先生もこの部屋で一緒に暮らそう……? それがいい……」


「いえあの、エリム王女と俺が同じ部屋で暮らすというのは、色々と問題があるといいますか」


「問題なんてない……私が認めるから……」


 それから、とエリム王女は俺に抗議の眼差しを送る。


「私のことは、エリムって呼んで……? 話し方も、もっと砕けていいって、昨日伝えたでしょ……? 忘れちゃった……?」


「いやしかしですね、俺みたいな一介の教育係が王女様を呼び捨てというのは……」


「王女命令」


「あ、はい」


 王女扱いして欲しくないから王女命令を使うという、何とも矛盾した状況だけど……そう言われては断ることも出来ない。


 意を決して、俺はエリム王女に親しげに話し掛ける。


「……エリム、これでいいか?」


「うん……!」


 心底嬉しそうな笑顔を向けられると、俺は何も言えなくなる。


 いやだって、この子未来のボスキャラの一人だもん。ここで変に拗らせたらより酷い未来になる可能性もあるし、出来るだけ希望に沿ってあげるしかないじゃん。


 それでこの国が滅亡するフラグが一つ減るなら、俺が白い目で見られるくらいは安いものだ。多分。


「先生、今日は私の髪を結ってくれる約束ですよね……?」


「ああうん……ちゃんと持ってきたぞ、髪留め。中に入って結んでやるから、行こうか」


「うん……! 早く、早く……!」


 王女様改めてエリムに手を引かれ、俺は部屋の中へと引っ張り込まれる。


 ……一週間前のエリムからは、とても考えられない状況だよなぁ。


 幻の体を使って部屋の中に入っていく度にぬいぐるみに襲われ、殴られ、蹴られと散々な目に(幻の俺が)遭ってたし。


 それが、二日もするとその抵抗が薄まり、四日もすると無言の俺に話しかけてくれるようになり、五日目には生身で近付いても問題ないまでになった。


 そして昨日、引きこもり過ぎてボサボサになった髪を俺が手入れしてやるって約束したんだ。


 ……安請け合いしたけど、正直髪の結い方なんて全く知らなかったから、宿に戻った後でメイドにあれこれ教わる羽目になったけど。


「ふふふ……」


 まあ、練習の甲斐もあって、それなりに手際よく手入れ出来るようになったし、エリムも楽しそうだから良しとしよう。


 この部屋には椅子など一切ないので、行儀悪くベッドに座りながらの作業。

 ボサボサの髪を、水かけスプレーと櫛、それにヘアドライヤーに似た魔道具を使ってゆっくり梳かしてやった後、髪留めで小さく纏めてあげる。


 なんていうんだっけ、この髪型。ワンサイドアップ? とかそんな感じ。


 仕上がった後、特別に持ち込んだ手鏡を渡してやると、エリムはそれを覗き込んで……言葉を失っていた。


「……これが、私……」


 初めて会った時は幽霊か何かみたいだったけど、こうして軽くお洒落しただけで、もう立派なお姫様だ。


 半ば金髪に隠れていた赤色の瞳も露わになり、鏡に映る自分をまるで他人か何かのように見つめている。


「すごく可愛くなったな、エリム」


 何も言わないのもどうかと思ったので、そう声をかけてみる。


 すると、エリムはポロポロと涙を溢しながら、俺に抱き着いてきた。


 エリムの境遇は分かっているので、俺もそれを受け止めて……。


「ありがとう、先生……私きっとこうして先生に会うために生まれてきた……ううん、今日、初めて私は生まれたんだと思う……」


 いや、それはちょっと大袈裟過ぎない??


 否定出来る雰囲気でもないので、「うんうん」って頷くことしか出来ないんだけどもさ。


「えーと……エリム、せっかくお洒落したんだし、外に出掛けてみないか?」


「え? でも……」


「今のエリムなら大丈夫、俺もついてるからさ」


 魔物に小突かれただけで死ぬ貧弱な俺が傍にいて平気なんだし、今なら他の誰かと会っても平気だろう。


「……うん、分かった。先生……私から、離れないでね……?」


 不安そうに俺を見上げる姿は、本当に可愛い。

 とはいえ、暴発した時の力は全く可愛くないので、最初に会わせるのはそうした偏見のないアイシアがいいだろう。


 そうやって慣れさせて、社交性を身に付ければ、俺に依存しきった今の状態も少しずつ改善していくはずだ。


 陛下からはエリムの指導を頼まれたけど、ぶっちゃけ教えられることなんて何もないからな。暴走癖が治った今、早く他の教育係にバトンタッチしたい。


「ああ、もちろん。それじゃあ、行こうか」


 アイシアと友達になれれば、自然とそうした方向へ持って行けるだろう……そんな風に考えた俺は、アイシアがいる王立騎士団の訓練場へ向かう。


 途中、すれ違ったメイドやら何やらがエリムを見てギョッとしてたけど、幸いその反応でエリムが暴発するようなこともなく、無事目的地に辿り着いた。


 そういえば、入団試験は特に問題なく突破したって聞いたけど、それからどうしてるかは聞いてなかったな。


 一応は俺の弟子ってことになってるし、上手くやれてるといいんだけど──と考えながら訓練風景を覗き見て。


 俺は、空いた口が塞がらなくなった。


「てやぁぁぁぁ!!」


「はあぁぁぁぁ!!」


 雄叫びを挙げて激突する、二つの影。

 一つは、両手に小さなナイフを持った銀髪の少女、アイシア。周囲には無数の魔法のナイフを浮かび上がらせ、目にも止まらないスピードで訓練場を駆け回っている。


 そんなアイシアと対峙するのは、歳の頃二十代くらいの若手の騎士だ。


 手に盾と剣を構え、アイシアの攻撃を次々と捌く様は、流石本職としか言えない素晴らしい動きと言える。


 ……多分ね。いや、俺は別に戦いの技術とか何も知らないから、ただ「なんかすごいなー」と漠然と感想を抱くことしか出来ないんだよ。


「くっ!!」


 しかし、途中で若い騎士の盾が弾き飛ばされ、アイシアのナイフが首元に突き付けられる。


 それを見て、審判をしていたっぽい年配の騎士が手を挙げた。


「勝負あり! そこまでだ!」


「つ、つえぇ……本当につえぇな、アイシアは……」


「ああ、あの歳であの強さ……成長したら一体どうなっちまうんだ……?」


 ザワザワと、見物していた他の騎士達が騒ぎ出す中、アイシアは戦った騎士と握手を交わす。


 そして、訓練場にやって来た俺に気付いたのか、ぱぁっと笑顔になった。


「師匠!! 来てくれたんですね!! 見ててくれました? 私の華麗なる勝利!!」


「ああ、見てたぞ、すごいじゃないか。けど、お前にはもっと上を目指して貰わなきゃいけないんだから、それだけで満足するなよ?」


 俺がそう伝えると、アイシアは「はーい」と素直に頷くも、周囲にいた他の騎士からはまるで化け物を見るような目を向けられてしまった。


 ……いや、確かにいくら若手だって言っても、本職の騎士を十三歳で倒した女の子にかける言葉じゃないかもしれないけどさ。こいつはいずれ魔王を倒して貰わなきゃいけないんだから、たかが若手一人倒したくらいで増長されても困るんだよね。


「それで……師匠、その子は?」


「ああ、この子はエリム。この国の第一王女だ」


「えっ、王女様!?」


 流石に驚いたのか、アイシアも目を見開き、騎士達も俺より先に注目すべき存在にやっと気付いたようで、慌てて胸に手を当てる形で敬礼していた。


 一方、俺に紹介された形になったエリムはというと……アイシアを見て、なぜか瞳のハイライトが消失していた。なぜ??


「先生……この子は?」


「こいつはアイシア、俺の……まあ、一番弟子だよ」


「一番……」


 ふらりと、エリムが俺の前に出る。

 その少しばかり不気味な様子に首を傾げるアイシアへと、エリムは開口一番にとんでもないことを言い始めた。


「先生の一番は私よ……あなたじゃない」


「……はい?」


 いや、エリムは何を言ってるんだ?

 一番弟子って、最初の弟子って意味だからな? そこは否定しても変わらないぞ?


「へえ……なるほど、事前に聞かされてはいたけど、思った以上に面白い子を連れて来てくれたみたいね、師匠は」


 いや、アイシアはアイシアで何を言ってるんだ? 聞かされてたって何? 俺はただお前をエリムの友達候補として紹介したかっただけなんだけど?


「いいわよ、勝負しようじゃない。師匠の一番弟子が私だってこと、弟子のあなたに分からせてあげるわ」


「望むところ……!!」


 わざわざ"二番"のところを強調するアイシアに、エリムも闘志を燃え上がらせている。


 えーと……この状況、どういうこと? 誰か説明してくれない?

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