第6話 先生の書くもの

「入りなさい。」


先生が私を誘ったのは、先生のお部屋でした。


そのまま怖い顔で机に歩み寄った先生は、引き出しから一冊の雑誌を取り出します。そして、つまらなそうにペエジを繰ってはパタンと閉じると『読んで御覧』と放り投げました。



「あッそんな、ご本を…」


「ナァニ、所詮講評だよ。それも、大した内容じゃアない。」


「こうひょうって何ですの?」


「え?うーん…マァ、私はかれこれこういう理由にてこの小説を推薦しますという、『言い訳』だ。」


「へぇぇ言い訳。」



言い訳でできた本がこの世にあるのか…と間抜けな声をあげる私に、先生はウンと首を振りました。



ではいざ、かくなる言い訳をば!!雑誌に目を落とした瞬間、先生はあぁあと呻きます。



「その本に出てくる『黄堂 水仙』を僕のこととして読んでくれ。」


「きどうすいせん…それが先生のお名前、ということですの?」


まじまじ見つめると、先生のお顔はなぜか赤くなりました。「マァ…そんな所だ。」


「どうして別の方のお名前をお使いになるのです。」


「うっ…中には自分の名をそのまま使う者もいるのだが。それでは日常に於いて色々と面倒も多いのだ…そもそも僕は仕事と私生活とを分離しておきたいし……。」



答えてくれつつも答えにくい質問だったようで、それきり先生はもう何を聞かれても答えないぞというように、不自然に窓の外を眺め始めて仕舞われました。



…自分のお名前を使った方が、好い賞を頂いた時なぞ皆から褒めていただけるのではないかしらん。私の頭に謎が浮かんでは消えましたが、今はまず講評なるものを拝読するべきであるようです。私は持てる知識を総動員し、文字の羅列に挑み始めました。



小一時間程解読に費やした結果、どうやらその雑誌には、『黄堂 水仙』なる先生がお書きになった小説について、おおむねお褒めの言葉が述べられているようでした。



いわく、先生のお書きになった小説は……



―煮詰めに煮詰め切った煮凝りのようでいて、なぜか清々しい純愛小説。


―苦悶の闇鍋と思いきや、『だが美味い』と思わせる何かがあった。が、何かが何だったのかは闇の中。以降に期待。


―ありきたりな素材を煮た、ただそれだけの作品ではあった。しかしそこには緻密な計算に基づいた汁、そして素材に見合う繊細さでくべられた火があった。素朴の中に光る技術を評価したい。


―ただの野菜も極限まで煮れば、中の水で美味い料理に化ける。『敢えて煮汁を入れない』彼の遣り口には一本取られた。文学は変わる。



―――との事です。


私が雑誌から目をあげると、先生は恥ずかしそうにお鼻を擦っておりました。



「どうだ、少しは見直したか…なんてね。」



先生は冗談めいて苦笑しましたが、その瞳はまごうことなく瞬き、賛辞を求めておりました。そりゃあ勿論、先生はすごい。ふつつかな私はそれはもう確信いたしておりました。が、如何せんふつつかが過ぎたようで、ついつい本音が漏れ出ました。



 「…どうして…すべて『煮物』なのかしらん。」



言い切るやいなや先生は、あああと頭を抱えこみます。『煮物は禁忌』と即座に察した私はどうやら専属メエドとしての成長を遂げていたようで、少しばかり誇らしくなりました…しかしその成果は空気を変えようと墓穴を掘った己の口から、瞬時に裏切られたのです。


「そ、そういえばこの小説のお題名、とっても素敵ですのね……に、に………」


『黄堂 水仙著』の上にでかでかと記された『二物』の文字を見た瞬間、必然ともとれる偶然の一致に気付いた私はひゅッと息を止めました。


そんな私を先生は、髪の間から物凄い形相で睨みます。しかし、学のない私には、奇跡ともとれる偶然の一致もあいまってこれ以外の読み方を禁じ得ませんでした。



 「…にもの。」「違アうッ!!」



先生は鬼気迫る鉄拳で、ドシンと机を殴ります。



「きゃッ!」


「玉雪君…いいかねこれは、『にぶつ』と読むのだ………。」

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