第17話 君さえあらば

・・・


数分後…人気のない路地裏で、私は壁にもたれ虚空を見つめておりました。かたわらには、逃走開始後さっくりと捕縛された『先生』が、肩で息をしながらうずくまっておられます。



「どうして逃げたのです。私を追ってきたのでしょう?」


「ああ…だがその…少々、気が変わってね。」


「どうして!」



もごもごと言いよどむ先生に私は食って掛かります。先生ははじかれたように立ち上がりました。



「豪奢なドレスに身を包み、鏡と優雅に歩く君の姿があまりにも眩しかったのだ!きっと、鏡といるほうが君は幸福になれる。さあ、鏡のもとへ帰りなさい。」


「厭。」


「…。」


「絶ッッ対、厭。」



わざと言葉を重ねた事に怯む様子もなく、先生は二の句を継ぎました。



「…鏡のもとへ戻って『金輪際あなたとともに生きてゆきます』と「絶ッッ対に厭ですッ!」」



キッと睨みつけましたが、先生もこれ見よがしに眉を吊り上げます。



「昨晩だって、鏡と居た方が安泰だと判断したのだろう?まったく賢明だというのに、どうして僕を追ってきた!」


「先生はなあんにも分かっておりませんッ!」



それでも先生は虚ろな目で、独り言の様に言い続けます。



「いいか、鏡には君を養えるだけの十分な余裕があるのだよ…。彼奴の性格は間違いなく最低だが…ああ見えてごく偶に、良いところがあるかもしれないし…マァ、まったく保証はできかねるがね。」


先生の御託に耐え兼ねた私は、思わず声の限りに叫んで居りました。



「わ…私は…先生を愛しているのですよッ!」


「…へ?」



先生はポカンと口を開きました。


「お返事は…?」


涙目で問うと、先生は目を逸して俯きます。耳が真っ赤に染まりゆく中、ひどくくぐもった声が耳に届きました。



「…困らせるな。」



私の頭にガアン、と殴られた様な衝撃が走りました。動揺を隠すように私は、みょうに明るい声を出しました。



「わ、わたしがお金を稼いで自立すれば…!帰ったら早速お父様の工房で、何かケタ違いに売れる発明品を量産して……!」



しかし、先生は暗い瞳で私の手を掴み、言い聞かせるようにだらりと下げます。



「玉雪君、こんな事は死ぬまで言うまいと誓っていたけれど…、君のお父上による発明品は、どれも世間にとっては『ガラクタ』なのだよ。四ツ目眼鏡も万力草履も万能桶も安心筆も、みんな世間の目から見れば『役に立たないガラクタ』なのだ。」


私の頭は、さらにゴオン、となりました。


「ひどい…。」


「済まない。でも事実なんだ…。」



それでも私は、先生までをも諦める気には到底なれなかったのです。私ははっしと先生の手を握り返します。



「私……『君さへ居て呉れるなら、他には何も要らない』。」



その言葉を口にした瞬間、先生の表情は瞬時に、本日最高の険しさを記録しました。



「君…『あれ』を読んだなッ!?」


「とても素敵なお話でしたわ。私大好き。」



唐突な賛辞に先生は『ウッ』とたじろぎましたが、すぐに頭を振られます。



「あーあー、『最中』なんぞと言い出したのも『あれ』のせいか!」

「『あれ』ではなくて『二物(にぶつ)』ですッ!」



先生はふんと口を尖らせます。



「く、下らん…あんな小説、しょせん虚構なのだ。」


「…どうしてそこまで虚構を否定するのですか?」



何故か先生は、小説が虚構である事をひどく嫌っているのでした。先生は驚く程早口で言い返します。



「虚構はどれほど素晴らしくても、現実にはならないからだ。」



ポカンと口を開く私に構わず、先生はどこか狂気じみた目で、善く分からない事を言うのです。



「きみが言うように、現実はそう巧くいかないから僕はこのまま食いっぱぐれて死ぬ予定だよ。でも、僕なんぞと一緒にいる事で君を同じ目に遭わす訳には絶対にいかないのだ。」


「…私、先生と離れるくらいなら死んでしまいたいと言っているのですよ?」


「駄目だ。君は生きろ。」


「どうしてそこまで私の『生』にこだわるの!」


「あああ、なぜ分からない!?僕だって君を…愛しているからさッ!」



私は、あっと口を押さえました。しかし先生は、畜生!と言いながら髪を搔き乱します。



「…僕は君を愛しているからこそ、生きていてもらいたい。だから一緒にいるわけにはいかないのだ。」



先生は怒ったような悲しいような、強い瞳をなさいました。



「どれだけ辛くとも、生きていればいずれ幸福な時代がきっと訪れるよ。だが、死んでしまっては何の可能性も無くなってしまうし…何より、悲しいじゃないか…。」



静かにうつむいた先生の目から、大粒の涙が落ちました。



「たとえ一緒でも…、君には、死んで欲しくない…生きて、笑っていて欲しい。」


「先生…そこまで私めを。」


先生は、突然謎の高笑いとともに天を仰ぎ見ます。


「フッ…フハハッ!」


何かに憑かれたような先生から後ずさると、先生は一転して悪鬼めいた気色へと変貌を遂げて居りました。


のみならず、じりじりと私ににじり寄って来るではありませんか。


「もうこの際言うしかなくなってしまったみたいだから、言わせて貰うがね…。」


地獄の死者めいた先生の口調に、私は唾を飲みました。


「僕は、君と出会ったその日から、君に恋をしていた。ずっと…ずっとなのだよ…」


先生は更にフハハと笑います。その目は完全に狂気じみて居ましたが、どこか吹っ切れた様にも見えます。否、先程先生を『何かに憑かれたような』と形容しましたが、むしろ先生は『憑き物が落ちた』のかもしれません…ということはやはり、この得体の知れない男性が、彼の本性なのでしょうか。


考えている間にも、先生はじり…じり…と私ににじり寄り、得体の知れない雰囲気で得体の知れないお話を続けるのです。


「僕はね…君の横でお勉強を教えながら、『この子が僕の恋人になれば良い』と思っていた。君にとっての優しいお兄様を演じながら、君の無垢な所作や言葉に釘付けになっていたのだよ…。どうだ??鳥肌立つほどおぞましかろう!しかしね、まだまだ続くのだよ……」


先生は顔を歪ませ、嘲笑を浮かべます。その笑みは他でもなく、先生自らに向けられた表情なのだと私は察しました。


「それからね、君が本を読まぬのを良い事に、君への懸想文じみたものを勝手に書いては世に屠り、世に屠っては悦に入るの繰り返し。挙句の果てに、何とかいう賞まで獲ったさ。人畜無害な顔で館に居座り、裏では世間を巻き込んだ自己満足ときた!!…まったく、僕は本当にとんだ変態だよッフハハハハッ」


「な…何が可笑しいのッ!」


業を煮やした私は思う様先生に接近し、気付いた時にはバチイン、と頬をのめしておりました。「痛ッ!」先生は即座に打たれた頬を押さえ、素早く私から距離を取ります。


…はあ。この方はいつもこういう時、なんて健気な顔をなさるのかしらん。毎度毎度こんな仔鹿のような顔をされたら、打った方が悪いようではありませんか。


気を取り直し、私は先生に有らん限りの侮蔑の眼を向けました。


「少しは私の話も聞いて下さい!!」


「え…」


「良いですか?ここから先は、私の番でございますから先生は一切口を出さないで。」


「あ…分かった、分かったよ…。」


私はエホンと咳払いすると、両手を組みます。


「先生の激白は確かに驚きましたわ。えぇえぇ。ハッキリ申し上げて、少々気味も悪うございます。」


先生は小さく『う…』と呟き、ばつが悪そうに俯きます。


「思い返せば、不可思議な点も多々あります。誰も居ないはずのところで転んだのに、妙にすぐ走り寄って来たり…妙に私の好きな食べ物に精通していたり。」


先生はガックリと、両手で顔を覆われました。自ら暴露したくせに…と内心憐憫を禁じ得ませんが、私は更に咳払いします。



「それはさておき。残念ですが…そんな事ども、私が先生を嫌いになる要素足り得ませんのよ。」


「うん…。うん?」


「どうにかして嫌悪されようとしたのに、残念でしたわね!!勇気を出して激白したのに先生は『少々』気味悪がられただけ…打ち明け損ですわッ!」


私はあははッ!と一頻り先生を嘲笑しました。


「…というわけで。どうしても私を突き放したいならば、先生が私を嫌いになるしかないのです。」


先生ははあ…と観念したようにため息を吐きます。


「君の安泰な未来に誠に申し訳ないが、それは出来ない。僕のは君のなんかずっと年季が入っているし、ずっと重くて深いのだ。君のほうこそ何も気にせず、思う存分嫌いになれ。」


「なんですッて!」


「年上の言うことには従いなさい!」


「年下にも言い返せない年上に従う法はありませんわッ!」



先生と私はしばし睨み合って居りましたが、先生は漸くもうッ!と地団太を踏みました。


「どうしても君が僕から離れないと言うならな…」


「あの、難しい言葉はもうたくさんですの。結局どうなさりたいのですか??」


「もう戻れないぞ。」


先生は強い力で私の手を引き、思い切り私を抱き締めました。


「嫌いになれる訳がないだろう…出会った時から君はもう、僕の人生そのものだ。」


私は先生の腕の中で何度も頷きます。はたして、私を抱き締める先生の体は、微かに震えておりました。ああこの方は、女慣れなどしていない。私は身を以て知る事となったのです。



・・・



それからどれ程の時間が経ったのでありましょうか。久しく続いた抱擁の後、先生はやや申し訳なさそうに声を上げました。


「た、玉雪君。そろそろ僕等…離れるか。」


「確かに、もうそろそろ良いでしょう。鏡様にも確りと見せつけられたようですし。」


「かッかか鏡ィッ?出てこい変態野郎ッ!」


「あちらです。」


類まれなる長身のせいで何も隠れられていないながら一応建物の陰に『隠れて』いたらしき鏡様を指差すと、鏡様は観念したようにやってまいりました。


「マア、こうなる予感はして居たサ。否、と言うよりこう成らない筈はない…とある意味確信していたね。」


「何を言ってる??玉雪君ッ!彼奴に気付いていたなら、どうしてすぐ言わなかったのだッ。」


「イエ、今後のためにもこの状況をこそ、確り見せつけておかねばと存じまして。」


「た、確かにそうかもしれないが…。」


私は鏡様に向き直りました。


「鏡様…。このようなかたちで約束を違え、申し訳ございません。」


しかし、鏡様はどこか晴れ晴れと微笑み、私の頭を撫でました。


「いいよいいよ。うむ…僕は、『仙之介と幸せそうにしてる君』が好きだったのかもしれないな。うん。『玉雪嬢に鼻の下を伸ばす仙之介』も、中々可愛気があって好ましかったし。」


「さ、寒気がするッ。玉雪君、早く帰ろう!」


「え?!ちょッ、袖を引っ張らないで下さいましッ」


「というか、すっかり忘れていたが…ここって…屋敷の外じゃないかオエエエェ」


「せ、先生ーッ!!」


鏡様はあははッと笑うと、ぽんと我々の肩に手を置きました。


「兎に角、僕は君たちが結ばれて幸せだ。仙、これからも良い小説を書きたまえ。」


「え?ああ…。お、お前はもっとた…楽しんで書けよ。」


先生は至極小さな声で『上手いんだからさ…』と言いましたが、鏡様には全く気付かれていないようでした。


「玉雪嬢。これからも、屋敷へ顔を出して良いかい?」


「勿論ですとも!鏡様はれっきとした『間借り人』ですし。」


「嗚呼…君は何て健気で可憐で……痛ッ!!」



先生が美しい足捌きで思うさま鏡様の脛を蹴りつけた瞬間、バッタバッタと煌びやかな洋装を翻し、一人の淑女が我々の元へ猛進して参りました。


「於兎丸様ぁ…やっと…やっと見つけたァ……」


「佐野…良子…嬢ッ!ど、どどどうしてここが…分かったのかね?」


「どうしてもこうしても、どうしてはこちらの台詞……どうしてあの逢瀬以降、何の音沙汰も寄越しませんの…ッ」


「ヒィィ、一旦落ち着いて!」


髪やら色々と乱しながらも大層お美しい『佐野様』なるご婦人のお名前に、どこか聞き覚えがあるような気がしてなりませんでしたが、先生はごく冷静に『僕らはここで帰ろうか』と私に向き直りました。間髪入れず、私も『はい』とお返事いたします。


・・・


發明館へ帰る道すがら、先生はポツリとこう言いました。


「どうしよう…現実が素晴らしすぎて……もう現実以上に素晴らしい話が、思いつかんぞ…。」


私はウフフと笑い、先生のお背中を思いきり鼓舞しました。「いだいッ!」


「何も小説で稼がなくとも、良いのではありませんか?逆に、先生の小説にならって最中のお店でも開くのはどうかしらん。アッ!!最中の横で、『四ツ目眼鏡』も売り捌いてッ!!」


世紀の大発明に、先生はなぜか呆れ顔です。


「君はあのガラク…ゲホゲホ、『あの眼鏡』と和菓子をどう結び付けようというのかね…。ま、のんびり考えていこうか…僕には君さえいればいいんだし。」


「うーん…。」


「玉雪君?」


「先生と私と『発明館』さえあらば、ですわね!」


先生は静かに微笑み、私の肩を抱き寄せたのでした。(おわり)

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発明館の恋 ほぼお湯の水 @hobooyunomizu

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