第6話 魔人出現とアイシア覚醒

 アイシアは、初めての実戦と聞いて心の底から緊張していた。

 素晴らしい師匠の下で、来る日も来る日も必死に訓練を重ねてきたという自負はあったが、実際に魔物と対峙して上手く動ける自信はなかったのだ。


「そう心配するな、お前の実力は俺が一番よく知ってる。こんなところで負けることは絶対にないから、思い切り暴れて来い」


 だからこそ、クロースのその言葉だけで一気に心が軽くなったことに、アイシアは少なからず驚いた。


 これまでずっと、クロースとの訓練は無言のまま進むことが多かった。


 もっと褒めてくれたっていいのに、とか、悪いところがあるならアドバイスの一つでもちょうだい、と思ったことは一度や二度ではない。


 あるいは……滅多なことで褒めてくれなかったのは、実戦でこうなることを見越していたからなのだろうか。

 普段何も言わないからこそ、重要な局面で告げられる一言に重みが出る、と。


 アイシアは、そう考えた。


(だとしたら、師匠は本当にすごい人ね……その期待に、応えてみせるわ!!)


 無口だったのは幻では喋れないからで、「こんな所で負けるわけがない」というのもゲーム知識から来る確信だったのだが……尊敬する師匠に認められたという喜びは、アイシアの力を更に一つ上のステージへと押し上げた。


「てやぁぁぁ!!」


 次から次へと森の奥から湧いてくるゴブリン達を、アイシアは全て斬り捨てる。


 神速にも等しいスピードに、クロース(幻)との走り込みで身に着けた足音を立てない歩法を組み合わせれば、たかがゴブリンにはアイシアの姿を認識することさえ叶わない。


 魔物相手に戦えている事実が、アイシアに更なる自信となって積もっていく。

 それはそのまま殲滅速度に現れ、全てのゴブリンが気配を察知された直後には絶命していた。


 ……だからこそ、アイシアを含め誰一人として気付かなかった。

 いくらなんでも、ゴブリンの数が多すぎることに。


 本来なら、群れはしても雑に数で押し切る以外の戦い方を知らないはずのゴブリン達が、妙に統率の取れた陣形でアイシア達を取り囲んでいたという事実に。


『オイオイ……なんだテメェ、人がせっかく育てた兵隊共をめちゃくちゃにしやがって。覚悟は出来てんだろうな?』


「っ!?」


 現れたのは、明らかにゴブリンとは異なる威圧感を放つ、一体の“鬼”だった。


 まるでその怒りの大きさを表すかのように真っ赤な肌。

 ゴブリンとは比べ物にならない巨躯に、鋭い角が一対生えている。


 その存在に気付き、ゴードンが悲痛な表情で叫んだ。


「お前は……オーガ族!? 魔人が、どうしてこんなところに!!」


『どうしてだぁ? 決まってんだろ、この地の人間共を根絶やしにするためだよ。とはいえ、オレ様一人で一匹ずつ仕留めて回るのも面倒だから、慣れねえ魔物の使役なんてのもやってみたんだが……チッ、使えねえ』


 あちこちに散らばるゴブリンの死体と、その中心で返り血すら浴びずに佇むアイシアを見て、オーガは舌打ちする。


 そして……内に秘めた魔力を、一気に解放した。


『やっぱ、結局はこの手で直接捻り潰すに限るってもんだなぁぁぁ!!』


 魔力の解放だけで嵐の如き突風が巻き起こり、森がざわめく。


 その圧倒的な力を前に、ゴードン達騎士は恐怖に竦み上がり……そんな状態で尚、剣を構えた。


「坊ちゃん、アイシアの嬢ちゃんと一緒に逃げてくだせぇ!! 当主様に連絡して、一人でも多くの民の避難を!!」


 デトラー男爵領があるのは、辺境も辺境だ。魔物も大して強くなく、魔人からしてもあまり旨みの少ない土地。


 つまり、魔人に対抗出来るほどの戦力など、この地には存在しないのである。


(なぜ魔人がこの地を狙ったのかは分からねえが……こうなったら、命に換えても坊ちゃん達が逃げる時間を稼ぐしかねえ!!)


 自分達が生き残ることはおろか、クロース達が無事に脱出出来る可能性すら低いことを、ゴードンは既に察していた。


 それでも、ここで絶望に屈するくらいなら最初から騎士の道など志していない。


 たとえ僅かな可能性しかなくとも、この身を盾に坊ちゃんを逃がしてみせる──


「って、坊ちゃん!?」


 そんなゴードンの想いとは裏腹に、クロースは吹き荒れる魔力嵐の中で前に出ていた。


 泰然としたその態度には、恐怖の欠片も感じていないかのように見える。いやむしろ、この状況すらも全て、想定内だと言わんばかりの溢れる自信さえ感じられた。


 そして、そんなゴードン達の考えを肯定するかのように……クロースは、とんでもない発言を口にする。


「アイシア、任せたぞ。これが卒業試験だと思え」


「……は?」


 卒業試験という単語が、ゴードン達騎士には自分達の知るものとは全く異なる言語のように感じられた。


 卒業試験? 並の騎士では束になっても到底敵わず、たった一人で一軍にも匹敵するような一騎当千の英雄だけが倒すことの出来る相手だと言われている魔人を、僅か十三歳の少女にたった一人で倒せというのだろうか?


 まるで、ちょうどいい試練だとでも言わんばかりに。


「……分かったわ、師匠。私、やってみせるから!!」


 クロースの言葉に背中を押され、アイシアがナイフを構えて飛び出した。


 ……なお、クロースは堂々としているように見えて、頭の中はしっかりと混乱の極地にあった。どうして、このタイミングで魔人が来るんだと。いくらなんでも早くないかと、天を呪っていたのだ。


 ただ一つ、ゴードン達と違ったのは、この魔人襲撃の結末を知っていたということだ。どうせ逃げても死ぬ運命なのだから、ここでやらなければ同じことだと開き直っていた。


 アイシアに丸投げしたのも、アイシアで勝てなければ他の誰にも勝てないと諦めていただけで、今のアイシアなら勝てると信じていたわけではない。


 ないのだが……クロース本人以外は、オーガを含め全員が同じ解釈をした。


 この程度の魔人、アイシア一人で十分だと。そう彼は判断したのだ、と。


『舐めやがってぇぇぇ!!』


 激昂したオーガが、その魔力を纏った剛腕をアイシア目掛けて全力で振るう。


 アイシアは、それをひらりと舞うように回避し……風圧だけで、彼女の背後に生えていた木々が粉々に吹き飛んだ。


 こんな攻撃、掠っただけでも人間など容易く肉塊となってしまうだろう。万が一にも防御など不可能、全て回避するしかない。


 しかしそれはまさに、アイシアがこれまで一年間学び続けて来たことだった。


『クソッ、ちょこまかと……!!』


 圧倒的なスピードを誇るアイシアの動きに、パワータイプのオーガは攻撃が当てられない。


 そうして出来た隙を狙い、首筋をナイフで斬り付ける。


 あまりにも頑丈な皮膚はほとんど刃を通さなかったが……それでも、僅かに傷を付けられた事実に、アイシアは思った。


 これならいける、と。


(師匠は、最初からこの戦いを見越して私を鍛えてくれてたんだ……!!)


 無限にも等しい走り込みは、アイシアに無尽蔵の体力を与えた。


 剣を一度も打ち合わせることのない、高速の剣技による訓練は、この状況でも冷静にオーガの攻撃を避け続ける圧倒的なスピードと回避力を与えた。


 これまで培った訓練の全てが結実し、今この瞬間に圧倒的な力を持つはずの魔人を手玉にとれるだけの力となっている。


 その事実に、アイシアはゾクゾクと背筋を駆け上がる快感を覚えた。


(やっぱり……師匠はすごい!! 師匠についていけば、私は英雄になれる!!)


『しゃらくせぇぇぇ!!』


「っ!?」


 一方的にチマチマと小さな傷を付けられ続ける状況に業を煮やしたのか、オーガは自身の魔力を刃のように伸ばし、闇色の斬撃で周囲を纏めて薙ぎ払った。


 圧倒的な範囲攻撃を前に、アイシアは大きく後退を余儀なくされてしまう。


『クハハハ!! いくら速かろうと、お前のその貧弱な攻撃じゃあ一万回攻撃しようがオレ様の命には届かねえ!! さあ、来るなら来やがれ、今度こそ返り討ちにしてやらぁ!!』


 完全なカウンタースタイルで、オーガはアイシアを挑発する。


 いくらアイシアのスピードがあろうと、不用意に飛び込めばあの範囲攻撃によって即死してしまうだろう。


 仮に上手くヒットアンドアウェイに成功したとして、そんな綱渡りのような攻撃をオーガが死ぬまで繰り返せるとは思えない。


 だが……アイシアは、そんな状況でもなお、笑っていた。


『何が可笑しい!?』


「あはは、だってさ……本当に、最後の最後まで、師匠が付けてくれた訓練が役に立つんだもん。凄すぎて笑っちゃうわよ」


 クロースがアイシアに施した訓練は、主に三つ。

 走り込みによる体力作り、木剣を用いた高機動戦闘、そして……魔力弾を用いた魔法の基礎訓練である。


「師匠、言ってたのよね。魔法の基礎をしっかりすれば、後はどんな魔法でも習得出来るって」


 そんなこと言ったっけ? とクロースは思ったが、空気を読んで何も言わなかった。

 そしてそれは、結果的に正解だったのだろう。


 アイシアは、宙に無数の魔力弾を浮かび上がらせ……それら全てを、オーガの魔力と同じ闇色に染め上げる。


 漆黒の魔力弾は更に形を変え、気付けば無数の刃となってアイシアの周囲を漂っていた。


「あんたの魔法、私が貰ったわ。……いきなさい、《闇刃乱舞シャドウナイフ》!! あいつを斬り刻め!!」


 闇色の刃が宙を舞い、オーガへと殺到する。


 一撃一撃に、大した威力はない。だが、無防備に受け続ければいかに強靭な魔人の肉体といえどいずれ死ぬだろう。


 それが分かっているからこそ、オーガは迎撃せざるを得ない。


『うおぉぉぉ!?』


 凄まじい範囲攻撃が、闇色のナイフを全て消し飛ばす。


 しかし、どのような攻撃だろうと、その直後には必ず隙が生まれるものだ。


 そこを突くように懐へ飛び込んだアイシアのナイフが、オーガの首筋を斬り裂く。


 闇の魔力で強化された刃先は、丈夫なオーガの外皮さえ容易く切断し、今度こそ明確なダメージとなって血飛沫を上げた。


『がぁぁぁ!?』


「もう、あんたの底は見切ったわ。ううん、私の師匠は、とっくの昔に見切っていたのよ」


『ふざ、けんなぁ!!』


 オーガが剛腕を振るうが、そこには既にアイシアはいない。

 その代わりとばかりに、再生成された闇のナイフがオーガへと殺到し、全身を斬り刻んでいく。


 こうなってはもはや、オーガに対抗する術などあるはずもなかった。


『バカな……バカな、バカな!! このオレ様が、こんな……人間の、ガキ一人にィ……!!』


「ふん、私をそんじょそこらのガキと一緒にして貰っちゃ困るわ」


 全身から血を流し、動きの鈍ったオーガの首を、再びナイフで深く斬り裂く。


 それが致命傷となったオーガは、ゆっくりと地面に倒れていった。


「私はアイシア、世界最強の魔法剣士、クロース・デトラーの一番弟子よ。冥土の土産に、しっかり覚えてから死になさい」


 圧倒的な力の差を見せ付け、堂々と名乗りを上げるアイシア。


 その凄まじい風格に、他ならぬクロースが誰よりもドン引きしていたりするのだが、幸か不幸か、アイシアがそれに気付くことはなかった。

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