第4話 メエドのお仕事
日付は変わって、次の朝。
めでたくも先生の『大屋兼メエド』に任を得た私は、早速先生の世話に精を出しておりました。
「玉雪君は本当に家事がよく出来るね。すっかり感心してしまったよ。」
「…お褒め頂いて光栄ですわ。」
満足そうに笑みを浮かべる先生とは裏腹に、私はやや残念な気持ちになっていました。というのも、先生が思ったほどお仕事を与えて下さらないからです。
「先生、他にお仕事ございませんの。」
「ん?ないね。食事も掃除も洗濯も、すっかり済ませて貰ったし・・・」
先生はにっこりと、先刻私がお淹れしたお茶を手に取ります。・・・あッお仕事の予感!!
「お茶はまだおありになって??」
身を乗り出した私に、先生は思いきり苦笑します。
「君には、この激しく立ちのぼる湯気が見えない?」
「エエ、この距離からでも確かに見えてはおりますのよ・・・。
それはもう、モウモウと。」
「そうだね・・・持ってきてくれてから、まだ5分と経ってはいないのだから。
マア僕の事は良いから、どこか好きな所へでも行っていたまえ。用があれば声をかけるから。」
「はぁい・・・。」
しょげ返る私に微笑みつつ、先生は湯呑みに口をつけました。しかし即座に『ンンッ』と咳払いし、そっと机に戻します。
「あ、ごめんなさい・・・熱すぎましたのね。」
先生のお顔はどうにか平静を装っていますが、異様に赤いその色は、茶の熱さに大変驚かれた事を物語っておりました。
3分程前の何も知らない愚かな私は、お茶を所望した先生のために沸騰直前まで温めた熱湯にて鉄瓶いっぱいのお茶をこしらえて、給仕が出来る喜びにうち震えながら先生の元へ馳せ参じたのでありましたが・・・その前に先生の好みの温度を理解しておく必要があったようです。
お父様がそうだったので、紳士は熱々を好まれると思い込んでいたわ・・・
しかし気を落とした私に、先生は爽やかに笑いかけるのです。
「気にせずとも良いよ!!この位熱い方がね、目が醒めて却って良いのだ。ああ、言ってる間に冷めてきたし。」
先生が満面の笑みで、猛烈に湯気立つ湯飲みに口をつけた瞬間私は『いけない』と思いましたが、もう間に合いませんでした。
私が両手で口を押さえると同時に、先生の断末魔と熱湯が飛び散る音が部屋中に響き渡ります。
「アアアあづいいいッ!!」
「先生!!」
私が煎れたお茶もとい、緑の危険な熱湯を果敢に一気飲みしようとした先生は、それを思うさまお膝にぶちまけいすから転げ落ちました。
『悶絶以外為す術なし』の先生は、そのまま床上でごろごろと陸上のタコ顔負けの動きを始めます。
私はすぐさま台所へ直行し、冷たい水と氷を
「失礼致します」
先生は真っ赤なお顔で飛び起きます。
「おい君、何してる??」
私は手ぬぐいを盥にひたしては全力の謝罪を込めて絞り、全力の謝罪を込めた手ぬぐいで先生の腿やら何やらひたひた擦り始めます。
「申し訳ございませんッ!申し訳ございませんッ!」
打って変わって先生は、私を押しのけようと必死でございました。
「ちょちょ、こらこらもういいッ!」
「でもこれが私のお仕事ですのよッ!」
お膝元に縋りつく私とそれを押しのける先生との押し問答はしばしの間続きましたが、ついに先生は根負けして床に倒れ込みました。
先生のお膝には、無残にも真っ赤なみみず腫れが出来上がっておりました。
「す、すみませんでした・・・。」
先生は生気のない顔で、私から目をそらすように寝返りました。
「君は・・・何とも思わないのか・・・・・・?」
呆れたような声を聞いた瞬間、私はビクリと震えました。あの優しい先生が、ひどく怒っていらっしゃる。私の声は、自分でも驚くほど震えておりました。
「ほ、本当に申し訳ないと思っておりますわ…あ…後でちゃんとしたお薬を持ってきます…それでも、あ、痕にならなければいいのだけれど・・・
…本当に、悪気はありませんのよ。だからどうか、お許し下さいましね。」
私は思わずそっと、先生の痛々しいみみず腫れを撫でました。すると先生は『ひゃわあ』と頓狂な声を上げ、勢いよく私の手をはねのけるのです。
「ど・・・何処かに行ってなさいッ。」
胸がギュウウと締め付けられ、気づいた時には嗚咽が漏れ出ておりました。
「私、もっと気を付けますッ。だから、だからどうか…どうか見捨てないで・・・。」
私は、先生の濡れた身体に縋りつきました。
先生が静かに手をあげ、
「そんな事で泣いては駄目だ。」
「ごめんなさッ・・・」
「いや、美人が台無しだからだよ。」
「え・・・・・」
「泣いている君も美しいが、僕は笑う君の美しさの方が、好みなのだ。
僕付きのメエドとして、よく覚えておくのだよ。」
「うう。先生・・・。」
「さあ笑って御覧。」
泣きながら私が微笑むと、先生も愉しそうに微笑み返してくれたのでした。
私の胸は、先生の微笑みでポウとあたたかくなりました。
幼いころより幾度も向けられてきたこの微笑みを、私は密かに、何よりも大切に思ってまいりました。
この微笑みをいただくたびに私の胸は、先生の優しさに守られているような気持ちになるのです。
胸がぽかぽか温まっていく一方で、先生は一際大きな溜息をつきました。
「そもそも、どうしてきみが詫びる必要があるのだね。茶を勝手にぶちまけたのは、僕なのだから。」
先生はお召し物の袖に腕を入れ、じっと私の言葉を待っています。
「いいえ、元を質せば私のお茶が熱すぎたので、私のせいなのです…それに、先生は私の雇用主様なのですし・・・」
『雇用主』という言葉を聞いた途端、先生の眉はぎゅっとしわを作ります。
何か悪い事を言ったかしらん・・・私は息をのみつつ、言葉を続けました。
「だから私は、先生が不愉快にならないようなるべく気を働かせなくてはならなかったのです。私は先生のメエドですからね・・・」
「待ちなさい。」
先生はピシリと手を上げ、真直ぐな眼で私を射抜きました。
「君が分かってくれるまで何度でも言わせてもらうが。」
「は、はあ。」
「僕は、君にそんなつまらない事をさせるつもりで雇っているのではないのだよ。」
先生の声は落ち着いており、どうやら怒っている訳ではない様でした。私はおずおず頷きます。
「僕の機嫌を伺うような馬鹿らしい事で君に苦労をかけるなら、メエドとしては一旦解雇し代わりに『僕から金を受け取る仕事』に就いてもらおうか。」
「そ、それは一体何ですの・・・。」
お金を貰ってお給金をいただくですって・・・?
しかし、先生は至極真面目なお顔で続けました。
「僕が毎日少しずつ、君に金を渡す。それを月の最後まで繰り返して、ちゃんと全部受け取る事ができたら、その報酬として月給を払うという訳さ。」
「そ、それはお仕事と呼べません・・・。」
この方は、私をからかっているのでしょうか。これはどう考えても、犯罪の匂いが漂う怪しい行為でしかありません。
私はどうにか理屈を見つけようと足掻きます。
「分かった。先生は、お金がお嫌いなのでしょう。
ね、だからそうして無理矢理にお金を、ね、そうでしょう。」
すると先生は、凛とした形の好い眉根を吊り上げました。
「金。金か・・・。」
「ハイ、お金です。」
「金なんぞ、嫌でもないが好きでもない。」
「はああ?」
先生はなぜか、何の罪もないお金庫に侮蔑の眼差しを据えられました。
「金なぞ僕には如何でも良いような代物だが、君が僕よりそれを必要としていそうだからあげても良い。ただそれだけだ。」
「た、確かにお金は必要です・・・でもそんな、だからといってそんな風に人様のお金ばかり、無闇に頂く訳にはいきません。」
何やら得体の知れない犯罪に巻き込まれるやもと、私の脇には冷たい汗が走りましたが、先生はどこ吹く風という表情です。
「まあ、そう言うだろうと思ったさ。
どうやら君から何がしかの献身を取り上げる訳にはいかないようだから・・・引き続き僕は君を『メエドとして』雇用させてもらうが、その代わり。」
「その代わり。」
「その代わり、必ず『僕の求める範囲内』だけでやりなさい。
そもそも僕がだ、『君は僕の不愉快にならないよう成るべく気を働かせなくてはならないのです。』なんて言ったかね。え?僕は断じて言ってないよ、どうなんだ??」
先生は知ってか知らずか『君は僕の不愉快にならないよう』以下、私の口真似をなさったような気がします。
少しだけ馬鹿にされたような気持ちになりましたが、私はどうにか溜飲を下げました。
「・・・分かりました。つまり、無用な気働きをすることはありませんと、そう言う事でしょう。」
「さすが、君には理解力があるね。君はよく『学が有りませんのよ』なんぞと言ってるが、僕に言わせれば学なんて、頭の良し悪しとは全く関係ないのだよ。
学の有る阿呆は幾らでもいるし、その逆もまた然り。どれだけ学を得ようが阿呆は阿呆さ・・・。」
先生は一人、自身の『名言』に浸っていますが、私は先生が悪意のある口真似ばかりなさるようで、どうにも気持ちが落ち着かないのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます