第5話 授賞式へ行かう!

憮然とする私を置いて、先生はおもむろに手を叩きました。

 

「さて、そろそろこの濡れた着物を如何にかしなくてはね。


着替えるから、そろそろここから出てくれたまえ。」



そうだ、お茶を零した後だった。ギョッと先生を見やると、そのお着物はグッショリ濡れかつ私の乱暴な手当てのせいで、あられもなく乱れておりました。



「いやだ、先生ずっとお茶を被ったままでしたッ。」

 

「もう何だか乾いてきた様な気もするがね。」

 

「この水浸しの一体何処が乾いていると・・・それに、こんな所へ居座られてさぞ窮屈だったでしょう・・・早く言ってくださればよかったのに。」


「ああ、まあ・・・窮屈ではあるが・・・好きなだけこうしていても、僕は一向構わないのだが。」


「先程から何をぶつぶつ言っておられるのかしらん・・・何より早くお着替えを!サッサとお召し替えなくては、代わりに風邪を召されますわよ!!」



言うが早いか、私は脱兎の如くたらいをひっつかみ退散したのでした。



なんだかとても長い間お邪魔していたようでしたが、時計を見たら、まだ正午にもなっていませんでした。




・・・・・




正午は過ぎ去り、昼下がり。


朝方先生より『お手伝い 僕の求める  範囲内』なる命を受けた即席閑古鳥メエドは自室にて、壮絶な虚無と闘っておりました。



お父様お母様その他多数の方が屋敷を去った後、『やる事がない』のはもはや当たり前だったからこそ感じずにもいた虚無を、一度お手伝いの喜びを知ってしまった先の『やる事のなさ』は一段と酷でありました。




もう片付かないほど片付け尽くした部屋の机上に肘をつきボンヤリ虚無を感じていると、唐突にノックの音が響くではありませんか。この屋敷でこの音を立てられるのは、ただ一人です。この広い屋敷でノックができるのはただ一人・・・



先生・・・私の虚無を打ち払いに・・・!



私は電光石火ドアーに駆け寄り、はいッとノブを引きました。


如何様いかようにございますかッ!」


「うわあびっくりした・・・如何様はそっちだよ・・・。」


先生は青い顔で胸を押さえ、びっくりしたなあもう、と言い言い呼吸を整えます。


 

「申し訳ありません。少しばかり、退屈で死にそうでしたので。」

 

「いや、僕こそ仕事めいた仕事をあげられなくて、すまなかったね。」

 

「すまな『かった』・・・?とするとつまり、今は持ち合わせていらっしゃるのですかッ!!」

 

「わッ?だからそう飛びつくのはやめなさいッ。そ、そうさ玉雪君・・・僕は君にね、是非とも願いたい仕事をひとつ、思い出したのだ。」

 

「ああ・・・ひとつ。」


 

なあんだ、たったひとつか。魂が抜ける思いの私に、先生はなお追い打ちをかけました。


「ああ。まあ、明日なんだけどね。」


「あああ・・・あした。」


「そんなあからさまに落ち込むのはやめてくれたまえ・・・僕はなぜか、自分が情けなくて仕方ないよ。」


「申し訳ございません・・・ただ、今この瞬間から明日になるまでの間に、たった一つしかお仕事がないというだけでここまで落ち込んでしまって・・・。」


しかし、先生はそこで妙に明るいお顔になりました。


「だが、落ち込むのはまだ早い玉雪君ッ!」


「はい?」

 

「その仕事なのだがね、ただの掃除や使いではないのだよ。

なんと!!先だって僕が獲った賞の授賞式への、同行なのだからねッ!!」

 

「ご、ご同行・・・?」

 

「そうだ、同行だよ同行!凄いだろう玉雪君?悦ばしかろう玉雪君?」


「す、凄いですわ先生・・・悦ばしいですわ先生!!」



ああ・・・なんて・・・


なんて素敵なお仕事なのでしょう!!



しかし、私の脳裏に疑問がよぎりました。



「でも・・・」

 

「何だね?」


「メエドとは本来、邸宅内でのみお仕えする者だったのではなかったかしらん。」



先生はあからさまにウッと呻きました。



「ですからメエドの私がそのような場に同行するというのは、むしろ『先生の求める範囲内』のお仕事の範囲を越えているのではないかと・・・」


先生は、チッチと舌を鳴らしつつ指を振りました。


「玉雪君・・・」


「はい。」


「今更何を細かい事を言うのかね・・・誰が屋敷にいなくてはなどと決めつけたのか。僕はそんな決めつけはあってはならぬと思う。メエドだって、外で仕事する権利を当然持っているのだよ。

そもそも、別にメエドとして君に来てもらいたいのではないし。」


「はあ・・・?」


何やらわけが分からなくなってまいりました。


先生もうっすらと『自分は何を言っているのか』という困惑を浮かべています。


しかし、後に引く気もさらさらないようです。


「そう。僕はそもそもね、『メエドとしての玉雪君』に同行を依頼してるわけじゃない。むしろ同行してもらいたいのは、『我らが愛すべき発明館の大家』としての玉雪嬢・・・いやもうむしろ、『ただの玉雪君』として、授賞式へのご同行を願っているッ!」


「つまり、一人で行くのが心細いから一緒に来て欲しいのね……」



先生はウッと呻きましたが、私は構わず続けます。



「心細いなら、最初からそう言って下されば良いのに。さらに細かいようですが、私はもう『我らが』大家ではございません。だって、ここにはもう先生しか残っておりませんもの。」

 


先生は私の言葉に、うつむいて黙り込んでしまいました。然して、癖髪の間からひょこんと覗くお耳は真っ赤でございます。私は少し言い過ぎたのかもしれません。



せめて『我ら』のくだりは控えるべきだったかしらん。後悔し始めた私に、先生はポツリと口を開きます。



 「…厭なら良いよ、僕も行かないから。マァ、そもそも行かない算段をしていたから、同じ事だ。」



私は思わず耳を疑いました。



「で、でも……先生の授賞式でしょう。」



先生は案の定真っ赤なお顔を、ガバリと上げました。



「関係ないね!僕は別に、世間の称賛を浴びるためあれを書いたのではないし…」「先生!!」



どこかむきになっている先生に負けじと私も声を張り上げました。ついでに先生の両腕をギュウと掴みます。



「うわッどうした急に…」「行かないなんて、なりませんッ。佳作や参加賞ならまだしも、先生は大賞なのです。行きたくなかろうがまんざらでもなかろうが、参加するのが大人というものマナアというものッ!」


「き、君君。離しなさい…」



正義に燃えたぎる私に怯えきった先生は、細い両手を振り払うべくじたばたしますが無論びくともいたしません。なにせ私は地獄耳かつ韋駄天かつ、怪力なのです。



 「で、でも君…招待状にはちゃんと『不参加』の欄もあるし…」「それはあくまでお飾りなのです!」「お、おかざり………。」



私は手にギュウウと力を込めました。同時に先生のお顔は苦痛にゆがみます。

 


「い、痛い痛い」「何が何でもこの私め、大家兼先生付きのメエドとしては…先生を栄華と賛美の授賞式へ、お連れ致しますッ!」



先生は得体の知れない私の情熱と怪力に恐れ戦いておりましたが、ついに「わかったわかった」とうなだれました。



「本当ですわね、先生…」



私が力を緩めたやいなや、先生はその手を振りほどき『なんて力だ恐ろしい』と呟きました。しかし、さらに先生には不憫な事に、私の熱は冷めきっておりませんでした。



「先生、明日授賞式に同行させていただくとして…もう少しお仕事についてお聞かせ願いたいですわ。」



先生は新たなる絶望が来たというように息をのみます。



 「何言ってるんだ君は。僕は最初に言っただろ、君に与太話を読ませる積りはないと…。」

 

「でも、もう少しくらい教えてくれたって良いでしょう。だってまだ私、先生が仰った事以外何も知らないのよ。“作家”で“ある賞を獲った”なんてそんな、フウワリした説明…。このままでは明日になるまでずっと、先生が嘘吐きだったらどうしようと頭が一杯になって仕舞います。」



それでも、先生は難しい顔を崩しません。



ああ、この人は、余ッ程自分を知られたくないのだ…結局心を開いていないのだ。家族のように感じていると、言ってくれたのに…。私の胸は、刃物で刺されたようにズキンと痛みました。



「嘘吐きは、嫌いよ。」


呟いたと同時に、先生は息をのみました。


「嘘だなんて!!」


「き、聞こえておりましたの…。」



私でも分からないほど、小さな声だったはずなのに。


「僕は君に嘘なんか吐けない。」



先生は、怒ったような困ったような厳しいお顔をしています。その瞳の鋭さに狼狽え、怯えた私は本能的に目を背けました。しかし先生は、素早く私の手を掴んだのです。

 


「ついて来なさい。嘘吐きでない事を証明してあげるから。」

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