第3話 先生の正体


私は意を決し、尋ねてみることにしました。


「先生、お気を悪くなさらないで頂きたいのですけれど。一つお伺いしたい事がありますの。」


「ん?何でも聞いてごらん。」



お父様お母様…


殿方にこのようなことを聞く不躾ぶしつけを、どうかお許しくださいまし!!




「…先生には、そんなにたくさん、お金ありますのかしらん。」




とんでもなく失礼をつかまつった質問に、先生はぽかんと口を開きました。まあ、当然の反応でございます。


しかし驚いたことに、先生は突然アハハと笑い出したのです。



「玉雪君、中々良いところを突いてくる。さすがは僕の家主だね。」


「えっ…。」



私は少し、ばかにされた気持ちになりました。



「うん、自分で云うのも可笑しな話なのだが、実は最近少しまとまった金が手に入ったのさ。」


「…まとまったお金。」



私の怪訝な顔を見て考えたすえ、先生はおずおず言葉を加えます。



「…実は最近、僕の仕事が認められてね。まあつまり、ちょっとした賞金が手に入ったのだ。」と呟かれました。


「賞金ですって!」



賞金ということはつまり先生が、賞を!



「一体全体、何の賞です?」



急に身を乗り出した私に先生はしばらくの間『ううむ』だか『むにゃ』だか言い淀んでいましたが、観念したように言いました。



「他言しないと約束してくれる?」


「もちろんですわ。」


先生は私の目力に、いよいよため息をつきました。



「僕は実は…物書きなのだよ。」


「ものかき?」


「ああ、文章を書いて売っている。つまり…作家の端くれなのだ。」



先生が、作家ですって!


                   

「せ、先生が作家様でしたなんて…露ほども知りませんでしたわ。」


「マア、聞かれなかったからね。」



当たり前然に言い放った先生に、私の血はカッと熱くなりました。



「それにしても、天下切っての大作家先生だなんて!その辺りの牛乳屋なんぞとはお勝手が違いますのよ?」



興奮のあまり机をはたくと、ペシリという音と共になぜか先生の顔も痛そうにゆがみました。


途端私の興奮も、しゅんと鎮まりかえります。



「聞かなかったにしても…ちょっとばかり、ほのめかして下さっても良かったのに。差し出がましいようですけれど、私と先生との仲…なのに。」



私の声は段々小さく、最後に少し震えました。

すると先生は強く拳を握りしめて、深く俯いてしまわれます。



「君だからこそ厭なのだ…」「あらどうして」



てっきり聞こえていないと思っていたのか先生はビクリと顔を上げました。

しかし天下の地獄耳を持つ私・玉雪にはその程度のお声、もはや雄叫び同様なのです。


先生はわざとらしく咳払いします。



「もういいじゃないか僕の事は。とにかく、金の心配は無用だよ。何なら金庫の中身を見せてあげようか。」



先生は涼しい顔でフフンと笑いましたが、私は当然そのような失礼行為を働くつもりはありません。



「め、滅相もございません。」



憮然とする私を十分鼻で嘲笑あざわらった後、先生は真剣なお顔になりました。



「で、君はどうしたい。別に僕は、急がないけれど。」



先生はそこでふいに言い澱みます。いつもの凛としたお顔が、少し不安げに見えました。



「やはり嫌かね、僕の元で働くのなぞ…。」



先生の表情を見て、私は反射的に言葉を紡いでおりました。



「そ、そうではございません…むしろ喜んでお受けいたしますわ!」



ついと上がった先生の瞳が、チカチカ輝きました。



「本当に?」


「え、エエ…そりゃあ、もう。」



先生の素性に少しばかりの疑念はありましたが、もう言ってしまった以上後には引けない空気でありました。



覚悟を決めた私は、ソファの上にて深々お辞儀をいたします。



「至らぬ点はございますが…私めをば何卒どうぞ、よろしくお願いいたします。」


すると先生は『ああああ』と言いながら両の手をぶんぶん振りました。



「いや何度も言うようだが、そもそもメエドの呼称なんぞはあくまで雇用被雇用の関係を結ぶ都合のやむを得ない代物で!だから実際その内情が世間で云うところの『尽くす尽くされる』なんぞに則っている必要は一切なくてだね、あくまで僕らは…「先生。そのような難しい言葉玉雪めには、分かりかねます。」


「…すまない。」



先生は目をそらし、ソワソワ口を触っています。



嗚呼こんなあどけない方が、天下の作家様。


なおかつ今日から雇用主様!



私の頬はその可笑しさに、ふと緩みました。



「…とにかく。こちらこそよろしく頼むよ。メエドとして、そしてもちろんこれまで通り、大家としてもね。」


「はい。」



私達はにっこりと握手を交わしました。


しかし次の瞬間先生はすっくと立ちあがり、どこからともなく白い紙と筆を持ち出してまいります。



「近しい我々であるからこそ、書面にしたためるべきなのだよ玉雪君。」


「はあ…?」



どこか水を得た魚のように先生は、上等な紙に何やら『私 日野仙之助はこの度 井形玉雪殿を云々…』などなどこの上なく愉快そうに記してゆかれるではありませんか。



そんなことより気になったのは、先生のお筆の運び。この先生はまあ何と…


何と美しい文字を、お書きになるの!!



先生の細い御手から生まれいづ、世にも瀟洒しょうしゃで優美な連なり。


その内容は全く分かりかねることながら、額に入れて壁に飾りなぞしたら日々に潤いがもたらされること請け合いです。


私はただその美しい文字たちを、恍惚と眺めておりました。



「……君。玉雪君!」


「あらごめんなさい、何でございましょうか。」



どうやら先生は、幾度か私を呼んでいたようでした。先生はフムと小さく息を漏らすと、少しばかり高圧的に言いました。



 「…いいかい、『しっかと』書面に目を通し、『しっかと』それに納得したら、ここへ君の名を記すのだよ。」



先生は一度ならず二度までも『しっか』に力を込めました。余程私を『しっかと』させたいのでしょう。



「わ、分かりましたわ。」



先生の疑わしそうな眼を避けるように、意気揚々と文字を追いましたが、先程からその内容がひとつも分からないのをすぐに思い出しました。


こっそり途方に暮れた挙句、分かっている風を装って可能な限りで『しっかと』頷き、どうにか名を記し終えることができました。



「…これで良いかしらん。」


「うん、契約成立だね。」


「何だか可笑しいですわ。こうしていると、いつもと何も変わらないのに。」



先生は『ああ』と嬉しそうに頷きました。




しかし、私の胸にはまだひとつ、納得できないことがありました。そして先生は、私の目によぎった一瞬の曇りを見逃さなかったのです。



「まだ何か、気になる事が?」

 

「え?」


どうやら先生に隠し事はできないようで、私は強い眼差しに屈するように口を開きました。


「…先生がお仕事のことを教えてくださらなかったのは、『玉雪君だからこそ』とおっしゃったでしょう。


それはつまり、私めは先生にとって赤の他人よりも信用に足らぬ人間ということかしらんと思いまして・・・。」


先生はなぜだかぽかんと口を開けます。


「ああ、そんな事。」


「そんな事ですって?」


少なからず憤慨する私に、先生は苦笑いなさいます。


「マアマア、落ち着きたまえ、つまりそれはだね・・・。」


あっけらかんと語り出したくせに、急に先生は黙り込みました。


「先生?」


「ううん・・・なんと言ったら良いか。つまりだ、『僕は物書きだ』なんて言ったら、君は僕が世間に曝している物を読みたがるだろう。」


「勿論ですとも。」


食い気味に身を乗り出した私を見て、先生は頭を掻きました。


「ううむ。そうなるとどうだろう。僕が如何様いかように物を思って感じたかというようなことが、曲がりなりとも君に判じてしまうわけだ。」


「はあ・・・。」


私の何も分かっていない生返事にも、先生は難しい顔で頷きました。


「つまり。その中には僕の、とりわけ君には知られたくないような諸々が紛れ込んでいるかもしれないわけであり。」


「はああ。」


ここで先生は意を決した様に、大きな深呼吸をなさいます。


「つまり毎日のように顔を合わせ!!


あまつさえ同じ屋敷に暮らし!!


あまつさえ僕にとっての、お…」


「お?」


「…」


「先生?」


茹でダコのように赤いお顔でなにやら悶絶する先生は、急に何かを思い出したようでした。


「お、大家だッ!!」


「大家・・・?」


先生は高らかに言い放ち、すっくと立ち上がります。あまりの勢いに、ソファが音を立てました。「きゃッ」


私の悲鳴もさておいて、先生は続けます。


「そう、大家だ。大家だったじゃないか、君は。


そうだ、大家である井形玉雪嬢すなわち君。他でもない大家の君だけにはね、僕の書いた得体の知れぬ与太話を見せつけるわけにはいかないのだよッ!」


肩で息をする先生のご様子に、私の胸はざわめきたちました。


「先生が・・・そのように思われていたなんて。」


私の目から、涙が落ちました。


「た、玉雪君?」


私は、ソファに腰を下ろした先生の手を取ります。


「私、とても嬉しい。私めが先生に感じていたお気持ちを、先生も持ち合わせて下さっていたんですものね。」


先生は、はッと目を見開きました。


「玉雪君。僕も…実は僕はこう見えて、ずっと前から「先生が!!


先生がこの私めを、


『家族』のように感じて下さっていただなんて・・・。」


今度は私がガタンとソファから立ち上がりました。


「これからもどうか、私玉雪と単なるメエドもとい大家としてだけでなく…『歳の離れた妹』のように慣れ親しんでいただけますかッ。」


「い、妹・・・ですって。」


先生の肩からずり、と着物が落ち下がりましたが、もう私は止まりませんでした。


「はいッ。ずっと私は心の中で先生を、この世で一人のお兄様とお慕いしておりました。」


「ああ・・・『兄』・・・。」「お厭ですのね・・・」


間髪入れず落ち込み始めた私に、先生は手を振り否定しました。


「ああいやいや、違う。が違わない。違うと言いたいが、違っているわけでもない。」


「先程から難しい言葉やなぞかけばかりおっしゃるのね。私めに学の無いからといって余りに酷いですわ。」


「いや決してそんなつもりはない。でも僕にとって玉雪君は、妹なんかよりももっと、大切なのだよ。」


「妹よりももっと、たいせつ。」



家族よりもっと大切?そんな物がこの世にあるのかしらん。



先生は何か言おうと私を見つめましたが、ふっと困ったように笑いました。



「・・・外へ出ないか?夕食を馳走しよう。」


時計を見れば、お夕飯の時間はとうに過ぎておりました。


「そんな、ご馳走だなんて・・・いけません。」


「こういうときは、年上の顔を立てるものだよ。さあ、支度だ。」


「嬉しい…ありがとうございます。」


先生はウフフと笑い、立ち上がってきびすを返しました。


いつもよりどこか大人びた先生のお背中を見ていると、唐突にある事が思い出されます。


「そういえば、先程何かおっしゃろうとしませんでしたか。『ずっと前から』なんとかかんとか。」 


「な!!!!」


電光石火、金剛力士像さながらのすさまじい形相で振り向いた先生は、振り向きざまにすさまじく足をぶつけます。


相当な痛みをものともせず先生は、頓狂な声を張り上げました。


「どうしてそんな箇所だけ覚えているのだね、君はッ!」


「もッ申し訳ございません…!」


「え?」


びっくりした拍子に、私の目から涙が零れます。

先生は私に近寄ると、優しく肩をさすってくれました。



「すまない。何も、泣く事はないよ玉雪君。」

「では先生、先程は何を・・・」

「うう。僕は、ずっと前から・・・」



先生は眉間をギュウと摘み、至極難しい顔をなさっています。

見る間に先生は、茹でタコになりました。



「う・・・…何でも人から教わろうとせず、たまには自分で考えなさいッ!」



先生はパアンと私の肩を叩くと、ばたばたお部屋へ去って仕舞ったのでした。


私、そんなに質問攻めだったかしらん。


呆然と立ち尽くす私の脳裏には、さらに『ご馳走は?』の疑問も浮かぶのでした。

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